第傪章 熒惑 7P
「はっ!」
実力が拮抗しているから恐らく、最後は運に左右される。一定の流れが出来てしまえば、双方決まった選択肢が生まれる。単調な戦いであれば、どちらも警戒を強めてその戦法に沿った対応ができ、攻めあぐねが生じるだろう。結果が見え切っているならば、多くの可能性が与え、情報を飽和させ、更に相手を揺らがせれば良い。枝葉末節も大所高所も関係ない。
全てに可能性があり、生き死にも存在する。
「ほんとっ! やりにくいっ!」
「お互い―― 様だろっ!」
息つく暇もない。今度は、ランディが相手の隙を伺い、防戦一方となる。必死にその茶色の瞳を一閃、一閃に集中させ、いなして行く。後退を余儀なくされ、態勢が崩れ、よろけるランディに止めの振り下ろしをアンジュは、放つ。その大きな一撃を待って居たとばかりにランディは、剣を手放して地面に尻もちをつき、左足で刀身を横から蹴りつける。見事にランディの目論見は、当たってアンジュの剣は、地面に突き刺さる。そのままランディは、上体を前に起こしてアンジュの足元に向けて足払いを一つ。逃げそこなったアンジュは、右足を掬われて剣を手放し、大きくよろめく。その姿を見届ける事無く、足払いで背後を晒したまま、追撃でアンジュの腹部へ更に右足の後ろ蹴りを繰り出す。手応えは、少しあった。されど、決め手には程遠い。再び、手放した剣を手に取り、切り掛かるランディ。これでアンジュは、無手となった。そうなれば戦力は、圧倒的にランディへ有利に傾くかと思われた。
そう、鈍色のナニカがランディの右頬を掠めるまでは。
本能に近い胸騒ぎに襲われ、二の足踏まなければ確実に積んでいた。剣を構えたランディへアンジュは、隠し持っていた彫刻刀を投げ来たのだ。一から十まで油断出来ない。きちんと狙いが定まっていたなら目を持って行かれていたかもしれない。血の気が失せ、焦燥感が体を駆け上がってランディの思考を麻痺させる。
「惜しかった」
「惜しくないね……すっかり戦意が削がれたよ」
「油断大敵」
「だからまだ、立ってられるんだ。そもそも嫌な予感はしてた」
不敵な笑みを浮かべるアンジュ。対して未だに冷や汗が絶えないランディ。
「もう少し体を前に傾けてくれたら完全に射程内だったのに」
「末恐ろしいよ」
何にせよ。これでアンジュの有効な手立ては、削れた。ランディの後方に突き刺さったアンジュの剣。これに近づけさせなければ、ランディに分がある。されど、この有利な状況をもってしてもランディは、戦々恐々としていた。まだ何かがある。そう、思わされるほどにアンジュの底が知れない。目を瞑り、少し心を落ち着かせ、精一杯の虚勢を奮い立たせるランディ。その油断が更なる窮地へ追い込むとは、想像もしてなかった。
「……でも、俺の方が有利に変わりない」
「ほんとにそうかな?」
アンジュの言葉に反応し、目を開けてみれば驚きで声も出ない。己の後方にあった筈の剣をアンジュが手にしている光景を目にすれば致し方ない。
「……どんな魔法を使ったんだい?」
「ちょっと、ズルをした」
「そんな狡いのはナシだ」
「寧ろ、このくらいの事は許して貰わないと実力の差があり過ぎる。それだけ君は、強い」
「褒めても何も出ないし……買い被り過ぎだよ」
「実際、彫刻刀を避けられた時点で既に僕は一度、詰んでいる」
「そうはっきり言われるとなあ」
「まだ、楽しみたいだろう?」
「確かに」
出来れば、これで終わりにしたかった。しかし、それでは話が終わらない。アンジュがこれまで真摯に向き合って武の道を歩んで来たかは分かった。だが、そのアンジュに全てを諦めさせる程のナニカを曝け出させていない。引き下がる段階は、疾うに過ぎている。何より、アンジュをその気にさせてしまった手前、己も突き進まねばならない。
「では、仕切り直しと行こう」
その言葉が開始の合図だった。今度は、どちらも先手を取ろうと、一気に間合いを詰め、一閃。相打ちで鍔迫り合いになり、どちらも相手の勢いを押し切ろうと躍起になる。
「……そこまでの力がありながら……何を恐れているの?」
「恐れていないっ。魅入られただけさっ」
「その先に進んでも何もない事は……分かっているんだろう?」
「だから……何だって言うんだい?」
「っ!」
「まだ……辿り着いてもいない奴がその先の事を考えて何になる? この手に掴んでいないものに悩むなんて恰好が付かないだろう。手に入れてから考えるさ」
「その時には、もう遅いから止めてるんだっ!」
狂ったように目を見開いて心底、愉快そうに笑うアンジュ。対してランディは、歯をむき出しにして怒る。少なくとも本気でランディは憤り、止めようとしている。だが、この期に及んでアンジュは、腹の内を見せようとしない。
「……君は、優しいね」
「只の独善だ。全て俺のやりたい事だ。人の気なんて気にしないっ!」
他愛など、存在しないのだ。そんな言葉は所詮、他者を傷つけない為の規範で自己満足の域を越えない。本気になって自分の事として捉えねば、その手を掴めない。必死なランディにアンジュは、そっと微笑む。少しだけフルールと同じ何かを垣間見たのだろう。
「なら、実力で僕に分からせてみろ。話は、それからだ」
「ぐっ!」
会話に集中し、手元が疎かになったランディ。アンジュは、その隙を逃さず、強引に押し切り、剣を弾くとガラ空きになったランディの腹部へ渾身の力を込めた左の拳が突き刺さる。耐え難い痛みでランディは、息を吐き切り、同時に呼吸を忘れてしまう。視界が明滅するなか、本能でランディは後ろへ大きく飛び退く。その数秒後、ランディが居た場所へアンジュの剣が空を切る。咄嗟に躱していなければ、決着は付いていただろう。敢えて追撃をする事無く、アンジュは痛みを堪えるランディをじっと見つめる。形勢は、圧倒的にアンジュが有利。最後の気迫でランディは、剣を構えるもその手元は、覚束ない。
「……これで最後にしよう。僕も本気を出す」
「望む……ところだ」
コバルトブルーの瞳を閉じて剣を正眼に構え、集中するアンジュ。ランディは、少し痛みが引いたランディは、呼吸を落ち着け、ゆらりと脇構えになる。真っすぐ、アンジュを見据え、最後の突撃に備える。日暮れ時。そよ風が吹き、木々や草花が微かに揺れる。じりりと地面を踏みしめ、遅れを取る事無く、一閃。甲高い金属音と共に両者の剣は、弾かれる。
そのまま、恐れる事無く、切り結ぶ。さも相手の出方を読んだかのように切っては、弾かれ、決定打はない。熾烈な剣舞が続く。最早、技術や経験など関係ない。先に心が折れた方が負けだ。振り被って大きな一撃をランディが繰り出せば、アンジュはそれをしなやかな剣捌きでいなし、アンジュが返す刃で切り返せば、横から剣の腹を打ち、ランディは弾く。
そして、その時は不意に訪れた。最後の切り結びを経て互いに剣を捨て互いの頬に向けて右の拳が真っすぐ伸びた。吸い寄せられる様にきっちりとその拳は、お互いの頬に刺さる。どちらも衝撃で意識が混濁する。これで終わりかと思えば、違った。ランディの顎に更なる衝撃が加わり、勝敗は決する。
薄れる意識のなか、ランディはアンジュの寂しげな表情を見逃さなかった。
ランディが意識を取り戻したのは、その後直ぐ。体を地面へ大の字で投げ出し、完全に伸びきっていた。ぼんやりとした意識で辺りを見渡せば、隣には足を地面に投げ出し、へたり込むアンジュの姿があった。
「負けたか……」
「惜しかったね」




