第貳章 表裏一体 4P
「信頼関係があってこそでしょう。大小関係なく、良好なお取引を積み重ねた賜物ですね。若しくは、エランさんの手腕がものを言わせているに違いありません」
初手から全力で。間髪入れずに自分の流れに持って行く。些細な会話であっても相手を持ち上げ、気を大きくさせる。小手先の業と言い表す事すら憚られる幼稚な手だが、始めが肝心だ。相手との距離を縮められなければ、どんな搦め手であろうと通用しない。また、中身の無い内容であっても受答えの速さは、肝心だ。相手に興味を持っていると印象付ける。
「それで下代ですが……」
「ええ、大巡礼も含めて帝国の軍備拡張、その他にも昨今の輸出入情勢により……原材料の高騰がありまして。後は、足代。これでも勉強させて頂いているのですよ」
「ふむ……現状、此方も他の取引先から多少の制約はあるものの、変わらない下代で条件を頂いております。また、町の物価にも変動が無いものでして中々、この価格では……」
現状も踏まえ、此方も事情があり、譲れないとランディは、先んじて潰しに掛かる。額の汗を手拭いでさっと拭いながらエランは、待っていましたとばかりに木箱を四つ持って来て座るよう勧める。どれだけ長丁場になろうと、細かく詰める心算なのだろう。
「勿論、勿論。町と貴店の事情も理解しております。一つずつ当たって参りましょうか?」
「お願いします」
どの商材もランディの記憶にある原価より、二割、場合によっては四割増しとなっている。これでは、話にならない。原価を吊り上げられてしまっては、此方の利益率が削られる。それなら上代を上げれば良いと安易な考えで安請け合いしても肝心の客が見向きもせず、只の不良在庫と化す。また、町で商いをしている以上、相場よりも高く売りつけたと知れ渡れば、信頼関係にも歪みが生じる。商材別であまり利益が取れないものも現実に存在するが、それは別の付加価値のある商品で補っている。
しかし今回の場合、その利益が取れる商材ですら旨みが少ない。大前提としてそもそも需要がある売れ筋の商材は適宜、時期ごとにレザンが仕入れているので現状、困って居ない。正直に言えば、相手にするだけ時間の無駄だ。あれやこれやと理由をつらつらと述べて来るが、それはレザン、ランディからしてみれば一切関係ない。他の取引先に当たれば、もっときちんとした条件を提示してくれる。
始めから足元を見て来るのであれば、関係が拗れぬよう、大きな損失の出ない商材を少量選び、値段交渉をして適度な所で落としどころを作った方が楽だ。相手は、行商。信頼や信用など、言葉ばかりで二の次。自分の利益が何よりも最優先。
真剣な表情でじっと、紙面を見つめるランディの横でそっとルージュとヴェールが不安げに見上げて来る。露骨にそんな顔をされては、相手をつけ上がらせてしまう。不安を払拭する為、此処は一度、ランディの見解を伝えねばなるまい。
「ふむ。何か気になる事があるかい?」
敢えて質問があるかと耳打ちが出来るよう誘導し、教える体裁を装って双子の話に耳を傾けるランディ。案の定、双子から予想通りの言葉が出て来た。
「ランディさん、どうなの?」
「正直、取引に値しない。こんなのまともに相手してたらこっちが干上がっちゃうよ」
「さっき言ったとおりだね。じゃあ、どうするの?」
「穏便にこっちが火傷しないくらいで終わらせるさ」
「ふーん」
「出来ます? そんな事」
「まあ、見てて」
価格の表の見方を教える振りをしながら問題ないと双子に断言してみせる。何事も配られたカードでしか、勝負するしかない。今回は、強い手駒も無く、相手の城へ態々、一人でのこのこ出向いている時点で有利、不利は、明白だ。ましてや、此方が招いたとしてもその逆境をはねのけるだけの度胸をエランは、持ち合わせている。どれだけ待っても最強の役など、来る訳もない。ならば、小さな役で小さな勝ちを重ね、損切は、早く。
「書きだしの中から当店で買い取りたいものを吟味しました。今回のお取引も主に生活雑貨が中心ですね。ランタン用の燃料と蝋燭、洗濯用の石鹸、靴墨、後は――」
暫く悩みぬいて七つ程、商品を選び出し、ランディは愈々、覚悟を決めた。そもそも買い付けの商材範囲は、決まっており、それは向こうも承知の上。だから品目数を絞ってその代わりに単体の数量をそれなりに盛って単価を下げる交渉を選ぶ。手堅く順当な選択でなんの捻りもない。
後は、買い取り仕入れではなく、消化仕入れなどの委託販売形式にして手数料を請求するほか、相手の言い値と数量をのむ代わりに利ざやを要求するなど。多少の知識は、レザンが商談や大口の取引をするその都度、帯同してくれたお陰で条件を引き出す方法は、知っている。後は、どの手札を切って行くかが重要だ。先ずは、値引きの交渉から。
「これで以上ですね。話を蒸し返す様で申し訳ないのですが、幾つか価格を少し抑えられませんか? 恐らくこれでは、当店の通常価格で販売が難しく……」
「そうですね……蝋燭の価格を数量の分、二十五セブンスずつ。燃料も同じく」
王国では、四種類の硬貨や紙幣の他にも貴金属の著しく含有量が低い硬貨が存在する。食料品などを購入する際や飲み屋や食堂でも多用されている。また、この様な交渉の場でも使われていた。価値は低いものの、それが嵩めばそれなりの金額となる。今回の様に価格帯の低い商品を多数買い付けする時には、個数が十や百の単位で推移するので顕著だ。
「助かります。石鹸は、どうですか?」
まだ、余裕があるのかエランの返答は早い。この機に乗じてランディは、更に踏み込んでみるとエランは、露骨に顔を顰める。
「これ以上は――」
「そうですか……なら石鹸は止めて」
「分かりました。一ダズンお引き取り頂けるならば、三マイセと六十セブンス値を下げます」
「それならば、助かります」
時折、相手に不利な条件を持ち出しつつ、他の売れなさそうな商品を抱き合わせで買い取る提案など、相手の許容範囲を探りながら値切った。互いに譲歩出来るぎりぎりの所を攻めつつ、一進一退の静かな攻防が続く。仕事で白熱するランディの姿など目にしたことが無かった双子は、食い入るように状況の推移を見守る。
「承知致しました。数量の方は、如何致しましょう?」
「石鹸は、お約束通り一ダズン。他は各種、半ダズン。燃料は、一パイントで」
「かしこまりました」
思った以上に時間は掛かってしまったが、何とか交渉は纏まった。総額を鑑みつつ、数量を調節し、商談はやっと終わりを迎える。話が纏まり、エランは笑顔で茶を出して来た。額の汗を手拭いで軽く拭い、出された茶に口をつけつつ、ふとランディは、展示されていた商品に目を向けると、気掛かりな物を視界の隅に捉える。それを見つけた瞬間、別の緊張が走り、ランディの目が大きく見開き、釘付けとなってしまう。
「エランさん、あれは?」
いそいそと、契約書の準備をしていたエランの手を止めさせてランディは、さりげなく、何の気なしに興味を持った体裁を装い、商品として展示されていた淀んだ空気を漂わせる拳大の赤黒く濁った石を指さして遠慮なく問う。
「おおっ! その石に興味を持たれるとは……ランディ殿もなかなかにお目が高い。これは、名のついた宝石ではないのですが、霊峰で見つかった珍しい鉱石ですね」
「なるほど……」
「まだ、用途に関しては研究されておりませんが、なんでも聞くところによるととてつもない可能性を秘めているとか。私もお譲りするのは、名残惜しいと思っておりますが……即決でお答え頂けるなら今回は、特別に銀貨百枚でお譲りしましょう」




