第傪章 閑話休題 8P
呼び出しを言い渡され、心臓の鼓動が一気に早くなるランディ。いずれ、釈明の為に出向く必要があると考えていた。此方から願い出て時間を作って貰う心算が、ずるずると時間が経ってしまい、ブランも痺れを切らしたのだろう。無理を押してでも早く手を打つべきであったと後悔の念がランディの脳裏に過ぎる。何事にも積極性がものを言う。これは、ランディにとって経験則から導き出した正攻法だ。言い出したのならば、始めから自分の配分で話の流れを作れる。また、ブランもランディの意志を酌んで多少の事は、同情も入り、目を瞑ってくれるだろう。だが、呼び出されたとなれば、相手の配分で一方的な追求と糾弾から始まってしまう。そうなれば、次第に追い詰められてしまうのが自明の理。
「御馳走様でした……では、自室に戻ります」
「待て」
一度、自室に戻り、検討せねばならない。ランディは、居ても立っても居られず、食事を早く済ませ、自分の使った食器と空いた皿を持ち、片付けようと席を立つ。すると、レザンから呼び止められた。何事かとランディは、心当たりを探すも思い当たる事は何もない。
「他に事後処理の件で何かありましたか? 教えて頂ければ、順次対応します」
「いや……他は、何もない」
「では、別件で何か?」
「取り立てて何もない」
「……特になければ、失礼します」
「っ!」
頭の中は、ブランの対処でいっぱいになっている。視野も狭まり、レザンに対しておざなりな態度を取ってしまう。機械的な返答にレザンも思わず怯み、言葉を失う。そしてこれまで少しずつ積み上げて来たもの全てが崩れ落ちた事を悟った。
「はああ……」
自室に戻るなり、机の明かりをつけ、ベッドへ体を放って横たわるランディ。大きなため息に疲れを滲ませ、右腕で顔を隠す。時間が経つにつれて状況が悪化して行くばかりだ。少し前の己ならば、どうでも良いと切り捨てていたものが容赦なく、牙を剥いて来る。これまで対処して来なかった故、対処法が分からない。
「気晴らし―― しよう」
燭台の明かりを頼りに机へと向かうランディ。思いは、錯綜する。それは、戦を経て更に加速して最早、自分の力で止められない。今は、文字に認める事で全てを整理したかった。
レザンとの確執。予期せぬ復讐劇。露呈した己の弱体化。その全てが立て続けに起き、混乱している。その混乱に終止符を打ちたいが為、文字に書き留める。現実を忘れ、過去の出来事を思い返し、今の自分はどう感じるのか。そして、自身の成長を確かめ、その相違をもって更に思考を昇華させる。言ってしまえば、過去の自分との文通だ。現状、他の誰にも相談が出来ないのであれば、嘗ての自分とするしかない。そして時々、今の自分の問題を投げ掛け、過去の自分ならどう思うか投げ掛ける。一番の理解者は、途中で投げ出す事無く、一緒に悩んでくれる己のみ。恐らく、答えは出ない。最後は、今の自分が出すのだから。それでも心の叫びは、幾分か消えてくれるだろう。そうすればまた、偽の笑顔を貼り付けてきちんと問題に面と向かって向き合える。書き疲れ、一度手を止めると、真っ赤な本に手を伸ばし、頁を開く。書くだけではなく、第三者が書き残した思いにも触れたくなったのだ。例え、それが間違いだとしても他に選べる選択肢が今のランディにはない。
「懐かしいな。こんな事もあったっけ――」
暫くの間、過去から癒しを分け与えて貰い、心を落ち着けるランディ。頁を捲る毎に色褪せた代赭色の思い出が蘇り、懐かしさがランディの心を擽る。決して楽な道ではなかった。
それでもその苦労一つ一つが今となっては、味わいの一つとして演出に変わる。
「やっぱり、文才、あるんだよな。キール。俺たちの出来事を書いているだけなのに何度、読んでも面白い。本当に勿体ないよ。君は、作家になるべきだった」
読み進める内に頬が緩んで行くのを自分でも感じたランディ。何よりも文に認めた著者の技量が大きかった。自分では、こうも上手く行かない。自分で書き記した出来損ないと見比べ、思わず落胆してしまう。同時に失ったモノの大きさを改めて思い知った。夜の帳に包まれながらランディは、届かぬ故人に想いを馳せる。
「最初の一年間の出来事は、君がきちんと書き記してくれた……だから続きは、俺が最後まで書くよ。君みたいには、出来ないかもしれないけれど、きちんと書く。一緒に見たあの光景を。経験した事を。君が残してくれた全てを。残った皆の思いを。俺の思いを。絶対に無かった事にさせてやらない。少しでもこの世界に刻み付けてやるんだ。俺たちが駆け抜けた証として残すから。だから……もう少し待ってて」
再び握ったペンに自然と力が入る。真っ白な紙に文字が一つ一つ刻まれていった。集中力が戻り、二枚程、書き進めた所でふと煙草が欲しくなり、灰皿を持ち、足を引き摺って窓辺へと歩み寄る。寝静まった町の風景と夜空を眺め、煙草に火をつけて一服する。
「煙草がマズい……さては、しけた煙草を寄越したな。ルー」
昼間は、あれだけ好んで吸っていたが、何故か今は、美味く感じない。それは、心に宿るほろ苦い何かが、そうさせているのかもしれない。それともシトロンに対しての罪悪感か。
どちらにせよ、先ほどまでとは違って心が落ち着きを取り戻した気がする。
「後で文句の一つでも言ってやらないとなあ……」
煙草のまずさを酒で濁したかったが、それは最後の理性が押し留める。これ以上の無理は体に障る。毎日のように通い詰めて面倒を見てくれるあの子に申し訳が立たない。
『悲しいな』
何が悲しいか最早、分からない。けれど、もうこんな思いを誰にもさせたくない。誰よりも自分がしたくなかった。己の気持ちへ素直になり、目指すものを見定めた。墓標の前で誓ったあの言葉を思い起こす。その罪深さも全て許容した筈だ。だから迷う事は何もない。
「こんな事、もうあっちゃあいけない。どんな犠牲を払ったとしても」
それでもレザンやその他の者たちの顔が脳裏に浮かび上がった途端、心にちくりと針を刺したような痛みが生じる。その痛みを忘れる為、煙草を大きく吸い込んだ。紫煙が立ち上る様をぼんやりと眺めながら言葉が独りでに口から出て来る。
「だから間違っていない筈なのに……何で怒られるんだろう」
たった一つのちっぽけな願いの筈なのに。その為にならどんな努力も惜しむなと、背中を押してくれたと思って居た。けれど、現実は違う。お前は間違っていると。それ以上、先に進めば、戻って来られなくなると。見えない鎖で体を縛り付けて飛び立たせてくれない。今更になって言われても自分が一番分かっている。既に戻れない所まで来ている事は。
「それが分からないからたまらなく……」
だからその先の言葉は、出なかった。その代わりに何故か右の目から雫が一つ、零れ落ちた。煙草の煙が入ったのかと、ランディは目元を手で拭う。
『辛い』
煙草の火を灰皿で揉み消しながら心の中でそっと呟く。涙の理由は、分からない振りをした。だからもう大丈夫と自分に言い聞かせる。人知れず、覚悟を決めた青年の姿を知るのは、歌う町のみ。その歌う町は只管、沈黙を貫くだけだった。




