第傪章 『Peacefull Life』 3P
ランディは値段を思い出し、はっきりとした声で告げた。他の国々も同じなのだが王国は金本位制を取っており、本位金貨はアークロ金貨。主だった補助貨幣は王国政府が発行しているルボロ紙幣、ラー銀貨、マイセ銅貨。これら三種類が王国で一番使われている通貨だ。レートは一アークロ=一ルボロ=百ラー=十二マイセ。国王が変わるごとに金貨自体の金比重が変わり、レートの変更もあるが流石に劇的な変更はなかった。
因みに『Chanter』は多くの貨幣を流通させるのが面倒なので此処へ来た他の町や都市などから客に小さな銀行や両替商で両替して貰うようにしている。
「新入り君はもうこの町に慣れた?」
アンはバックから財布を取り出しつつ、少し注意散漫な様子で尋ねる。
「ちょっとずつ慣れて参りました」とランディはきっちりと答える。
「うん? ……良かった、良かった。一応ね、この間来た時から新入り君のことは気にかけていたのよ」
銀貨をきっちり十枚ランディへ渡し、アンが言う。
「はい。丁度、三マイセ頂戴致しますね。アンさん、気に掛けて頂いてありがとうございます、これからもどうぞ宜しくお願い致します」
ランディは深く四十五度に頭を下げて礼をする。実を言えば先ほどからの丁寧さは全てセリユーのマネだ。格好良い大人になる為の第一歩だとランディは態々、礼儀正しくしているのだ。しかしランディが大人びた振る舞いをするとどうしても背伸びをしているように見えてしまう。
「ううん、礼儀正しいのは良い、だけど新入り君。一つ忠告しておくよ、礼儀は必要だけどあんまりにも畏まるのもそれはそれで問題なのさ」
深々とお辞儀をするランディの頭を撫でるアン。
「はて、どうしてですか」
頭を上げ、頭に思い浮かんだ疑問を素直に口へと出すランディ。その様子はまるで何でも質問したがる子供のようでアンは不覚にも眦を下げ、口元を緩めた。本当は日常の何気ない行動に潜む子供っぽさが格好良い大人になることを阻害する一番の原因なのだが。
ランディが気付くのは当分先のことだろう。
「良い? 覚えておきなさい、丁寧な言葉は相手に敬意を表すのと同時にその人と壁を作ることになるんだ。私に対しては砕けた喋り方をして頂戴」
やれやれとばかりにアンがランディの質問に出来るだけ懇切丁寧に答えた。
「なるほど、確かに言われてみれば……それは俺自身も共感できる物があります、これからは気をつけるようにしますね」
「そう、それで良し」
自分自身の経験と照らし合わせ、ランディは納得の行く答えを貰ったのでアンの助言に従う。
ランディが王国軍に所属していた頃、任務で各地の町や村などへ派遣されることがあった。そして派遣先ではランディが若輩者にも関わらず町や村の人々は軍人として手厚い応対をして貰ったのだ。王国の軍部は立憲君主制で権力を持つことがなくなってそれでも尚、国の象徴として、または民にとって心の拠り所となり存在する国王と同じくらい絶対の信頼を得ている。 何故なら幾歳月を越えて続けてきた善行の積み重ねやこれまでの戦全てに国防の要として誰よりも先に戦場へ赴き、王国の決して折れることがない剣として戦って来たからだ。
これらが王国軍の揺るぎない権威を支えていた。だがしかし派遣された時ほど、ランディが申し訳なく思ったことはない。その理由は先人の功績の功績による後ろだてが何処でも付いて回り、応対が親切でしかも丁寧。まるで『虎の威を借る狐』になってしまい、ランディの方こそ思わず腰が引けてしまったことが多々あったのだ。今回の話しでは虎の威を借る狐とは直接関係ないが其処までする必要がない丁寧に腰が引けてしまうという部分が重要なのだ。
「そう言えばうちの子とは初対面だったわね。名前はユンヌ、私の娘よ。年も同じだし仲良くしてあげてね。この子ちょっと内気だから」
「おっ、お母さんたら! あっ……えっと―― ユンヌです。宜しくお願いします」
話の間に会計が終わり、ランディが石鹸を紙袋に詰めていると、話題の中心はもう一人の客つまりはアンの娘、ユンヌに変わった。終始、恥ずかしそうにアンの影に隠れていたのだが、一歩アンが身を引き、彼女を前に出し気を悪くするような紹介をしたのでランディに名前を名乗ったのだ。身長はアンよりも更に低い。華奢で見ようによっては十五、六歳と言われても素直に信じてしまうほど幼い。外套の下は簡素なワインレッドのドレスにショートボブの黒髪。目がくりくりとしていているのが印象的だ。
「いえこちらこそ、宜しくお願いしますね。ランディ・マタンと言います、今は住み込みで店員をやっています」
「はい……」
「この子もそれだけはきはきしていたら良いんだけどね。そうだ! 新入り君、暇な時にでもユンヌのことを鍛えておくれよ」
「もう! 私は―― 大丈夫よ」
顔を真っ赤にさせ、腕を下に突っ張りユンヌはアンの言葉を否定するも今にも消え入りそうな声では否定するに足りる元気がない。そんなユンヌをランディは何か考えるようにじっと見つめる。まるで面白いおもちゃを見つけた猫に。
「なっ、何でしか? 私、可笑しいですか」とランディの悪戯な視線にあたふたとするユンヌ。
「いやー、何にもありませんよ。そうだ、折角だし握手! 握手しませんか?」
「うん? ああ。はい、良いですよ……」
含み笑いをしながら握手を提案するランディにユンヌは言葉を尻すぼみになりながらも首を縦に振る。ランディはカウンターから二人の前まで回った。徐に右手を出す。ランディの怪しげな様子に疑うことなく、ユンヌははにかみながらもゆっくりと右手を出し応じるのだが。
「ひゃ!」
それは正にあっという間の出来事。ユンヌは何故か、身体全体にふんわりと風を感じた。
理由は至極簡単でランディが差し出した右手でユンヌを引き込むと背中からやんわり抱き締めたからだ。そして少し腕に力を込め、ギュッと更に抱き締めたランディの一言が。
「まるでお人形さんですね―― めちゃくちゃ可愛いです!」
突然の出来事でユンヌはリスのように視線をきょろきょろするばかりで反応が追いつかない。
「そうでしょ、そうでしょ。この子は本当にお人形みたいでね。若い頃の私そっくりなんだよ」
「ははあ、なるほど」
アンには何となく予想が出来ていたので何でもないようににやりと笑うと眉を片方だけ上げ、過去の自分を似た自慢に娘だと答える。結論から言うとランディはユンヌの内気を治すという名目で抱きついたのだ。不思議と大抵の人間は大胆なスキンシップを幾度もされていくうち、心の中には慣れが生まれ、その慣れはされた側の行動にも次第に反映されていく。
これを続けて行けば次第にユンヌも大抵のことにはびくつかなくなるだろう。だがしかし抱きついたのは良いが、ランディにはユンヌの体温が赤ん坊のように熱く感じた。
「ああああ――――」
熱でもあるのかとランディがユンヌの顔を覗き込むと彼女の顔は今まで以上の赤が広がっていた。今更な心配をするランディと自身の放つ早鐘のように忙しい鼓動に戸惑うユンヌ。また、ユンヌの頭にはランディの変わらず一定のリズムを刻み続ける憎たらしい鼓動が響いている。漸く自分の置かれている状況が理解出来たようで恥ずかしさで頭がショートしかかっていたのだ。
「こんなに顔を赤くしちゃって、本当に可愛らしい方であっ、痛!」
こうなれば行ける所まで行こうかとユンヌを猫可愛がりをする。そんな阿呆に正義の鉄槌は唐突に下された。悲鳴を上げて前へ二、三歩よろめき、つんのめるとランディはユンヌを離す。
「……何やってんのよ、ランディ」
あまり図に乗るのはよろしくない。後で必ずその報いが来るのだから。
そう、因果応報とはこのことだ。
「フッ、フルール? 何故、此処に……」




