第傪章 熒惑 9P
「でもダメなんだ……このままじゃあ、誰も納得しない」
「納得何てどうでも良い事。時が経てば……自分で勝手に解釈するんだから。あんたの出る幕じゃない。それともあの子の責任者にでもなった心算?」
「違う。でもフルールに対して俺には、責任がある」
「あの子が幸せになるようにって? そんなものは、あの子が決める事」
「選択肢は、多い方が良い」
その為に自分が居る。この時を待って居たと言っても過言ではない。降って湧いた幸運を逃す訳には行かぬ。あと少し。あと少し手を伸ばせば届く望みを絶ち切ってはならない。
それを阻むのがシトロンであっても譲れない。一度、手放した筈の病が自分をそうさせる。希望を追い掛けて固執の峰。その先にあるものへ手を出そうとしているのだ。
「この……分からず屋っ!」
止まらぬ涙。悲しく響く慟哭。その業すらも飲み込んで。また、挑まねばならない。
「もう、止めた。こんな回りくどい言い方何て。ほんとに分からない?」
そんなランディを引き留める為にシトロンは、尚も食い下がる。
「どれだけ心配したか……分かんない? ランディとアンジュさんが二人連れだって何処かへ向かったって聞いて。胸騒ぎが止まらなかった。怖くて仕方がなかった。何処を探してもいない。どれだけあなたが事態を重く捉えていても傷付いて良い理由にはならないの」
矜持の為ならば、命さえも投げ出そうとする。その理想が叶えば、どれだけ素晴らしいだろうか。たった一人では、成し遂げられない尊い行いとして誰もがランディの献身を語り継ぐだろう。だが、同時にそれは誰にも出来ない事と同意だ。その証拠は、今のランディが体現している。少し触れただけでも傷を負っているのだ。次に本気でぶつかれば、結果は明白だ。だからその姿勢をシトロンは、拒絶する。それでは、全ての人の想いが途絶えてしまう。小さな奇跡の火が消える。それだけは、是が非でも阻止したかったのだ。何故ならば、その全容を耳にしてしまったから。
「お願いだから……もう止めて。このままだと、ランディが―― ランディが」
そして。その小さな火は、シトロンの心にも灯ってしまっている。その火の揺らめきがどれだけ影響を与えているかは、計り知れない。その責任は、目の前のちっぽけな青年が原因だ。フルールに対してのそれがあるようにシトロンに対しての責任がある事も分からせたかった。だが今、それを伝える術はない。だからシトロンは、それに頼らない思いの丈をぶつける。それを示す言葉は、一つだろう。そして、それを言葉にしてしまえば止まらない。
「ランディが居なくなったら本末転倒なの……誰も笑えない」
「ごめん、本当に済まない」
「謝って済む問題じゃない。今、此処で。私と。約束して。もう、あの人には今後一切、関わらないって。出て行くまできちんと大人しくしてるって」
終わらせる為の戦いと終わらせない為の戦い。何方も等しく正しく、其処に間違いなどは、存在しない。本来ならば、誰もが肯定する厳しい戦いを強いられていた。
「どれだけ頑張っても無駄な事って沢山ある。それは……ランディの所為じゃない。ランディは、悪くない。悪いって言うやつが居るなら私がぶっ叩いてあげる。だから……無駄にならない目の前の事へあなたの時間を費やしてよ」
「無駄なんかじゃあ――っ!」
全てを肯定し、否定するシトロン。それからランディの胸元へ飛び込み、腕を腰に回して離すまいと強く抱きしめた。シトロンの温もりがランディの心を揺さぶる。
「もっと、視野を広げてよ……もっと、自分を大切にして」
「今、君の言葉に寄り掛かったら俺は、二度と立ち上がれなくなる」
「それで良いじゃない。何が駄目なの?」
胸に顔を埋めるシトロンのくぐもった声に当てられ、ランディの勢いは削がれる。されど、脳裏に焼き付いた寂しげな表情がランディを掻き立てる。歯を食いしばり、抱き着いたシトロンの体に自分も腕を回すランディ。
「だって……だってあの人は、アンジュさんは、俺と同じだから」
「いいえ、違うわ。ランディは、人が好きだもの。あの人は、他人なんて興味がない人」
最早、理由にならない。己の想いだけが先行して勝手に口をついて出て来る。アンジュの姿を見て自分を重ねてしまった。互いに理解し合える仲間なのだろう。同じ悩みを持ち、同じ目線で語り合える者として見捨てる訳には行かない。
「違うんだ。違う。君が言うように独りじゃあ、どうしても出来ない事がある。だから出来る様にしてあげたいんだ。あの人は……本当は、人を愛したいんだ」
「もしかしたらそうなのかもしれない。だけど、それは本人が解決すべき問題」
「俺が救済の宿命を背負っていると言ったら?」
「どれだけ高慢なのよ?」
「この剣は、その為だけに存在する。誰が何と言おうと、もう意味が存在してしまっている」
「なら、先に周りの人を救ってみせてよ。あなたは、人を斬る為の道具じゃない。あなたが詰まらない事で言うだけでも他の人が笑顔になる。お酒を飲みながら美味しいものを食べて笑ったり、ちょっと女の子に色目をつかわれただけで鼻の下を伸ばしたり、何でもない事でも小さな事でにっこりと笑うあなたがいるだけで満足なの。少なくとも……私はそう。だからあなたを悲しませたくない。悲しませたら私が悲しくなるから。これは単なる私の我儘。だからどれだけあなたが難しい顔をしたって無理強い出来る」
それは、見せかけのまやかしだ。自分が一番、よく知っている。己の規定する自分は、もっと醜く禍々しいもの。多くの屍の上に立つ犠牲の象徴。そんな者が人の優しさに触れて良い訳がない。だから道化の仮面を被り、偽りの平穏を享受している。心の底から求めてはならないと戒めを込めて。もし、それを求めてしまえば、己を罰しなければならない。その軛は、心に深く突き刺さり、抜けなくなっている。自分が自分でなくなってしまう程にランディの人格形成へ影響しているのだ。
「君は、俺を知らない……」
「なら教えてよ。どんな話だって聞くから」
「言えば、君は俺を避ける……」
「分かった。そんなランディの事を一人にさせるモノなんか捨てちゃいなよ。そんなモノ、存在して良い訳がない。ランディは、頑張ったよ。頑張った。今だってルーと意見が対立しても戦ってる。自分でも本当は、分かってるんでしょ? どうやったって解決出来ないの」
どれだけ拒絶しても飲み込んで肯定してくれるシトロン。出会うのが、もう少し早ければ、もっと違う結果があったのかもしれない。ランディの決意に根負けしてシトロンは、懇願する。少しずつで良いから知って欲しかった。そのもっと違う何かに。
「直ぐにが無理なら考えてみて。正しい事が一つなんて絶対ない。回り道をするのは、大好きでしょ? 私の本音は、変わらない。あなたが傷つかずに……悲しまずに済むなら何でも良い。お願いだから考えて」
「……分かった」
恐らく守る事の出来ない約束だ。だが、互いの平行線上に存在する境界でもある。シトロンもランディの心に軛を残す事で一先ずは落ち着いた。赤く腫れた目元をやんわりと歪め、にっこり笑うシトロン。その笑顔こそが全てなのだろう。其処に答えがある。
「―― 一先ず、怪我の手当て」
「ありがとう」




