第傪章 『peacefull Life』 4P
頭を押さえていまいち焦点が定まらない中、のランディが振り返ると後ろにはフライパンを持った鬼がいた。どうやらさっきの一発はフライパンらしい。
「あ・た・しが質問しているの、ランディ。ユンヌもう大丈夫だからね、危ないオオカミは直ぐ始末するから」
フルールはランディから解き放たれ、我に返ると急いで自分の後ろに隠れたユンヌに声を掛ける。ユンヌは下を向いたまま、口を鯉のようにぱくぱくさせるだけで何も喋らない。
フルールからは恐ろしい怒気を感じる。ランディは冷や汗が止まらず、生唾も飲んだ。
「はははっ、単なるジョークだよ。ジョーク。フルールは冗談が通じなあっ痛!」
「調子に乗るのも好い加減になさい」
軽い音と共にもう一打、フルールの良い一発がランディの腹部に決まった。ランディは思わず、膝から床へ力無く崩れ落ちる。ゴングが鳴った。結果は一ラウンドKOだ。
「全くもう……仲が良いのか悪いのか。フルールその位で許してやっておやり。幾ら彼氏が他の女に抱きついたからってそれはやり過ぎだよ」
「町のみんな一人一人にも言ったけど、おばさん、これはあたしの彼氏じゃない!」
「うぐっ!」
今度はフルールが顔を真っ赤にしてフライパンを振り回しながらランディを足蹴りにしてアンへ食って掛かる。ユンヌは流石に落ちつたようでランディから距離を取り、二人を交互に見ながら話の様子を窺っていた。
「それで……フルールは何のようが……あって来たの?」
「買い物!」
足を震わせながらランディは立ち上がると問うた。ふんっと鼻を鳴らし、腰に手を当てながらぶっきらぼうにフルールは答え、手にはいつでも振れるよう油断なく、フライパンを構えてある。
「なら普通は表から入ってくるものじゃないの?」
そう何故か、フルールは裏手の玄関から入って来ていたのだ。
「―――― 正義の味方は悪党の不意を突くものよ。ランディ、ユンヌを苛めたのは高くつくわ」
「苛めてないって、ただアンさんにユンヌさんの内気を治してと頼まれたから」
フルールのお怒りにランディはあたふたとするだけ。何の打開策も思いつかない。
「何を言ってんのよ、下心込みの面白半分で抱きついた癖に」
「そんな訳ない……済みません、ユンヌさんの反応が見たくてやりました。出来心です!」
「あのね……」
「うん? どうしたの、ユンヌ。可哀想に傷ついたよね。言いたいことははっきりと言いなさい」
情けない男の言い訳を無視してフルールはユンヌに抱きつき、頭をぐりぐり撫でる。
「フルール、苦しい」
「ごめん、ごめん。かあいいな―――― もうユンヌは!」
じゃれ合いはいつものことらしく、二人はとても仲が良いようだ。
「うん、フルール、やっぱり私の内気が原因だから。ランディさん……私、出来るだけ頑張るので今後とも宜しくお願いします」と三歩ほど前へ出て力強くユンヌは言った。
「ユンヌは本当に良い子だね。こんなのに敬語なんて必要ないよ」
フルールがユンヌの頭を撫でて、指をさす代わりにランディの脛を蹴る。
「痛ってて! フルールが言うのもどうかと思うけど、ユンヌさん。俺のことは呼び捨て、敬語なんて使わず、普通にお話しませんか?」
痛みで片足立ちになるもランディは人のよさそうな笑顔でやっとこさ言った。
「なら、ランディ君で良いかな? でもそれなら私にもランディ君も同じだよ」
ユンヌは背が低いのでランディには自然と上目遣いになる。可愛らしい仕草にランディは不覚にぐっと来るものがあった。そしてもうユンヌは言葉に詰まっていない。意外にも既に効果は出ているようだ。
「うん、分かった。ユンヌちゃん、それとさっきは本当にごめん。いきなりのことでビックリしたよね? ちょっとした出来心でね……」
「ううん、何でもないことなのに大げさにビックリした私が悪いの」
「そっ、そう言って貰えるとありがたいよ」
反省した様子で頭を掻きながら謝るランディの手を取り、首を振ってユンヌは真剣な顔で否定する。少し離れて楽しそうに話すユンヌの様子に満足しているらしく、アンは頷いた。
「まあ、男に抱きつかれただけで頬を真っ赤にする初じゃあ困るからね。それに新入り君が羊の皮を被った狼に扮する番犬だってのはフルール、あんたが一番分かっているだろうに」
「また回りくどい言い方を……確かにおばさんの言う通りランディはそうですけど……」
やれやれとアンは同じく蚊帳の外になったフルールにさりげなく一歩二歩と近づき、やんわりと諭す。
納得のいかない顔でフルールは歯切れの悪い返事をした。
「それとこれは別の話だけどフルール……はっきり、言っておくよ」
此処でアンの声音が少し尻すぼみになる。
「丁度、真面目で気の良い新入り君も来たことだし、乗り換えなさいな。好い加減、あの子のことは諦めがついているのだろう? 皆、そのつもりで噂話をしているんだよ」
アンがフルールに小さな声で耳打ちをした。この話題は寝耳に水だったようでフルールは思わず、はっと息をのんだ。そして少しの間、黙り込む。
「―――― 分かっているわ、おばさん。あたしはもう吹っ切れているし、ただランディを巻き込みたくはないの」
フルールは手に持ったフライパンをぎゅっと握りしめ、俯きながらやっと声をひねり出す。
「おまけにランディは早くても二年後には故郷へ帰っちゃうし。多分迷惑だよ、おばさん」
フルールが顔を上げて慈愛の籠った目でランディの方をさりげなく見やった。
「それにどうしても。う―― ん、心配だわ……」
元々、出会いが特殊だっただけにフルールはランディの覚束なさが際立って見える。まだ足元の覚束ないランディが今にも転びそうで心配ばかりが先行し、それどころはない。
でもこれではまるで本当の弟だ。
他方、愚弟はフルールの心配など露知らず、ユンヌと中睦まじく話していた。
「そう言えば、ランディ君はどこから来たの?」
「王都からだよ」
「へぇ、ちょっと遠いね」とランディが王都の方角を見据えて答える。
「でも王都かあ―― 良いよね。一生に一度で良いから私……国立図書館に行ってみたいんだ」
ユンヌは不意に自身の望みを吐露した。
「ユンヌちゃんはもしかして本の虫?」
「其処までとは言わないけど好き、だよ。ランディ君は?」
「ほどほどに、ね。小説とかは読むけど、難しい学術書はごめんだ」
頭を掻き、苦笑いをしたランディは言う。
「意外と子供っぽいんだね、ランディ君」
「良く言われるんだ、それ。悔しいけど」
「うふふっ」
「笑わないでよー」
ひたすらだらしなくユンヌに絡むランディ。
「ふふっ、ごめんね。ランディ君が可笑しくて。そう言えば王都ではどんなお仕事をしてたの?」
口元に手を当てながら上品に笑うユンヌは仕事について聞いて来た。
「うん、今までは王都にある士官学校に在籍していたんだ」
ランディは苦虫を噛んだかのように少し渋い顔をする。
「ええ……軍人さんだったの? 凄いなあ……そうなると第一国立士官学校だよね。もしかして……とんでもないエリートさん? でも何でこの町に?」
小さな胸の前で手を握り、ユンヌの目が好奇心でいっぱいになる。
「いや、そんな訳ないよ。どちらかと言えば、俺は足を引っ張る方。しかも命令違反をしたから処分が怖くて自主退学さ」
「うーん、何だか勿体ないね。でも、そのお陰でランディ君とお知り合いになったから……私には万々歳かな」




