第肆章 止まらぬ心の声 7P
「……」
「あんまり本人が居ない場所でこういう事、言いたくないけど……すっごく落ち込んでる。隠してるんだろうけど、ぼんやりしている事が多いの」
「そんな日もあるんじゃない?」
「あくまでも君がそう言う反抗的な姿勢を崩さないならとことんやろうじゃないか。僕は、好きだよ。じわじわと追い詰めて逃げ場をなくすの。最後は、跪いて許しを請わせてやる」
「ほんと、性格悪い。サイテー。でも今日だけは、許します」
「上長からの許可が出た。さて、どうしたものか? この糞野郎。もう、状況証拠は揃ってる。ブランさんからの証言もあるんだぞ? こうやってふざけている間に吐かないと、どんどん僕らは、本気になる。大人なら引き際を弁えたまえ。そもそも負け戦なんだから」
言いたい放題。今の状況はその言葉を現実のものとしている。あくまでも姿勢を変えず、開き直るランディに対して珍しく息を合わせて文句を垂れるルーとユンヌ。冗談を交えながら真面目に叱る二人を見て何時もこうなら話は簡単なのにとぼんやりと考えるランディ。
「俺の個人的な話だ。君たちに関係ないだろう?」
大きな溜息を一つ吐いた後、ランディはぴしゃりと跳ねのける。喚いて喉が渇いたのか示し合わせたかのように目の前の杯を手にして一気に中身の麦酒を煽る。二人とも鼻の下の泡を拭う。それからルーは手櫛で髪を騒がしく掻き毟り、埒が明かない状況へ苛立ちを隠さない。一方、あくまでも冷静なユンヌが口を開く。
「私は、そうじゃない。大切な親友、傷つけられたの。実は、これでも抑えてる。だってランディ君も友達だから。只の喧嘩なら私も間に入らない……でも今回は、そうじゃない」
控えめな胸元に手を置いて一呼吸、置いた後。思い切ってユンヌは、問う。
「何をしたの? 何をしなかったの?」
「どうせ、格好つけただけさ。馬鹿だからしょうもない理屈を自分で組み立てるのが好きなんでね。その道が正しいと盲信した結果だよ。差し当たりは、自分の手で傷つけたくないから無責任に遠くへ追い遣ったんだ。どちらにせよ、傷つけるのには変わりないのにね」
目元に指を当て、大きく椅子の背凭れに寄り掛かり、疲れた声でランディの考えを代弁するルー。いとも簡単に看破され、ランディを心の中で舌打ちをする。互いに手の内を読み合える気の置けない友だからこそ、今はそれが裏目に出ていた。
「僕には、君の考えが手に取る様に分かる」
「それってどう言う事? 話が飛躍し過ぎて分からない」
目を細め、ランディを見下すルーは、食卓の上に置かれた食べ物へ手を伸ばす。悩んだ末に干し肉を一切れ、口元へ運んで豪快に噛み千切り、噛み締めた後、麦酒で流し込む。その横でユンヌは、可愛らしく首を傾げ、困惑していた。
「ごめん。確かにこれは、僕とランディしか共有出来ていない考え方だ。つまりはさ、今回の件、どうしても避けられない危難だったよ……誰かが動くしかない事だったと僕も思う。多分、気付いた人が対応すれば、誰でも良かったんだ。でも偶々、ランディだったから最小限に抑えられた。これは、揺るぎない事実だ……因みに特別講師には、何があったかまで説明はしてあるからね。悪しからず」
包み隠さず、此度の出来事を話し出すルーにランディは、睨んだ。ランディを尻目に素知らぬ顔でルーは、補足の説明を加える。
「それで?」
「でもその事実を好ましく思っていない人が居る……敢えて誰とは言わないけど。何故なら後でランディが苦しむのは、目に見えているから。もう、そんな実例が大なり小なり何度も起きてるからね。ユンヌも身に覚えがあるでしょ?」
「確かに……」
「それを隣で見て来た者にとっては、どれだけ苦痛を伴うか。どれだけ手を差し伸べて掬い上げようとしても空を掴むだけ。ユンヌは知らないだろうけど、ランディは、強い外傷体験持ちで時折、それが顔を覗かせるんだよ。人らしさを取り戻させる度にその負の遺産が全てを亡きものとする。しかもそれら全ては、ランディの所為じゃない。全くもって不毛だ」
わざとらしく語り部の口調でルーから見た第三者からの視点での状況説明にユンヌは合点が行った。此処まで来れば最早、語る事もないのだが、ルーは最後まで話を止めず、真相に迫る。ランディへ己の罪を自覚させる為に。
「だから君は、この延々と続く終わりの見えない戦いからフルールを遠ざけたかったんだ。だって根本的な解決方法がないんだもの。それならいっそうの事、捨ててしまえば良い。そしたらもう傷つける事もないし……何より、自分がその狭間で苛まれ、傷つかずに済む」
そして、最後に付け加える。
「結論から言えば、逃げ出したのさ。ランディは」
嫌な沈黙が詰所内に漂う。そう、ルーの指摘は全て事実だ。ランディも言い逃れが出来ない。されど、それしか選択肢がなかったのだ。これ以上、傷つける事無く、そのままの彼女であって欲しい。そのちっぽけな願いを叶える為には。
「公私を分けて考えるなら……君は良くやってるよ。無いものだらけの状況で現実的な選択を問題の根っこが深くなる前に選んだと評価しよう。公の立場としてみるならね。でも一個人として僕からの見解は、最悪の愚策だと言わざるを得ない。正直に言おう。どんな関係でも成熟すれば、次第に恒常化した流れが出来る。君とフルールの場合。君を知りたいとフルールが思う限り……君が何か事に当たり、その辻褄合わせをフルールに求めているならこの不毛な流れは、ずっと続く。そうさ、ずっとだ。寧ろ……それを許容し、傷付ける事を―― 傷付けられる事をお互いに受け入れたら」
「受け入れたら?」
「その先は、僕も分かんないね。やった事ないし。何でも僕が知ってると思わないでくれ」
「何か偉そうな事、言ってそれ? がっかり」
「……」
最後の答えを明かすことなく、ルーは言葉を濁す。珍しく頼りになると思えば、尻すぼみになってユンヌは、落胆する。寧ろ、其処から先の話をする為にルーは、ユンヌを招いたのだ。自分やランディの出せない答えを導き出す足掛かりをユンヌに求めて。
「まあ、その領域に達した先駆者は、数多と存在する。触れる事すらも叶わないランディも僕もまだまだ、やはり未熟者と言う訳さ。けれどもこの世は、その未熟さをむやみやたらに断罪したりはしない。間違う事を許容してくれている。でも間違ったのなら何処かで辻褄を合わせないと。だから僕は、その辻褄を合わせに来たのさ。大いに間違えて結構。前にも言ったけど、其の度に頬をぶん殴って正気に戻させてやる」
「えっ、何これ? そんな男の友情的な恥ずかしい話だったの? 私、要らないよ」
「いや、必要なんだ。この禄でもない問題に女性代表として忌憚のないご意見をお聞きかせ願いたい訳だ。ばっさり切り捨てて貰って構わない。人の気持ちを考える事を止め、思い通りにしたいが為に寸劇を演じ続ける僕ら迷える子羊へ是非、現実って奴をご教授頂きたい」
「其処まで言われたら仕方がない」
遜り、ルーはユンヌを煽てる。引き出しは多ければ、多い方が良い。ましてや、異性の意見は、貴重だ。男二人、情けない事に袋小路で迷いに迷っている。恐らく、ユンヌならフルールの想いに共感しているから寄り添った意見を教えてくれる。
「まあ、気持ちは分からなくもないよ。私だって聞いている限り……答え、分かんない」
勿論、即答出来る問題ではない。複雑な感情をすんなりと解き解せるならば、問題にはならない。ユンヌは、顎に右手を添えて考え込んだ後、何か思いつき、穏やかに微笑む。




