第肆章 止まらぬ心の声 2P
乾いた笑いを漏らし、自然と冷汗を掻いていたのか、額を震える右手で拭うブラン。想像以上の恐怖を思い知ったのだろう。知識として知っておくだけに留めていた化物が直ぐ近くに迫って居たと聞かされれば、震え上がるのも無理はない。
「それでその発症者が今回の襲撃者と言う訳だね?」
「そうです。レザンさんにも襲撃者がそれらである事は、ご説明しています。既に『狂戦士』の域を超え、自我を失っておりました。もう、止める手立ては殲滅以外、ありません」
「ふむ……」
「幸い、士官学校を抜け出した時に黙って頂戴した装備を使い、事へ当たりました。勝算は、あまりありませんでしたが。最後は、粘って何とか。もう、心配はありません」
事の顛末を聞かされれば、聞かされる程に目の前にいるランディが化物に対応出来る実力を持った己の理解の及ばないナニカでその得体の知れない力に恐怖を覚えるブラン。知らないと言う事実は、恐怖を産む。それがどんなに近しい間柄の人間でも。ましてや、ブランの場合、中途半端に情報を持っているが故、憶測が憶測を呼び、混迷の只中に突き落されてしまっていた。されど、今はぐっと飲み込み、話を進めるしかない。
「途中経過に関しては、君も必死だっただろうから聞き取りをしてもまともな証言は、出てこないだろう。また、殆どの町民は、あの災厄と無縁で……知る由もないんだ。襲撃者も只の賊と偽って君が怪我をした理由は、適当な言い訳を付ければ良い。ぶっちゃけ、如何様にも取り繕えるからね。結果として出ている以上、過程は誰も気にしない。何より、一番の要因が突出しているから」
そう。この恐怖を知って居るのは、ほぼブランのみ。そして事実をランディから聞きだせたのも同様だ。ならば、隠しおおせれば問題ない。
「そうなると、やはり一番の問題は、君が襲来に際してどうそれを予期したのかだね」
事の真相を知る為。ブランは、敢えて踏み込んだ。町の長としての矜持がそうさせる。その先にどんな結末が待って居ようとも停滞は、己が一番許さない。
「実際の所、君はどうやってそれを知り得たのか? それが一番の問題なんだよ。今更の報告で申し訳ないんだけど、数日前から異変はあったんだ。僕もルーから話を聞くまでは、気付かなかった。野生動物の死骸が多数、見つかっていた。死骸には、あからさまに人為的な外傷があったとも。まあ、これだけなら誰も町の襲来に辿り着ける筈もない」
覚悟を見せたブランにランディは、大きく息を吸い込み、己も覚悟を決める。どうせ、隠し通せる筈も無かった。ならば、信頼の置けるブランに知って貰いたい。勿論、一番に知って貰いたい人は、別に居る。けれど、今はそれを伝える事が出来なかった。何故ならその人は、この町で平凡な自分として生きられる魂の拠り所であったから。その人の前では、何時までも何処にでもいる馬鹿な青年でありたかったのだ。
「今は……これしかブランさんから受けた温情へ報いる事が出来ません」
「うん? それは、どういう……」
深々と息を吐いた後、ランディは、その眼に蒼を滲ませた。その瞬間、窓も開けていないのにも関わらず、執務室の埃臭い空気が一掃され、冷えて澄んだものに変わる。同時にランディの周辺を幾つもの蒼の粒子が点滅しながら優しく漂う。ランディは、悲しげに微笑んだ。
これでもう後戻りは出来ない。物語は、更に進む。
「まさかっ! そんな訳が……君はっ!」
「そうです。そのまさかって奴です」
ランディの変貌にブランは、目を大きく見開き、驚きを隠せない。口をあんぐりと開け、目の前の光景に見入ってしまっていた。暫くの間、力を開放し、十分に見せた後、ランディは静かに瞳の色を茶色に戻した。すると、室内には、何処からか埃臭さが舞い戻って来る。
「ははっ……その力、神の御業に等しい『武神の加護』があれば、『焦がれ』なんぞ、敵でも何でもない。寧ろ、君が奴らの天敵そのものなのだから」
「はい」
「騎士は、何も対外的な威嚇だけがその存在意義ではない。王国内を正常に整える自浄作用としても裏側で機能している。暴走した同胞を止める唯一にして最後の手立てでもある」
すんなりと全ての憶測が溶け去り、ブランは落ち着きを取り戻す。ランディが見せつけた特異体質は、影響力のある力だ。以前、ルーや日曜学校でも話をした事もあったが、古の時代から語り継がれ、時に救国の偉人として扱われている事もあった。ランディ自身にそれ程の自覚はない。けれど、誰もが認める王国最強の要として今もその名を国内に限らず轟かせている。その逸材たちと肩を並べているとブランに信頼の証として包み隠さず、打ち明けた。
「……士官学校と言うのも嘘かな?」
「厳密に言えば、当たらずと雖も遠からずでしょうか」
「其処は、些細な違いか。正確には、騎士候補生だった。そうだね?」
「正解です」
ブランの問いにランディは、頷く。
「賊の時もその力があったからこそ……か。さっきも言ったように騎士の中でも君は、更に特別な存在だったとは……御見それしたよ。素直に言葉も出ない」
机の引き出しからパイプを取り出し、一服を始めるブラン。肩の力が抜け、疲れが押し寄せて来たのだろう。同じ姿勢をし続け、疲れが出て来たランディも大きく伸びをする。
「そうですね。今は、これだけしかお教え出来ません。確実に言える事があるとすれば、決して皆さんを害する脅威では、ありません。それだけは、信じて下さい。また、此処へ来たのも偶然です。国の意向は、全く関係ありません」
眉間に深々と皺を寄せながら紫煙と戯れるブランにランディは、身の潔白を証明する為、補足で説明をする。その説明を聞き、ブランは噴出した。
「ははっ、僕を馬鹿にしないでくれ。信じるも信じないも君と言う存在は、絶対的なものだ。僕らの信頼云々の次元じゃあ、揺るがない。何せ、人を正しき方向へ導くものだから。それは、遥か昔から言い伝えられてきた」
「人よりも少し変わっているから神輿として担ぎ上げられているだけです」
「本の世界から飛び出して来た半分、伝説みたいな存在が何を言うんだい? 僕も……直にお目にかかるのは、初めてだ。だって、現存するのは二人だけだもの。恐悦至極って奴だ」
「詰まらない語り手が余計な尾ひれを付け加えているだけです。ご存知の通り。蓋を開けてみれば、本当にしょうもないんですよ」
肩を竦め、ランディは苦笑いをした。偉人の面影を追われても今のランディには、そんな雰囲気は微塵も見いだせない。何処まで行ってもランディは、ランディであり、それ以上でもそれ以下でもない。ちっぽけな存在であると自覚している。
「因みに今更だとは思いますが、都から何かしらお達しが来ているのでは?」
「既に君の捜索願が出ている。そりゃあ、そうだ。国軍は、君を手放したくない筈だよ」
「手が回ったら俺は、この町を出ます。皆さんにご迷惑が掛からないよう。いざとなれば、如何様にでも出来ます。未だ、彼奴に俺の手綱は、握れていません」
「それこそ、君と対等に戦えるのは『守護騎士』や『神剣』くらいじゃないか?」
「『守護騎士』程度なら幾ら頭数を揃えて此方へ来ても何かの片手間でどうとでも。『神剣』との正面切っての戦闘は……避けたいですね。かなり骨が折れるので。勿論、単純に逃げおおせるだけなら誰が何人寄越されても問題ありません」
「そうか、そうか。それは心強い」




