表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Locus Episode2 Ⅰ〜Ⅷ  作者: K-9b
Ⅵ巻 第貳章 表裏一体
351/501

第貳章 表裏一体 9P

 アンジュは、そう言うとフルールの頬にやんわりと手を添える。その眼力を前にフルールは、抗えなくなってしまう。フルールの瞳に映る己を見据えながら内心では、まだ自分もこんな事が出来るのかと驚きを覚えつつ、アンジュは甘い囁きを続ける。



「本気で言える。出来るのなら彼の前から君を奪い去ってやりたい。これまで自分の全てを押し殺して来た。でも君と離れてからようやく気付いたんだ。自分が破れぬ誓いより大切なものがあるって……それらをかなぐり捨てても価値があるものをようやく見つけた」



「いきなり何よ。ただの……自分勝手な駄目男の理論でしょ? そんなの」



 露骨に狼狽えるフルールへアンジュは、一気に畳みかける。



「その通りだね。でも彼が平然と君の腰に手を回し、引き寄せたあの時……僕の心の中で邪な考えが首を擡げた。君は知り得なかっただろう。以前の僕ならそんな事は無かったから」



 何処までも本音と嘘の境が曖昧で見分けが付かない。二人きりの空間。聖堂内の雰囲気も相まって少しでも気を許せば、決意が揺らいでしまいそうな程に。それは、アンジュも同じだった。少しの間、己の内に沸いた嗜虐心に身を委ねる。



「あれは―― かなり無理してたの。普段ならあんな事、サラって出来る柄じゃない」



「そうだろうね。それなりに格好つけてたけど、ぎこちなさは隠し切れていない。でも、違うんだ。何よりも僕が驚いたのは、君が一切、拒まなかった事」



「……」



 頬を真っ赤に染めてフルールは、黙り込む。それから唇を噛み締めて俯く。果たしてそれは、肯定と取るべきか、否定と取るべきか。判断を決めあぐねる。



「そんな姿を見せ付けられたのだから僕を焚き付ける理由には、申し分ないよ」



 我ながら抜け抜けとよく言ったものだと、アンジュは思う。今、この言葉を聞いて彼女はどう思っているのか。分からない訳がない。アンジュは、フルールをよく知っている。



「この瞬間も出来るのなら君の手を取って攫って行きたい程に――」



「―― 二年前のあたしならその言葉で確実に揺らいだわ。多分、その手を取って貴方と一緒に……貴方の向かう先へ何処までも着いて行ったと思う」



『例え、その先に目も当てられぬ不幸が待って居たとしても』



 恐らく、その先に続く言葉は、これだっただろう。だが、フルールは敢えて紡がなかった。



「でも今は、違う。あの時からあたしも変わったの。あたしは、あたしの意志で決める」



「同じ様に僕も変わったよ」



「いいえ、貴方が変わる事何て在り得ない。根っこは全然、変わってない」



「だって……だって生きようとする気力がないもの。その眼がそう言ってる」



 やっと顔を上げて見せた茶色の瞳は、もう揺るがない。先ほどまでのか弱い姿が嘘のように。

 目を見開いて驚くアンジュの前でフルールは、鋭く切り込む。



「未来を語る癖にその未来から一番遠い所に居る。全てを諦めて逃げてる。それが貴方よ。でも―― ランディは、ランディは違う。辛い事があっても今も懸命に―― 未来ってよく分からない存在から逃げずに必死に生きようともがいているわ」



 どれだけ見て来ただろう。無様に喘ぎ、膝をつくその姿を。その二本の足で地道に町を駆け抜けたその後姿を。何度、挫折しても立ち上がるその姿に心動かされただろう。その埋める事の出来ない対比がフルールに力を与える。



「決してランディは、未来を語ろうとしないの。だって分からないから。先に待つ結末が怖くて仕方がないから―― 不安でいっぱいで。その過程で憤り、怒って。癒える事ない傷を数え切れないくらい負って間違いも沢山してる。それにこれまでの過去の出来事で苦しんでこの瞬間も転んで必死に立ち上がろうと足掻いてるわ」



 端から言葉だけ重ねるだけで何も本心を語っていない。アンジュの考えは、見透かされている。全てその場しのぎの張りぼてに過ぎない。だから何も語ろうとしないランディの顔が頭に過る。嘗て言われたのだ。言葉だけでは足りない。だから行動で示し続けていると。それは、今も変わる事無く、フルールへ示され続けている。例え、どれだけ間抜け道化を演じる羽目になっても人の幸せを願ってやまない。



「聞いてみれば、ほんとに頼りないでしょ? でもね……生きてるの。きちんと温かいの。それに今の自分と向かい合ってる。生きるって多分、そう言う事でしょ?」



 端から勝ち目がないじゃないかとアンジュは、心の中で呟く。何を持ってランディは、この二人の関係に希望を見出したのだろう。不思議で仕方がない。そして、何よりも腹立たしいのが、努力の方向性を間違えている事。恐らく、それは手を伸ばせば直ぐにも届く。幸せを願う相手が欲しているものは、直ぐ近くにあるのだ。



「貴方には、それが欠如してる。貴方は、逃げ出して全て置いてけぼり」



 シャツを握りしめ、目に見えぬ柵をおもいきり振り切ってフルールは、決別を選ぶ。思う事は、沢山ある。だが、それはもう伝える必要がなかった。既に終わりを迎え、伝えても何も始まらない。今、此処で再確認して未練も立ち消えた。



「どれだけ言葉を重ねても貴方とあたしは、平行線」



「なるほど、分かった……」



 アンジュは考える。己の取るべき選択肢を。そして、答えを見出した。全てを見届けようと。このままでは、気づかない振りを続けるだろう。だからきちんと分からせねばならない。少なくとも自分にはその責任がある。そうしなければならない理由が出来たのだ。



「驚いた。君がそんな事を言えるくらい、変わったとはね……僕も君が変わったきっかけと少し関わってみようかな。もしかしたら君みたいに僕も少しは、変われるかもしれない」



「止めて……お願いだからそれだけは、絶対に止めて」



 アンジュの思惑が分からず、フルールは狼狽える。確証はない。だが、何かを感じ取り、怯えているのだ。薄っすらと漂う鮮烈な騒乱の香りを。深い関りが出来れば、ランディがまた、戦いに身を投じる未来がフルールには見えていた。



「貴方とランディが関わってしまったら……良くない事が絶対に起きる」



「そんな事は、無い」



「いいえ、嘘よ。ランディは、貴方に対して油断なく身構えてる。自然に振る舞って取り繕って隠して居ても分かるの……何度も見て来たから」



「ふふっ。君は、本当に心配性だな。そんな事は、起きないよ」



「同じ様に貴方が嘘を付く時も知ってる。何でか分からないけど……でも、分かる」



「……」



 全てを見透かされている感覚を覚えながらも無言でアンジュは、苦笑いを一つ。



「だから今度は、あたしの手で絶対に止めて見せる。例え、どんな手段を使っても」



「分かった、分かった。なら……僕からは、何もしない」



 アンジュの言葉には、裏がある。敢えて明言はしないものの、ランディから関わって来たのならば、話は別だと。町に滞在している間、何もしなくとも勝手に相手は、舞い込んで来る。だから待ち続ければよいのだ。



「もう、此処に貴方の居場所なんて無いわ」



「そうだね……」



 ランディの出る幕はない。その前にケリを。出て行けとフルールは、追い立てる。



「申し訳ないけど。暫くは、この町に滞在する心算だ。それだけは、許可して貰えるかな?」



「どうぞ―― ご勝手に」



「ありがとう」



 話が終わり、アンジュは席を立つ。一方、フルールは長椅子に座ったまま、疲れが出たのか、ゆっくりと背凭れに深く埋まり、右腕を目元に当てる。



「お誘いありがとう。これで僕は、お暇するね」



「さようなら」



「ああ……じゃあね」



 上を向くフルールの頬を伝って流れる雫。それは、何を意味するのか分からない。



「こんな事、望んでなかった……」



「そうか……」



 去り際にそっと添えられる思い。間違いも正解もない。道を選んだだけだ。その道の行く先に待つ景色は、違う。その絶望的な差がすれ違いを生んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ