第肆章 止まらぬ心の声 1P
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「さて、今回の件。早速だけど、君が答えられる範囲で結構だ。説明をして貰いたい」
約束の五日後。ランディは、きっかり時間を守ってブランの執務室に出向いた。室内は、既に薄暗く辛うじて西日のお蔭で顔が判別出来る。ブランは、ゆっくりと机の上の燭台に火を付けながらランディに問う。少し明るくなった室内で皺を伸ばした長袖の白いシャツとパンツ姿で襟元にはループタイをつけ、何時もより格式ばった格好のランディは、松葉杖を壁に立て掛けて直立不動のまま、ブランを真っすぐ見つめ、固い表情を崩さず、黙り込む。何処から話せば良いか分からない。本来ならば、事の顛末を時系列順に話せば良い。けれど、今回は違う。ブランが何処まで情報を得ているか、はたまた何を知りたいのか分からない以上、その問い掛けを待つ以上にランディの選択肢は無い。いつも通りの背広と今日は、珍しく真っ白なシャツ姿のブランは、神妙な面持ちで大きな溜息を一つ。
「……と聞いてもその表情からして恐らく、返答は難しいのだろうね」
ブランもこのだんまり合戦に突入する事は、分かって居た。ランディにとっては、一つも間違いを犯せない大事な瞬間だ。間違えれば、簡単に信頼を失ってしまうと思い込んでしまっている。ブランとしては、そんな心算は毛頭ない。シトロンやルー、その他に多数の情報筋からそれとなく現況を聞き出し、窮地に陥っているランディを救う為に手を差し伸べようとしている。それがこれだけ警戒されてしまっては、手も足も出ない。
「試しにと言う言葉は、失礼かもしれないが。敢えて言わせて貰おう。僕と一緒に今回の出来事を検証してみないか? 言えない部分があったら口を噤んで貰って一向に構わない。分かる所は、明確にしようと言う作業だ。どうかな?」
「……それで宜しければ」
声色を変え、努めて明るく振る舞うブラン。せっついた所でレザンの二の舞は目に見えている。時間が許す限り、寄り添って同じ立ち位置で同じものを見ていると訴え掛け続けるしかない。根気のいる手法だがそれに見合うだけの価値をブランは、既に見出している。
「助かるよ。僕にも説明する責任があるんだ。結局、町を巻き込んでの大事になってしまったからね。本当だったら君は、それも加味して黙って行く心算だったのだろう?」
「……」
「沈黙は、肯定と取っても良いかな? もしかすると、その選択肢は、正しかったのかもしれない。その場合でも君は、上手く場を調整して何事もなかった事にしてくれる。水面下で収めてくれれば、問題は問題にならないからね」
書斎机の上に置いてあったカップを手に取り、飲み物に口を付けた後、話を続けるブラン。
「でも、それは駄目だったと思う。皆が知らぬ所で君が戦い、勝ったとしても君は傷つき、瀕死の状態でこの町に帰って来ただろう。そうなれば、もっと話は大きくなる」
目を瞑り、表情に疲れを見せるブラン。此度の案件で相当に手を回してくれたのだろう。その尽力を前にランディは、申し訳なくなった。どれだけ背負い込んでも自分の与り知らぬ所までは、手を回せない。その結果がこれだ。己の無力さを嫌でも痛感させられる。
「だから僕は、その選択肢に自発的に介在してくれたルー君やノアに感謝している。僕には、出来なかっただろう。何せ、知る由もなかったのだから」
されど、そんな苦境を強いられてもランディを見捨てる事無く、気遣い、目を掛けてくれている。切り捨ててしまえば、簡単な話で終わるのだ。寧ろ、ランディは、それを望んでいる。最小限の犠牲として己の存在意義を見出せるのならば御の字だ。この状況は、ランディの望むところではない。
「まあ、君としては、どちらでも良かったのかもしれないね? 差し迫った脅威を排除出来ればそれで。もしかすると、最初から君は、最小限の犠牲として己を差し出す心算だった。面倒事が済んだらこの町から姿を消す事も視野にいれていたかもしれない。居なくなって直ぐは、揉めに揉めるだろうけど、いずれ自然消滅してしまうから」
稚拙な目論見を看破され、ランディは下を向く。一歩後ろから俯瞰的な視点で状況を見据えるブランからしてみれば、ランディの考える事など、手に取る様に分かってしまう。勿論、限られた選択肢と刻一刻と迫る危難の狭間で与えられた少ない猶予で編み出した解決策だったから見破られるのは当然だ。
「まあ、こんな事を今更、うだうだ言っても仕方がない。もう、終わった事だし。君もそうだ。状況は、動いている。逃げ道を断たれた以上、君もきっちりと解決しなければならない。お互い、困った事になった。本当は、誰の所為でもないのに。でも誰かが責任を負わないと。全くもって大人になるって嫌だよね。何かやる度に難癖つけられる。それが良かれと思ってやった事、仕方がなかった事でも。僕も大概、うんざりしているんだ。だから少なくとも今回は、君の味方だよ。助け合おうじゃないか。上手くこの局面を乗り切ろう」
そう言いながら穏やかな笑みを浮かべ、手を差し伸べるブランにランディは、頭を下げた。
「言い訳、ありがとうございます」
「君くらいの年頃に納得出来る状況ではない。すんなりと飲み込めとは言わない。でも何時か強いられるだろうからその為の準備だと思ってね」
どんな面倒事でも承知の上でブランは、ランディにまだこの町で足掻く機会をくれた。まだ、お前には責任があると、言葉で雁字搦めに縛り付けて。例え、疑惑が晴れずとも全幅の信頼を寄せて役割を与えてくれた。その恩義に報いる為。また、まだ自分が必要とされているのならば、ランディはもう少し頑張ってみようと思い直す。やっと表情を崩したランディに一安心して椅子の背凭れにブランは、深々と背を預ける。
「先ずは、当日の状況から整理しよう。その日。君は、夜明け前に町を出立した」
「はい、レザンさんが手配して下さった馬で林道まで向かいました」
「レザンさんから聞いた通りだね。それから君だけしか知らない情報となるのだけど」
「接敵までの間、狙撃地点を探し、休憩をしながら敵を待ちました。敵を視認したのは、その後少ししてからです。それから予め、練っていた作戦を敢行しました」
「敵の数は?」
「五名です」
信頼してくれるブランになら全てを明かそうとランディは、考えた。恐らく、全てを語れば、ブランに更なる重荷を背負わせる事となる。けれど、今はその重荷を必要とされているのだ。だからランディはあの日、あった事を素直に答える。
「以前の盗賊団より人数は少ないみたいだね……それだけなら君だってあんなにボロボロにはならない筈。つまるところ、君が警戒したのは、相手の実力かな?」
「ブランさんは……ご存知ですか? 『焦がれ』の事を」
ランディは、茶色の瞳をブランに真っすぐ向け、覚悟を問う。ブランは、目を丸くして動揺する。一瞬にして室内に緊張感が走る。それまでとは、訳が違う。この王国の根幹を揺るがし兼ねない禁忌にランディが触れたからだ。
「……逆に問おう。君はそれの事について何処まで知っているのかね?」
「ある程度の事は。嘗て、『envie』と呼ばれたその存在。今ではその名を相応しい言葉に変えて忘れ去られぬよう、秘密裏に脈々と王国内で受け継がれている呪い言っても過言ではない不治の病と」
静かにそれでいておどろおどろしく語るランディにブランは生唾を飲んだ。
「そうか―― 其処まで知っているのならもう問うまい。僕もこんな仕事をしているからある程度の事はとだけ。そもそも何故、発症するのかも分からず、根本的な治療も確立されていない。発症すると徐々に精神が侵されて狂暴化すると共に身体能力が飛躍的に向上する。最後は、殺人鬼として家族だろうと関係なく、殺戮の限りを尽くす。己の体が限界を向かえても止まる事を知らない。対症療法も隔離と拘束が主流。経過観察と殺処分のみしか症例報告は、残っていない。嫌と言う程、見聞きしたのは、『焦がれ』が招く悲惨な結末だけさ。せめてもの救いは、その発症者が極僅かしか出ていない事かな?」




