第肆章 止まらぬ心の声 8P
「ランディくんは優しいから……だからそっと遠くに離して置くんでしょ? でも居ても居なくても心が苦しいのは、変わらないの。一度でも知り合ってしまったら頭に過ぎるから。何時か、時が癒してくれるかもしれないけどね。だから私は、ランディくんが間違ってると絶対に言えない。でも終わらせるならフルールにもランディくんにももっと笑顔で終わるやり方ってあると思う。だからもう少し考えてあげて」
「なかなか、含蓄があるご意見だ。流石、教師。言う事が違う」
「喧しい」
この惨憺たる終焉よりもより良き終わりがあっても良い筈だとユンヌは、訴えかける。熱くなって先走るルーとユンヌ。されど、ランディは最初から乗り気ではなかった。そもそも土台から二人は、間違えていた。ランディにその意思がない事を想定すべきであったのだ。
「……いや、君たちは、分かってないよ。ルー、君は人の頭を踏み潰して地面に真っ赤な花を咲かせた事はあるかい? 腕や足を一本ずつ、切り落としたりした事は?」
「……ないよ」
空気ががらりと変わる。ランディは、己の意思をはっきりと伝える。浮ついた話ではなく、現実の問題として自分が関わりを持ってはいけない人間であると理解させるべきだと判断した。虚ろな目で思い出したくもない忌々しい記憶を引っ張り出し、ゆっくりとそれを言葉として形にする。
「そうか……俺は、つい先日実践したばかりなんだ。目の前で沢山、血しぶきを見たよ。勿論、あの日だけじゃない。それ以外にもこれまで非人道的な行いを平気でやってるんだ。これを聞いて君たちの瞳に俺は、どの様に映るかな?」
修辞的な疑問文と言えば良いだろうか。答えなど、想像に難くない。
「もし……もし、人でなしの化け物だと思ったのなら正解だよ」
認めたくは無かった。されど、事実だ。己が辿った道のりを振り返ってみれば、明らかなのだから。誰の所為でもない。自分が選んで来た道だ。
「切った肉の感触。血と脂で手が滑るんだよ。もっと前の出来事は、本当に酷かったな。鼻は、血と硝煙の臭い。視界は、土煙と襲い掛かって来る敵で満たされ、聞えて来るのは、大きな炸裂音と怒号のみ。心は、疲弊と恐怖に支配され、狂気と背中合わせ。中途半端に死にきれないけど、誰が見ても一思いに殺してくれと思ってしまう怪我を平気で相手に負わせたり。勿論、逆も然り。一歩間違えれば、自分がそうなる」
「やめて……」
夜の帳に包まれ、町の喧騒も遠のき、聞えて来るのは、風が窓を揺らす音だけ。そして、頼りなく揺れる燭台の灯火だけが、頼みの綱。これが消えてしまえば、一気に暗闇が迫り来る。俯き、陰るランディの顔。ランディの背後からまるで見えないナニカが手を伸ばし、暗がりに引き込もうとしているかの様に感じられた。そう、二人の目の前に居るのは、戦場に取り憑かれた幽鬼なのだ。不安に駆られ、ユンヌは大きな目を見開き、か細い声でランディの話を遮ろうとするも止まらない。誰も止める事は、出来ない。
「例えば……なまじ、避けられるから。超至近距離から確実に。頭に銃口を突き付けて引き金を引くと、白い塊と赤いのが飛び散る。まあ……脳みそ何だけどね。なかなか、糞ったれな情景だよ。この世の地獄ってこう言う事だろう。想像してみなよ。目の前にいる俺の頭に風穴が空いた姿を。腹から長い内臓がはみ出して口から血が止めどなく流れる様を。横たわり、次第に弱くなる呼吸と脈拍、生気を失い、虚ろな瞳。さっきまで普通に生きていた人間の……命の灯が消えるその最後の瞬間を。そんでもってそんな惨状を見た後でもこうやって食卓を囲んでも俺は、何ら問題ない。この炙ってある肉も平気で美味しく食べられる」
寂しげな顔で締めくくると、ランディは机に乗った肉に手を伸ばし、噛み千切る。何度か咀嚼して飲み込むと、麦酒にも手を伸ばし、一気に飲み干す。飲まなければやって居られない。忘れようとしても忘れられない呪縛だ。
「っ……」
居ても立っても居られず、青ざめた顔で口元を抑え、外へと飛び出すユンヌ。その後ろ姿を見送り、ランディはルーを睨みつける。優しげな雰囲気を漂わせる茶色の瞳はもうない。
「分かるだろう? 本来なら俺は、あの子に関わっちゃいけない人種だ。勿論、それは――」
「……本当に無神経な奴だ。仮にも食事中だぞ? ましてや、あれでも女性だからね。君の所為でユンヌ、お手洗いに駆け込んじゃったじゃないか?」
ルーは、きっぱりとランディの言葉を遮る。ランディの目の前に居るのは、強い決意を青い瞳に宿したルーの姿。決して揺るがないルーにランディは、動揺する。
「……話を逸らすな! はっきり言おう。フルールは、俺の事を知ろうとしちゃいけない。これでも簡略化した心算だ。もっと、深く知れば知る程、抜け出せなくなる。君たちも同じだ。こんな事をしても無駄なんだ。始めから終りが来る事は、分かって居た。俺からしてみれば、それが早いか遅いかの違いに過ぎない」
「いや、そもそも君が話を逸らしたんだ。僕は、君に非を認める様、言及している。その過程がどうだろうと関係ないね。それは、あの子が君から聞いて考える事。今、君が勝手に決めて除け者にする権限は無い。だって君たちの関係に上も下もないのだから。さっきも言ったけど、君は恐れているんだ。人を傷つける事に。それと同じくらい人から傷つけられる事も。無駄だよ。恐れたってどんなに頑張っても人が人を傷つけない世界は、存在しない」
ランディの言葉を否定し、ルーは真っすぐ言葉を心臓に突き立てる。そこからじわりじわりと温かい何かがランディの中へ沁み出して来る。
「君のそれは醜い悪足掻きだ。好い加減、覚悟しろよ。実際、君が直接的に手を下しているだけで僕らも同罪なんだ。宛ら僕らは、君の努力の上で惰眠を貪っている愚者だろう。本来なら権利の上に眠る者は、保護されるべきじゃない。そう法哲学においても答えが出ている。君は、自分の事を醜く思うのかもしれない。だけど、僕らはもっと醜い存在だ」
想定していなかった目の前の状況にランディの頭の中が真っ白になる。否定され、疎まれるに違いないと思い込んでいた。醜い己を晒しても未だ、見捨ててくれない。その救済に本来ならば感謝すべきだろう。けれどランディは、落胆した。
「君が背負っているモノは、君だけのモノじゃない。せめてもと言ってはあれだけど……少しで良いから教えてくれ。この世界の歪んだ仕組みの一端を。君の苦悩を。それにさっきの軟弱者なユンヌは受け止め切れなかったけど……今は、違うさ」
「そうだね。今のは、良くなかった。ルーの言う通り。ごめんね、ランディくん。すっかり甘えちゃってた。ただし、事前にルーから聞かされたより何倍も衝撃的だったけど……」
「……」
高い声色がランディの後ろから聞え、振り返ってみれば、ユンヌの姿があった。何事もなかったかの様に振舞うルーは、ユンヌの一言に肩を竦める。ゆっくりと元居た場所へ座るユンヌ。ルーは、席に着くのを見届け、新たなジョッキに葡萄酒を注いでやる。渡されたジョッキを受け取り、小さな口に葡萄酒を運び、一息つくユンヌ。
「一応、説明はした心算だよ?」
「覚悟してって一言だけなのは、説明とは言わないの」
「言ったら驚きが無くなるじゃないか?」
「そんな驚き、要らない」
ランディ抜きで和気藹々と軽口を叩き合う二人。二人の姿にランディの感情は、更に負の方向へ傾いて行く。




