第肆章 止まらぬ心の声 4P
何処までも愚直に持論を述べるランディにブランは、呆れ返る。しかしながらその愚直さがあったからこれまで窮地を紙一重で交わせている。安易な考えで無下にも出来ず、渋々ながらブランも頷いた。
「さて、話も纏まった事だし。何時までも君を引き留めるのは気が引ける。さあ、気分転換に町を歩くと良い。夕暮れ時とは言え、折角の良い天気だ。外の空気を吸って体の感覚を取り戻すにも頃合いはバッチリだ。ずっと瓶詰状態だったのだろう?」
これで話が終わったと判断し、ブランは、ランディを解放しようとしたのだが、ランディは未だ、真っすぐブランを見つめ、直立不動のまま。一呼吸置き、ランディは話を切り出す。
「てっきり。俺は、譴責が待っていると思って居ました」
「えっ? 僕、君を雇ってないからそんな権限無いよ。もし、ルー君であったならそれなりの懲戒処分が下せるけどね。君の雇い主は、レザンさんだろう? 既にレザンさんから罰は言い渡されているでしょ? 僕からは何もないよ。もう、君だって叱られて反省を促される年頃じゃないし。それとも何か必要かい? 随分と欲しがりだね」
鼻で笑うブランの指摘を受け、黙って首を横に振るランディ。己自身の反省を促す為ではなく、此度の出来事の責任を負う立場として何か罰があって然るべきとランディは、考えていた。されど、ブランも鬼ではない。怪我人に鞭を打つような真似は、決してしない。ましてや、ランディの顔を見れば、既に重く受け止めている事は、分かり切っていた。だからこれ以上、何かする心算は、毛頭ない。
「まあ、仕事もなくて謹慎ともなれば、やる事もなくて時間を持て余すだけだ。なら、僕からも一つ。謹慎期間中の奉仕活動を命じる。ぶらぶらと歩き回っている間に困っている人を見かけたら手を差し伸べる事。どんな事でも良いから。宜しくね」
「それだけですか? こんなにご迷惑をお掛けしたのに……」
「僕は、軍人でもなければ、君の上官でもない。この町に規律何てあってないようなもんさ。無茶しただけで罪を犯した訳でもないし。それはそれで悪いんだけどね。きっちり反省して」
「はい」
腑に落ちないランディへブランは、穏やかに諭す。まるでその受け止める姿勢は、軍人用で本来の町民でとある店の一店員としてはかけ離れている。ランディの存在がこの町に受け入れられているのは、戦事に有用だからではない。きちんと一人の人間として必要とされている事も忘れてはならないと戒めの意味もあった。
「逆に今の君は、研ぎ澄まされ過ぎている。この町へ来た時よりも更に。何処か他人行儀な雰囲気を漂わせているし、返事は短く明朗で表情も硬い。極めつけは、幾ら座るよう勧めても直立不動のまま。君、怪我人だからね? 分かってる? その尖った気迫の所為で軍靴の音が聞こえて来るようだ。少し肩の力を抜き給え」
今のランディを見てブランは、溜息を一つ。これまで積み重ねた努力が無駄になっていた。穏やかに笑う青年としての姿は消え去り、これまで薄暗い闇に潜んでいた戦鬼の一面が表に出ている。それは、あの盗賊団と一戦を交えた時よりも更に鋭く、狂気と正気の狭間で怪しく輝くその眼にブランは、恐れ戦く。
「はい」
「これだけ言っても……君は。本当に頑固だな」
「親に似たのかもしれません」
「あるある。場都合が悪い時は、全部、親の所為。ウチのじゃじゃ馬たちもそうだ」
「この場に居なくて責任転嫁が出来る落としどころとしては好都合なので」
「ほう、言うじゃないか」
詰まらない言い訳にブランは、辟易する。其処まで生意気な若者であろうとするのならば、ブランにも考えがある。少し灸を据えてやろうと考えた末、とある罰を言い渡した。
「そうだね。奉仕活動だけで足りないと言うのならもう一つ、君へ罰を言い渡そう。今から僕の軽食を買って来て。まだ、仕事が片付きそうになくてね。場合によっては、帰るのが夜更けになりそうだから。うーん。今日の気分は……パンだなあ。パンが食べたい」
「っ……それだけで宜しいですか?」
あからさまな動揺を見せるランディ。思ってもみなかった罰に心が揺さぶられる。どんな罰でも大歓迎であった。されど、こればかりは違う。ずっと避けて来た現実と向き合えとブランは言っている。実は、ルーから警告があった後、フルールは一度も姿を現さなかった。これがどう言う意味を持つか、馬鹿なランディにも察しがついている。
「うん。どうやら今日は、パン屋の看板娘が月に一度しか作らない特別なパンが出ているらしい。お金は、これで大丈夫かな? 余った釣銭は、君に上げるから。よろしゅう!」
「畏まりました。では、行って参ります」
「事件後、一度も会って話をしてないのだろう?」
その事情も知った上でブランは、ランディに苦難の道を突き付ける。勿論、ブランどうこうではなく、避けて通れない道なのだ。寧ろ、機会を与えて貰った事に感謝すべきか。
「そうですね……なかなか都合が合わず」
「猶更、行った方が良い」
優しく微笑むブランの見送りを背に松葉杖を手にしたランディは、くるりと後ろを向いて扉を目指す。足取りは、重い。何せ、これから起こりうる事は、手に取るように分かるのだから。
「心して掛かれよ、若人。君が思って居る以上に事態は、深刻だ」
執務室で独りになったブランは、神妙な面持ちで小さく呟く。
「まあ、それは僕も一緒か。全くもって君のお爺様を説得するのは、骨が折れるぞ。子離れは、誰よりも完璧に済ませた癖に孫溺愛して拗らせてるんだからしょうもない」
大きく伸びをして少し窓の外の景色を眺めた後、ブランは机の上の書類と格闘を始める。そう、ブランもこれから高き壁に挑まねばならない。それぞれの地味で決着の見えない戦いが始まった。
*
「疲れた。病み上がりには、堪える」
役場を後にしたランディは、ゆっくりと杖を突きながら大通りを進む。矢張り、無理は答えるものだ。見栄を張って体裁を繕えば、疲れも出る。重い足取りとは裏腹に町へ流れ込む温かい追い風がランディの背を押す。
「これだけで済んだと思えば、怪我の何とやらか。ほんとに怪我してるから笑えないけど」
何時もの冴えない冗談も今は、更に冴えない。
『何より、間抜け面を晒しながらこの風景を見ていられるのだから文句は言えない』
けれども力を尽くした甲斐はあった。今も変わらないこの穏やかな風景を眺めて居られるのだから。それがランディにとって唯一の救いでもあった。
「ふう――」
されど、見慣れた光景な筈なのに何故かまた遠く感じる。祭りの一件を経てやっと距離を縮められたと思って居たが、気付けばまた遠くに離れていた。この挫折を味わうのは、何度目だろうか。抗った結果、得られたものが己の手からまた零れ落ちて行くのを呆然と見つめるだけしか出来ない。また、以前はなかった此度の出来事で己に対しての疑心暗鬼に駆られている。戦事に魅入られて行く内に己自身も戦いを求める様になっているのではないかと疑っているのだ。本心ではそうでないと思い続けている。だが、否定出来る判断材料が無い。
「手を伸ばせば、直ぐ近くなのに……」
遠い。
様々な感情が入り混じり、己が酷く醜い存在であると再認識した。止まらぬ心の声が叫ぶ。
どうすれば良い。今の安寧を求めるばかりで先行きが見通せない。足元がぐらついてそれが負の連鎖となり、深みに嵌って行く。
「はあ――」
気が乗らないまま、大通りを抜けて何度も歩いた家路へ続く小道を歩く。目的の場所はその道すがら。日差しと日影が入り混じる小道は、まるでランディの心模様を表しているかのように見えた。そして小道を抜け、目指す家屋が見えてくれば自然と心臓の鼓動も早くなる。




