第壹章 見るに堪えぬマリオネット 8P
今を逃せば、伝える機会は永劫、訪れない。ルーは、恥も外聞もかなぐり捨て今一度、本心から湧き出た言葉を紡ぐ。恐らく、この世で何よりも代えがく、ルーが最も尊重する人としての在り方だと自信を持って言えるのだろう。
「簡単に絶望と言っても裏切られたとかそれだけじゃない。目の前で奪われ、時には奪う。その刹那的な儚さと言う圧倒的な絶望を知っても尚、それでも君は。向き合っている」
これ以上言えば、ランディの最も嫌う上辺だけの薄っぺらな答えに辿り着くだろう。軽蔑されるかもしれない。その言葉をランディは、ルーの前で軽々しく扱った事がないからだ。
「それを君は、何かしら答えとしてあの子たちに提示しなければならない。それがどう言ったものか……僕には、分からないけど。でも、それを一つの言葉にするくらいなら出来る。それを君は……もしかしたら否定するかもしれない。何故ならそれは多分、言葉だけの中身が無いものだから。恐らく、君が最も嫌うだろう。でも今の僕には、それしか表せない」
意を決し、ルーは思い浮かんだ原文そのままをポツリと呟く。
「何故、君が人を愛するのか。その答えを」
「……そんな大層なもんじゃない。所詮、誰だって独りで生きられないから。寧ろ、出来ない事何て沢山ある。だから俺は、縋っているんだ。自分に出来ない事が出来る多くの人々に……淡い期待を添えて。ラパンの時も。エグリースさんの時だってそうさ」
「奴らの襲来の時も?」
「そうだね……あの時は、危うく沢山の希望が失われるかもしれなかった。老いも若きも関係ない。これからそれぞれが担うであろう輝かしい未来を俺は、誰にも奪わせたくなかった。そしてこれ以上、あの人達にその奪う罪何て負って欲しくなかった」
「……君は、それを何と言うか分かるかい?」
「何だって言うのさ?」
「博愛って言うのさ。確かに素晴らしいものだよ。でも、それはやっぱり違う……」
これもランディの本音である事は、間違いない。この期に及んで嘘で自身を塗り固めても意味がないからだ。だが、その先にルーは、何かがあると睨んでいた。
「人が愛せるモノなんてそれこそ、この両手に握り絞められるくらいのもんだよ。ランディ。君は、この一対の両手が何故、あるか知っているかい?」
気恥ずかしそうに右手で髪の毛を掻き毟り、覚悟を決めるルー。ランディがルーへ真剣に向き合うからこそ、ルーも己の言葉を紡ぐ事が出来る。
「それは、誰かの手を片手で繋いでその上からしっかり掴んで離さない様にする為さ」
「もう既にこの手は、沢山の血で汚れている」
「お為ごかしは止めろ。本音を語れよ。本当は、既に繋いでいたい人が居るのだろう?」
「……居る」
「だろうと思った。君は、隠そうとするけど。絶対に自分の意思を曲げないから」
やっと、辿り着いたその答えが耳にし、ルーは全身の力が抜ける。
そうだ。ランディには、故郷に残した想い人がいる。今は、手の届かない遠くで離れていても必ず、再会を誓った人が。待ち侘びる約束された必ず訪れるその日を。嘘偽りなく、胸を張って迎える為に。その意思を曲げなど、ランディには到底、許されない。
「そうか……そう言う事か。もしかして以前、君が話をしていた幼馴染の事かな?」
「ああ……」
「君が珍しく瞳を輝かせて話をするから。もしやと思ってたけどね」
ランディの考える今は、心地の良い環境が何時までも続くよう詰まらない停滞に塗れた脚本ではなく、先を見据えたものであり、それを再確認したルーは、一安心する。
「なら話は、違う。君は、きっぱりとこの関係を終わらせるべきだ。シトロンが何と言おうと。後は、フルールも……それは今、取り掛かり中か」
「問題は、その先にあるんだ。君は、何度も俺に言っただろう。隠し事が出来ないのが俺の美点だと。君にも筒抜けだったようにフルールやシトロンだって見透かしているのさ」
半分、自棄になりながら燃え滓同然、煙草を灰皿で揉み消し、新しい煙草に火を付けて紫煙を吐く。それから琥珀色のグラスを一気に傾け、更に続けて手酌で二杯目を注ぎ、それもすっと飲み干して目を瞑る。一連の流れは、恥を忍んで弱音を吐く準備だった。
「フルールは、もしかすると……あの子の幸せを見つけられるかもしれない。君が間違いだと言い張っても。それでも俺は、あの子の背中を押して上げたい。あの子が俺にしてくれた様に。でも―― シトロンは、違う。違うんだ。シトロンは……何を考えているか分からないんだ。そして、俺の知らない事を知って居て確実にそれが作用している」
「ふむ……」
人と人の狭間でもがき苦しむ友へ今度は、憐みの念を向けるルー。
「君は、君で彼女たちの事をきちんと考えていたんだね。申し訳ない。君が其処まで思い詰めている何て思っても見なかった。申し訳ない」
「―― 謝るなよ。俺の言葉が足りなかったんだから。でもこれだけは、知って居て欲しい。俺は、人の尊厳を簡単に踏み躙ったりしない。人の心を大切にしている」
「なら、僕が手助けしてやるしかないね。探りを入れてみよう」
「助かる」
それならば、ひと肌脱ごう。納得出来る判断材料を与えられたルーは、二つ返事でランディの頼みを了承した。深々と頭を下げるランディの肩へルーは、右手をそっと添える。
「でもこれだけは、覚えておいてくれ。君がこうなっている理由は、ブランさんにある。君がブランさんの操り人形と言う立場に甘んじている限り、こんな事が沢山、起きる。それに抗うかどうかは、君の自由。勿論、体裁もあるから無理をする必要は、皆無だ。でも対策はきちんと練った方が良い。それは、絶対に君の為になる筈だ」
明らかに独りの手には余るこの状況かにおいて。されど、ランディにも取り組むべき課題がある。それは、間違った関係の清算だ。縦しんば、上手く事が運んでも更なる難題が増えてしまえば、意味がない。だから災いの種を摘み取るべきだとルーは、言う。
「薄々は、勘付いていた。甘んじている訳じゃないけど……受けた恩義がある以上、安易に無碍にも出来ない。悪気はないんだろうけど、見計らったかの様に先手を打たれ―― 揚句、俺の考えも筒抜け。やろうとしている事は、悉く読まれている」
「そんな所だろうね。正直、僕もお手上げさ。でも暇したおじ様の遊戯に延々と付き合ってやる道理もない。行き過ぎた出しゃばりがあったなら君は、きちんと言うべきだよ」
「何だか、オウルさんと同じ事を君も言うね。ほんと、親子だなあ」
「止めてくれ。事の顛末を知れば、誰もが同じ事を言うよ」
やはり、血は争えない。どれだけ否定しようとも受け継がれるものは、確かにある。人のふりを見て自身にも叶うならそんなものが一つでもあれば良いなとランディは、しみじみ思う。後ろ姿ばかりしか思い出せないその大きな背中に少し焦がれる。だが、それを確認したくとも今の自分には、判断してくれる存在がいない。こんな時は、単身で故郷を飛び出した寂しさが胸をちくりと刺す。その寂しさを悟られまいと、ランディは酒で誤魔化す。
「兎にも角にも全てが上手く行く様に僕は、祈ってる」
「ありがとう」
互いに吐き出すだけ吐き出した後。憂いも消えた二人に暗い影は、無くなっていた。一通り、有意義な意思疎通ができ、それからの話は、取るに足らぬよもやま話や互いの面白い出来事を共有する時間として過ぎて行くのであった。




