第傪章 熒惑 1P
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誰も歓迎しないその夜は、唐突に訪れた。その夜は、町から少し離れた雑木林で人知れずそれは、静かに終わりを迎える。開けた場所でそれは、立ち尽くしまま、一歩も動こうとしない。血飛沫を一身に浴び、真っ白なシャツを赤黒く染めており、手には今も血が滴る鈍色の剣が握られていた。その剣の鍔には、一点の濁りもない真っ赤な石が嵌め込まれ、強い輝きを放ち続けている。そして惨劇を齎したそれは直立不動のまま、石と同じく深紅に染まった瞳で夜空の頂点に鎮座する大きな月を見上げていた。
「っ! そうか……また、周期が早まったか」
アンジュの瞳が普段の色に戻る。少しぼんやりとした表情で辺りを見渡し、己の惨状を目にして苦笑いを一つ。此処へ至るまでの記憶がまるでないのだ。意識のないまま、雑木林をさ迷い歩き、獲物を一通り狩っていった。周辺に死体らしきものは、見受けられないが己の姿を一目見れば自分がした事は、簡単に分かる。
「今回も……まあ、派手に暴れたもんだ……全身が痛い」
剣を地面に突き刺して崩れ落ちるように地面へ座り込むアンジュ。それから頬にべっとりとついた血を指でなぞり、その血を指の平で転がす。町の人工的な光や音は届かず、淡く光る月と星、虫の音と風が草木を撫でる穏やかな夜には、似つかわしくない。
「この前は、確か……二週間前だった筈……つい一年前までは、半年に一度きりだったのに。もう、潮時かな。ほんと、終わりが来る時ってのは……呆気ないもんだ」
服の袖を鼻に近づけて臭いを嗅いで顔を顰め、血生臭い服と体をどうしたものかと考えながらぼんやりと呟くアンジュ。胡坐から足を投げ出し、上体も生い茂った草へ預け、寝転がる。満天の星空をターコイズブルーの瞳に映し、何を思うのか。
「まあ、悔いが残らない様に楽しんだよ。もう、後悔はない」
まるで己の最後を悟ったかのようにアンジュは、振り返る。嘘はない。いや、本音は違うのだろう。そうでなければ、この場で寝転がっている筈もない。
『いや。無ければ、こんな所まで来なかったか……』
後悔が無ければ、この夜空を見上げる事も無かった。
「もう一度、最後に一目見たいと思ったもんなあ……実に情けない」
どれだけ冷たくあしらわれても嬉しかった。本来なら会話を交わす事も叶わなかったのだから。そして、過去に自分の犯した失態の尻拭いもきちんとされていた。きちんと自分の居場所だと主張の出来る誰かの隣で。それが分かっただけでアンジュには、十分だった。
「勿論、来た甲斐はあったけどね。良かった……きちんと小さな幸せを見つけられたみたいだ。でも、あんなしょうもない奴でほんとに良いのかい?」
されども思う。あれで良かったのかと。聞けば聞くほどに頼りない印象が増して行く。考えている事が手に取る様に分かるが、その真意が全く理解出来ない。何か裏があるのではと疑ってしまうほどに。けれど、どれだけ疑っても何も出て来ない。
『だからこそ……か。誰かの為に。真意は、其処にしかない。ほんと、間抜けにも程がある』
その真っすぐな一面に惹かれたのだろう。誰もが馬鹿げていると思う事でもやり遂げようと尽力するその姿に。何処までも愚かで何処までも愛おしいと思えるまで。
「でも彼が気付いてないなら、仕方がない。思う存分、最後までその戯言に付き合ってやるとしよう。今まで好き放題やって来た訳だし。これくらい、目を瞑るよ。でもそれには、代償も必要だ。僕にとっても有益な何かを差し出して貰わないと釣り合いが取れない……」
果てしてその代償とは。挑発的な歪んだ笑みで空に向かって笑うアンジュ。
「こんな事を考えて居る時点で一番、碌でもない奴は……僕自身だったね。半分、当てつけみたいなもんだ……でも止められるのは―― 彼以外、他に居ない。気配をきちんと消してるけど、この町に自然と漂うどこまでも澄んだ冷たい空気までは、消せないさ」
それは、恐らく己を正し、正しい道へ導いてくれる唯一の存在。この王国で古から伝わる伝説の一つ。御伽話から飛び出た生ける伝説との邂逅にアンジュは、瞳を輝かせる。
「その空気の流れの中心にいるのが君だと言う事もお見通し。来た当初は、びっくりしたよ。思わず、身震いした。この目でもう一度伝説を、しかも新たな生ける伝説を拝む事が出来る何て……この巡り合わせに。何へ感謝すれば良いんだろう? 僕は、無神論者だからなあ」
何処まで己の実力が通じるだろうか。期待でアンジュの胸は、いっぱいになった。手を強く握りしめてアンジュは、震える。その震えへ呼応するかの様に剣の石は、赤い光を宿す。
「何にせよ。終わりは、派手に―― 古来より、演劇は、そうと決まっているんだ。役者は、揃ってる。これ以上にないってくらい最強の相手だ。化物の僕には、うってつけだろう。寧ろ、人生の最後に手合わせが出来て光栄と言うべきか。こんな大一番、滅多にない。待つが良い歌う町。そして、括目せよ。こんな英雄譚、そうあるもんじゃない」
それは、誰も望まぬ悲しい物語だろう。されど、歌う町は、期待に胸を焦がす。人の意思と意思がぶつかり合う。最上の戦い。それを町は、望む。善悪や些末な人の理の割り込む余地などない。既に歯車は、勝手に回り出し、止まる事はない。
「見せて貰おうか―― 『武神の加護』の実力って奴をさ」
これ以上にない華々しい最期を。アンジュは、実直にそれを願う。
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「……それで振り分けなのですが。僕の話、二人とも聞いてます?」
「聞いて無い」
「きちんと聞いてるさ……」
害獣対策の会議は、ルーの要請から四日後に開かれた。顔ぶれは少し変わってもこれまで通り、ルーが進行を取り仕切り、一通りの概要を説明した所で帰って来た返答は、これだ。
椅子に長袋を立てかけ、紺色のシャツにタイトな黒いパンツをズボン吊りで止めたランディは終始、うわの空で手元の珈琲と睨めっこ。此方は、まだ、背筋を伸ばし。腕章を付けて態度も服装もきちんと責任感を意識しているだけマシ。一番の問題児は、もう一人の方だ。来て早々、着用していたシャツを脱ぎ散らかして長椅子へ投げ捨てて下着の裾を引っ張り出して椅子に座って机に足を投げ出すだらしない町医者。今は、眼鏡を掛けながら読書に勤しんでいる。
「はあ……」
毎度の如く、協調性に欠ける人員を纏め上げる仕事を任され、頭を抱えるルー。昨日から準備を進めていたお陰で普段なら火熨斗の掛かっている白いシャツとパンツも皺で縒れておいた。大きく溜息をつき、疲れの見える目元を押さえて込み上げる虚しさをぐっと堪える。
「毎度の如く、先が思いやられる……」
「ようは、夜なべして招かれざる客を追っ払えってのが本筋だろう? それなら適任者が居るじゃないか。こいつ一人に任せれば良い」
「ランディにも仕事があります。それでは、一人の負担が大きいので手分けして――」
「元軍属様ならよゆーだよな? こんな温い依頼よりヤバい修羅場何て沢山あっただろ」
「話の論点がズレています。向き不向きの前に平等とか公平さについて論じています。そもそもこれは自警団の依頼です。ランディ個人の依頼ではありません。此処に居る全員の素質を買われているからこそ―― 少し強引な話ではあったものの、ノアさんもそう言った不都合も承知で首を縦に振って下さったのでしょう?」
「お前なあ―― ブランさんからの要請、断れる訳なんてないだろ? 場合によっては、村八分だ。こっちだって付き合いとか、仕事がある。そんな暇はない」




