第傪章 熒惑 3P
何がランディを駆り立てるのか。ルーには、皆目見当がつかない。行動の起点は、これまでの経緯で理解している。今回は、違う。其処までに至る理由が無いのだ。誰も望んでいない。そう、誰も。ランディが気に掛ける相手すらも。全てを飛び越えた先の先。人の意思が介在出来ない何かに対して反抗する為にランディは、動いている。そんな気がするほどに遠い。其処に至ってしまうと二度と帰って来ない嫌な予感がルーの脳裏に過る。
「恐らくそれは、フルールも一緒だ。君に傷ついて欲しくないんだ」
「たった一つの願い……と言うのは、少し恰好を付け過ぎだ」
「違う。これは、レザンさんもブランさんも……ノアさんだって。エグリースさんだってラパンだって。君が関わってしまった全ての人がそう思ってる。大袈裟に言えば、町の総意だ。既に君は、この町の一部として機能している。君が欠ける事は、絶対に許されない」
「その選択肢を取って大勢の犠牲が出たとしたら? 君はどうする?」
「その前に手を打つ。アイツを町から追い出すのなんか容易いっ!」
「ルー、そうじゃない。そうじゃないんだ……」
簡単だと言うルーに対してランディは、首を横に振って否定する。簡単では、済まされない。見た目は、一本の細い糸。一思いに鋏で切ってしまえば、終わりと錯覚させるそれは、鋼線。複雑な何かが絡み合って紡がれた強固なものだ。しかも町の至る所へ張り巡らされ、人々の首にも巻きつけられている。切れないと焦り、その手で無理に千切ろうと引っ張れば、何人も持って行かれる事をランディは、知っている。
「そんな事で解決するなら端から俺も手を打ってる」
「ならっ! なら君は、どうする心算だい? 現にその手に持っている剣が物語っているだろう。それに頼れば、君は必ず傷付く。好い加減に気付けよ。僕らは、君に対して別な価値を見出している。もうそんな事をしなくて良いんだ」
「君は、分かっていない。本当の意味でこれに頼らない様にこれを使うんだ」
「意味が分からない」
「何も俺は、個我で全ての通りをねじ伏せる為に人を殺めたりしない。そして人と争う事も。今回は、見極める為に使う。本当に人を知りたいのならば、己の全力を尽くし、相手の全力を引き出す事が必要だと。これは、この町で学んだ事だよ。それを実践するだけだ」
「必要なのかい? その先に何がある?」
「必要だ。俺が俺である為には。此処で目を背けてしまえば、俺が俺でなくなる」
得るのではない。失うのだ。失わない為の戦いが待って居る。この町へ訪れる前からそれをずっと続けて来た。寧ろ、ルーが知らないだけなのだ。己の中で滾る力が剣へと伝わる。
「君に見せよう。俺の力は、人の命を奪うだけじゃない。人を救う事だって出来るんだ」
そう。ランディの目的は、ただ一つ。その目的の為には、絶対に最悪の事態を回避せねばならない。新たな物語を紡ぎだせるように。決して悲劇に相対する英雄譚の主人公ではない。
「違うよ、それは。分かっていないのは、君自身の方だ。君はこれまで沢山の人を救って来たじゃないか? 君が気負う事なんて一つもないんだ」
逸る心を抑えてランディは、一歩を踏み出した。友の背を見送る事しか出来ないルーは、誰にも聞こえない声で呟いた。崩れては、積み上げる不毛な繰り返しすら無くなった。きっかけすら失われ、ルーは八つ当たりでヌアールを睨む。
「もっと……良い言い方があったと思います」
「彼奴がそんな生温いやり方でゲロする訳がないだろ。それは――」
「そうですね……僕が一番、分かってますよっ!」
やるせなさでルーは、ランディが座っていた椅子を力強く蹴飛ばしてひっくり返す。その様子を横目で見守りつつ、ヌアールは、煙草へ逃げる。足の痛みで少し冷静さを取り戻し、ヌアールから煙草を奪い去り、火をつけてふかしながら考えを巡らせるルー。
「ノアさんは、大きな危難から遠ざける為に……」
「……皆まで言うな。俺が気持ち悪い奴みたいじゃないか」
「でもそう言う事でしょう?」
「結果は、分かり切って居たがな……これでまた、外野だ。傍から指を咥えて状況を眺める事しか出来ない。それを今回もまざまざと分からされただけだ」
「いいえ、何か出来る事がきっとありますっ!」
「実際、何も出来ないだろ。彼奴は、俺たちの分からない事が分かるが肝心な事は、口を割らない。ならお前は、皆へどう説明する心算だ? 確実性の無い根拠で動く訳がない。誰も同じだ。訪れる結果を受け入れるしか選んで来なかったこの町で。勿論、この町が悪いって訳じゃない。何処も事情は、一緒だからな。だからこそ、傍観するしか出来ない」
「そんなのって……そんなのってあんまりだ」
机に肘をついて焦点の合わない目で壁を見つめるヌアール。まだ、諦められないルーは噛みつく。何の役にも立たない煙草を机に置かれた灰皿に押し付け、金色の髪を右手で掻き毟り、出来る事を模索するも一向に出て来ない。
「気付いた頃には、始まってたからな。もう止める事は、出来ない。彼奴の選ぶ選択肢が全てだ。それは。彼奴が一番、分かって居る。だから間違えない様に……正しさを求める。どれだけ血を流したとしても彼奴は、醜く足掻き続ける……それでもと言ってな」
「っ!」
何も変わっていない。言外に変える力が無いと指摘され、頭の中が真っ白になって目を見開き、ルーは呆然とする。全てがまやかしだったと否定されれば、致し方が無い。肩を並べ、共に苦悩した日々が紛いものであったとヌアールは、言うのだ。突き付けられた事実に弁明する余地もない。引き留められなかったのが何よりの証拠だ。
「やっと分かったか。いや、薄々勘付いていたんだろ? お前自身の未熟さを。これまで彼奴と肩を並べているかのように思っていたかもしれんが、それは単なる思い上がりだ。ランディは、もっと先に居る。今更、言っても遅いが、お前が町の中枢を牛耳る程の役割を担っていたのならこの話ももう少し結果が変わったかもしれん。だが、現実は違う。彼奴が背中を預けられる奴は、この町には居ない。責任の重さが違うんだよ」
「なら……ノアさんならどうなんですか? 貴方なら出来るでしょう?」
絶望に打ちひしがれ、藁にも縋る思いでヌアールに頼るもヌアールは、首を横に振る。
「無理に決まってんだろ。俺には、俺の役名がある。命に対する責任がな。俺が出来る事と言えば、彼奴が無茶をした後の尻拭いをするだけ。俺まで舞台に上がって万が一、深手を負ったら誰が彼奴の看病するんだ? それが一番、ヤバいだろ?」
きちんと己が立場を弁えた上で先に繋がる選択肢をヌアールは、既に持っている。正しくはない。けれど、失わない為の大事な選択だ。だからヌアールは、静観出来る。逆に場当たり的な提案ばかりで人に頼ってばかりで不甲斐ない自分が悔しくて仕方がない。
「……悔しいか?」
「……」
「ならもっと考えろ。お前の出来る事は、それしかない。大人なら必死に考えて考え抜き、苦しんで足掻け。男なら納得出来ない結末を変えて見せろよ。お前自身の力量で。越える力がなければ、これからもお前は、他の有象無象と一緒だ。単なるお荷物に過ぎない」
俯いて歯を食いしばるルーへヌアールは、更に鞭を打つ。
「もう、満足か? 俺は、帰るぞ?」
「……」
脱ぎ捨てたシャツを羽織り、大きな欠伸を一つしてヌアールは詰所から立ち去る。残されたのは、机の上で燃え滓同然となった煙草とルーだけ。拳を強く握りしめ、ルーは何を思うか。それは、ルーにしか分からない。




