第伍章 五十歩百歩の概算 2P
一から十までその思いが届く事はない。意味を問うても恐らく、その先に真っ当な答えなどない。それでも声に出し、言葉として相手へ投げ掛けなければ、何も始まらない。それが例え、齟齬に塗れ、すれ違いに苛まれたとしても。人とはそういうものだ。ブランに発破をかけられ、ランディは思いの丈を紡ぎ出す。
「……レザンさん。此度の件、ご迷惑をお掛けしました。改めて謝罪致します。この場を借りて日頃の感謝を。何時も気に掛けて頂いて……これまでこの町でやって行けたのは、偏にレザンさんの尽力の賜物です。困っている時は、さり気なく手を差し伸べてくれて道に迷った時は、進むべき方向を指し示して下さいました。このご恩、ずっと忘れません。これから少しでもお返し出来ればと考えておりました。けれど、ご迷惑を掛けてばかりで……身勝手な行動により、更なるご迷惑を掛けてしまった。ならいっそうの事……俺は……」
俯き、震える声でこの数日で導き出した答えを口にする。既に犯した間違いに対して責任の取りようがなかった。また、これからも町に留まった所で迷惑を掛けてしまうのは目に見えている。ルーとユンヌの件は抜きにレザンへのけじめをつけるにはこれしかなかった。
「やめろ―― それ以上は、言うな」
「俺は――」
「違うんだ。やめてくれ……私は、お前を」
「この町を出てっ――」
「やめろっ!」
怒りがすっと消え、レザンの声色に動揺と不安が入り混じる。目を大きく見開き、首を横に振るレザンの止め立てを無視してランディは、町を出ると言い出す始末。これは、レザンが考えていた以上の最悪な結末だ。こんな事は決して望んでいない。
「お願いだからやめてくれ。私が悪かった。私は……お前の身を按じているだけなのだ」
遂に根負けしてレザンは、深々と頭を下げる。形振りなど構って居られない。ランディをレザンは、失いたくなかった。例え、どんな犠牲を払ったとしてもその手を掴んでおきたかった。とうの昔に失ったと思っていた自身の軌跡を。
「お前を心配しているのだ。お前の行動は、何時も自分の命を軽んじている。例え、私を含め、この町を守る為だったとしても……特に今回は、度が過ぎた。お前が犠牲になったのでは―― 目的が達せられても釣り合いが全く取れない」
「何故、其処まで――」
「愚かな私を許してくれ。今は……今は理由がまだ言えない。でも私は、これまで妻を亡くしてから独りだった。人との会話をずっと忘れていた。取り止めも無い話をする事も殆ど、忘れかけていた。この歳になって改めて思い知ったのだ。人は、独りで生きては行けぬと。この戒めだけが今の私を突き動かしているだけ。他には何もない」
未だ、事実を明かす事は出来ない。けれど、己の本心を吐露するレザン。この想いに嘘偽りはない。その想いだけがレザンを今も突き動かしている。
「……お前の背負っている何かを取り払ってやりたかった。この優しく心地よい時間が少しでも長く続くようにと。だから焦ってしまった。結果、お前の気持ちも顧みずに……お前やブランの手を煩わせた。本当にどうしようもない……」
「俺の方こそっ! レザンさんの言葉に甘えてばかりで……立ち直るきっかけを与えて下さったのに―― 詰まらないやり口でそのご厚意を踏み躙りました」
「お前は、最善を尽くしたかったのだろう? ならば、それで良い。その為の契約だ。私は、後悔していない。だが、一つ我儘を言えるなら――たった一つの望みだ」
互いに詰まらぬ言葉遊びを重ね過ぎた。その所為で思いやりが互いに別な方向へ向かわせ、悲しいすれ違いが起きた。だからレザンは、そのすれ違いを正す為に恥も外聞もかなぐり捨ててたった一つの小さな願いを口にする。
「その契約をこれからは、お前自身の事で使って欲しいのだ。少しずつで良い。大きな何かの為でなく。狡い事でもちっぽけでも良い。ちょっとした自分の願いを叶える為に」
「すみませんでした……」
「いや、私の言葉が足りなかったのだ。お前は十分、良くやっている」
「有難うございます――」
本当は、こんな簡単な会話を交わせばそれで良かったのだ。レザンの温かい思いやりに自然とランディの瞳から涙が流れ落ちる。二人を隔てていた大きな蟠りの壁が氷の様にひとの熱で溶けて行く。その様子を見てブランは、役割が終わった事を悟る。
「この分なら僕らは、要らなそうだね。役名は、終わった。シトロン、撤収だ」
「……えっ? あっ、はいっ!」
「ブラン……済まなかった」
「いいえ、良かったです。レザンさんの本音が聞けて。ランディ、後は問題ないね? 時間が許す限り、思う存分、きちんと話をしなさい」
「はいっ、有難うございます」
微笑みながらシトロンを立たせ、ブランは、そそくさと撤退した。
ブランとシトロンが去り、小さな会議室は、ランディとレザンの二人だけ。残された二人の間に微妙な空気が漂う。鼻を啜りながらランディは、止まらぬ涙を服の袖で拭い、真っすぐレザンを見つめる。
「レザンさんも俺も嘘つきで……本当にどうしようもないですね」
「そうだな……これまでは、偽りに塗れていた。恐らく、これからも当分は、その優しい偽りに甘えるだろう。何故なら互いにまだ、語れぬ事が沢山ある。語るには覚悟が必要だ」
「でも……何時かは、俺もきちんとお話します」
「私も約束しよう。必ず、お前に話をする」
「何時か、本当になるよう――」
「ああ、必ずだ」
偽りの安寧だと言われても否定は出来ない。けれど、互いに話すべき、聞くべき事があると分かっている。今は、それだけで良かった。同じ様に苦しみ、考えていると分かったのだから。ならば、後はその時が来るまで待つのみ。何れ、時が解決してくれ、真実と向き合える。その結果がどうなろうと、笑顔で終わりに出来る。笑顔で改めて手を差し出し合い、契約を結ぶ。より強い結びつきがランディとレザンの間で結ばれた瞬間だった。
*
「ブランさんっ!」
「うん? どうしたの、シトロン」
「今日のこれは何ですか?」
「見ての通りだよ」
時を同じくして会議室を出たブランとシトロンは、並んで役場の廊下を歩いていた。木製の古びた軋む廊下を歩きながらシトロンは、一歩前を歩くブランへ問い掛ける。敢えて言葉を選んだが、シトロンからしてみれば茶番にしか見えなかった。まるで最初から仕組まれたかの様に大団円で終わりを迎えたのだから。そして、その台本は目の前にいるこれまでは頼りない町長だと思っていた得体の知れない男が書いたもの。勿論、シトロンがそう思ってしまうのも尤もである。何せ、背景を全く知らないのだから。
「ブランさんは……何かご存じ何ですか?」
直感的にシトロンは、悟る。目の前の男は、全てを知って居ると。だから常人では考えもつかない芸当が出来るのだと。一方、ブランは振り返る事無く、不気味な雰囲気を漂わせながら口を開く。
「僕が知って居る事? 僕が知って居る事は、本当に限られた一部だ。でもそれは、核心にもっとも近いかもしれない。だからその核心に触れさせる為、仮面を被ってる二人の素顔を引き出そうとしただけ。それ以上の何ものでもない」
「それは分かりますけど……分かるけど。でもあまりにも話が飛躍し過ぎて」
「まあ、君にとってはそうだろうね。でも何れは、こうなる宿命にあったんだ」
「それって……どう言う事ですか?」
「どう言う事だろうね。何でこうなってしまったか。僕に本当の所は、分からない。でもね、全ての引き金は、レザンさんにある。だからレザンさんが悪いのだけは確かだ」
「その訳を……私が聞いても良いですか?」




