第伍章 五十歩百歩の概算 7P
そう言うとルーは手でユンヌに合図を送り、この場を離れた。そして歩きながら今のランディにぴったりな表現を考え始める。このままのぞき見をしていれば何れ、気付かれてしまう。その前に退散すべきだ。手を拱くだけならこの場でなくとも簡単に出来る。
「……今は、宛ら惚れた腫れたに翻弄されている青年と言った処だね。良い身分だよ」
「あの時は、どんな役を演じていたと思う?」
「フルールを憂い、立ち上がった僕らに寄り添う友人と言えば良いかな? 思った以上に言葉として形容しがたいけど。これしかしっくり来ないね。首を縦に振るまで終わらないと分かって八方美人に丸く収めるべきだと思ったのだろう。当面の問題を解決する為に取った稚拙な打算に過ぎない。それを直せって言ってるのに」
「癖になって染みついているんだよ。それって直ぐに治せない」
熟考に入ってしまうとルーには、周りが見えなくなる癖があった。普段ならば相手の歩調に合わせて歩くも今は、顎に手を当てながら眉間に皺を寄せて足早に小道を抜けて行く。歩幅の大きいルーに置いて行かれぬよう早歩きで並ぶユンヌは、ゆっくりとルーの顔を見上げながら問いかけた。ルーは、目線を真っすぐ前に向けたまま、口を開く。
「でもその癖が全ての元凶であるのは間違いない。何処か、他人事なんだよ。自分の事でも」
「それ、分かる。自分がどうなっても構わないって言うか……もっと遠くや先の事が気になって仕方がないみたい。正解を出し続けている事でやっと存在意義があるって己に言い聞かせてる。裏を返せば、結果が出せないと自分は、無価値だと思ってるよ」
「その所為で自分の心を押し殺しているんだから世話ない」
「正解何て無いって自分でも言ってるのに。次から次へ問題が降って湧いて来るから……まるで負ける以外、終わりがない盤上遊戯を色んな人と強制的にやらされてるみたい」
「本当に悲しい性に縛られているよ。アイツは」
全ての元凶は、ランディにあると帰結するには、早計過ぎた。敗北すれば後がない。だからこそ、ランディは今も抗い続けている。誰も負わせる心算のない大きな責任がランディに延々と付き纏って離そうとしない。そしてその責任がランディに仮面を被らせている。
「でもシトロンには驚かされた……ランディにあんな顔をさせるなんて。僕だって見た事がないもの。何を言ったらあんな顔するんだろう?」
「そうね。それは気になる」
「是非とも聞き出して欲しい。僕もランディの弱点が欲しいんだ。何せ最近、やられっぱなしだから……ここ等辺で鼻を明かしてやりたい」
「みっともないから止めなさい。でも私、ルーがやられっぱなしの理由は知りたいかも―― 今度、ランディくんに聞いてみようかしら?」
「聞いたら後悔するから止めた方が良い。内容がしょうもないから……」
「あっそ」
だが、悪い事ばかりではない。今回の件で一つ、発見があった。正攻法だけでなく、時には搦手も必要なのだと二人は、学んだ。そして既に幾つも楔がランディへ打ち込まれ、きちんとこの町に繋ぎ止めている事も。これまで創り出した軌跡は、無駄ではなかった。
「さて、それで……明日の事だけど」
「まあ……今日の事は私達の胸にそっと仕舞っておけば、問題になりません。多分、きちんとやれば成功すると思う」
「嘘でも取り敢えず、きちんとやってくれれば僕も異存はない。でも本当は、道理にかなってない。嘘塗れの心が無い言葉なんて……無意味だ」
とは言え、刻限は迫っている。明日が答え合わせの日だ。しかし蟠りは消えてくれない。先ほどの出来事を見せつけられた後では、不安要素が残る。ランディの心に迷いが少しでも生じれば、全てが無に帰す。とは言え、刻限は迫っている。明日が答え合わせの日だ。しかし蟠りは消えてくれない。先ほどの出来事を見せつけられた後では、不安要素が残る。ランディの心に迷いが少しでも生じれば、全てが無に帰す。薄暗い小道を抜け、日の当たる通りに出たルーは、空に燦燦と輝く太陽をさも眩しそうに眺めながらそう呟いた。そして、同じくルーに釣られて太陽を見上げるユンヌ。
「ルーって時々、お堅い浪漫チストみたいな事、言うよね」
「唐突に何だい?」
「別に良いでしょ。嘘から始まる事があっても」
「何時か、化けの皮が剥がれるからダメだ」
「嘘から出た実よ。その発した言葉が本当になる事もあるもの」
「そんなものかな? 僕には、違和感しかない」
普通ならば、誰もがルーの様に思うだろう。優しい嘘は、癒しを与えてくれる。けれども人の心を動かすのは、見てくれだけの言葉ではなく、どんなに不器用でも相応しい表現が見つからなくとも熱の籠ったたった一言だけ。ましてや、今のフルールに幾ら耳元で囁いたとしても慰めにもならない。本来ならば、ランディも相応の覚悟が求められている。けれど、ユンヌは、そう思って居ない。何にせよ、二人で紡ぎ出す事に意義があると考えていた。
「誰も正しい始まり方何て知らないでしょ。それともルーは、知ってるの?」
「……知らない」
「さっき、ルーは道理って言ったけど。それって妥協の間違いね。皆がこうだったらきちんとしてるって受け止められる正解でも間違いでもない阿った答え。でもそんな過程、きちんと通り過ぎられる人なんて殆どいない。何処かを省略したり、時には真逆な事をしてみたり……寧ろ、試行錯誤があったからその先に進めるんだよ。だから二人なりの試行錯誤していると思えば、今は正しい。人の気持ちを型に嵌めようだなんてお門違いだわ」
「そうかい、そうかい」
ユンヌは、きっぱりと否定する。同じく太陽を見上げるユンヌにも違った見え方がある。ルーの主張も尤もだが、それは所詮、相手の気持ちを置き去りにして独りで書き上げた脚本に過ぎない。誰かと紡ぎ出す物語は、その誰かと共同で書き連ねて行かねば意味がない。その書き上げたものに正解や間違いなど無いのだから。
「まあ、ルーももうちょっと、余裕を持ってみたら? 緩い様に見せ掛けてかっちりしてる。今の所は上手く働いてるけど、時にはね。ずっと同じ手法だけだと息切れしちゃう」
「……考えておく」
さらりと締めくくり、悪戯っぽく微笑むユンヌへ暫しの間、ルーは見とれてしまう。そんなゆっくりとした時間が流れる中、一陣の風が舞い込み、ユンヌの黒い髪を揺らす。髪を手で押えながら微笑むユンヌの助言に対して遅れて返答するルー。
「大丈夫。遠くに離れようと思わなければ、回り回るよ」
「ユンヌも先生が板について来たね」
「教える立場であろうとなかろうと関係ない。だって、他人が自分の思ったように動く事なんてないから。だから見守って上げる事にした。独善を押し付けるんじゃなくてね」
何時も隣に居て子供の時と変わらないままだと思って居た。けれど、それはただの思い込みで自分とは異なる成長を遂げていた。その意外な一面にルーは感嘆する。そんな自分にはない何かを垣間見るから人は、他の誰かを欲するのだろう。今は、はっきりとその全容が分からなかったけれど、その片鱗をルーは理解した。
「勿論、この件もそう。多分、どっちでも良いんだと思う。フルールだろうとシトロンだろうと最後は、ランディくんが思うが儘にすれば、きちんと形になる筈。私は、そう願ってる」
「僕たちが出来る事と言えば、その流れが公正である様に釣り合わせをするくらいか」
全ては、物語の主人公が決める事だ。出来る事と言えば、そっと見守るくらいだ。それに自分たちが主人公として紡がねばならない物語もある。この二人の紡ぐほろ苦くも甘い物語は、もう少し後の話。
「夏が始まるね――」
「今年の夏は、熱くなりそうだ……楽しみだね」
「今時、誰もそんな事言わないよ。言ってて恥ずかしくない?」
「敢えて外すのが僕の流儀。誰にどう思われようと関係ない」
「あっそ」
目を瞑り、さも意味深長に言葉を連ねるルーへげんなりとした顔をするユンヌ。
「でも深入りは止めてね? あんまりやり過ぎると火傷する。警告はしたよ? 人の恋路を邪魔する輩は、ワンちゃんに食べられちゃうかも」
「ははっ、詩の引用かい? 差し詰め、僕はマルに食べられてしまうのかな?」
「大きくなったら或いは……時々、私も先生の所行くから相手してあげるんだけど。ずっと手を甘噛みされちゃうんだ。人の手って美味しいのかな?」
「どうだろうね」
冗談を交えながら歩き始めた二人。少なくともこれで演出は、完了した。後は、物語の登場人物が出揃うのを待つのみ。全ては、人が儚い人生の中で見る夢の泡。その儚さを知るが故に人は、それを大切に思うのだ。




