第傪章 閑話休題 7P
「どうしても人って言うのは、本質を追及するあまり、どんどんその本質から離れてしまう。どうだろうね? 最初は、その人と話がしたい。顔を見たいから始まる。それから少しでも長く一緒に居たいとか、この思いを伝えたい。同じように思って欲しい。触れてみたい。体を重ねたいと言った具合にどんどん思いは、加速する。それは、良い事でもあり、悪い事でもある。もし、その望みが叶ったとしてそれは、とても素晴らしい大団円だ。物語なら其処でおしまい。だけど、人生はそれで終わらない。寧ろ、其処から始まるんだ。其処からずっと、平穏な幸せであり続けなければならない。だけど、その幸せの維持の裏側で少しずつ、自分の心を砕いて行く静かな長い戦いが始まる。その戦いは、時に好きだと言う思いさえも摩耗させてしまう。そして、好きと言う気持ちがなくなったら本当の終演が待っている。作家が恋物語の先を作れないのは、その弛まぬ努力を面白可笑しく語れる技量や本質を分かっていないからさ。どんな状況になったとしてもその思いを僕らは、なくしちゃいけない。だからなくならない様に今から積み上げておくのだよ」
「君は、本当に重たい」
皮肉な事に少し前、誰かが同じ様な事を言っていた。もう、それが誰だったかもランディの記憶には、忘却の彼方へと誘われてしまっている。自分が発した言葉の筈なのに。
「君だって同じ穴の狢だろう」
「どうだろうね……」
最後の何かがそうだとは、答えさせなかった。もし、言えたのならばどれだけ良かった。ゆっくりとルーから窓辺へ視線を逸らし、外の風景を眺める。一刻も早くこの不毛な会話を終わらせたかった。結局、どれだけ言葉を重ねたとしても本質が変わる事はない。依然として心に鬱屈した何かを抱え、それを表に出そうとしない。
「さて、僕もそろそろ行こうかな。生憎、予定が詰まっていてね」
「モテる男は、違うね」
「そうなんだ。忙しくて仕方がない」
コートを脇に抱え、帰り支度を始めるルー。ランディへ煙草の小箱をやんわりと投げて寄越して来た。ランディは、友からの選別を受け取り、軽く会釈をした。受け取った事を確認するとルーは、吸い過ぎないよう注意した。何故なら臭いでばれるから。勿論、ランディにも分かっている。暫くは、買いにも行けないだろう。だからゆっくりと楽しむ事にする。
「大人しくしてるんだぞ? 恐らく、二、三日後には来ると思う。丁重なもてなしを」
「了解した。今日は、ありがとう。助かったよ」
「礼を言われる程じゃない。頑張ってくれたまえ」
「君が思って居る様な愉快な話じゃないと思うけどね。勘違いだよ」
「勘違いの積み重ねから生まれるものもある。このツケは高くつく」
軽く返事を返して来たランディにルーは、それとなく言う。ルーには、別の事が分かって居た。自分の事で手一杯のランディには、分からない俯瞰的な視点から見た人間関係を。これは、ルーなりの警告だ。己に厳しくあれと。その真意から目を背け、触れようともしない。もしくは、自覚の無さに対する厳格な戒めだ。これまでの経緯を見れば、明らかだ。ランディは日々、人の心を動かし続けていた。関係が近しくなればなるほどに。その情動は、抑えきれない所まで来ている。だが、ランディはこれと言ってきちんと受け止めず、タチの悪い冗談としか思っていない。どうでも良い時には、饒舌に語るが、本番を前にしたらそれを見なかった、無かった事にしようとする。
「自意識過剰が過ぎる」
「男は、それ位で良いのさ。覚えておきたまえ」
「覚えて置くよ」
何時までもお子様な相方を前にルーは、きっぱりと言い放った。それでもさらりと流すランディに少し苛立ちを覚えながらも抑え込む。帰り支度を済ませ、挨拶もそぞろにゆっくりと扉を閉めた。閉ざされた部屋の前で立ち止まり、やはり踏み込んで言うべきであったかと迷いが生じる。けれど、言った所で正直に受け止める柄でもない。
「余計な事聞かなきゃ……こんなに構わなかっただろうなあ。少し、気持ちが分かってしまった。全く、手の掛かる相棒だよ。でもこれからが大変なんだぞ? まあ……少なくとも君が争乱に魅入られるよりは、ずっとマシかな……お願いだからもう、戦わないでくれ。目に見えない涙を流し、血に塗れ、荒んだ君を見たくない。君に剣は、似合わないんだ」
結局、これからの憂いよりも単純に友に対しての憐みが勝った。誰よりも先に矢面に立って人知れず戦い、あれだけの手傷を負っても報われず、こうして今も独り膝を抱えて苦痛に耐える日々だ。誰が好き好んでそんな貧乏くじを引くだろうか。いや、居ない。
せめてその苦痛が早く終わるよう祈るしか、ルーには出来ない。此処でしゃしゃり出ても簡単に跳ね除けられてしまう。友一人すら救えぬ己の無力さを実感し、この時ばかりは、ルーも今までその身に余るものだと無関心であった他者へ影響力を与える権力や権威と名のついた力が欲しいと素直に思ってしまった。
*
その日の夜。ランディは、レザンと静かな夕食の時間を共にした。あの日から顔を合わせても会話をする事は、滅多にない。どちらかと言えば、避けているのは、ランディ側。決して目を合わせようとせず、声を掛けられても簡単な返事ばかり。何時、あの話題に触れられるか恐怖し、怯えている。
ランディの心中を察してか、レザンも踏み込む事はない。勿論、それはこの前と同様に話が平行線辿るばかりで前に進まないと分かっているからだ。ランタンと燭台の明かりに照らされた居間には、もどかしさが漂っていた。目の前に並べられた料理を黙々と口へ運ぶランディを静かに眺めるレザン。鷲のように鋭い目には、様々な感情が写り込んでいた。ふと、昼間の騒がしい一件が気になり、レザンは徐に口を開く。
「ルーが来ていたな」
「はい、見舞いで……」
「そうか」
レザンが招き入れたのだから用事は、分かっている。レザンが聞きたかったのは、その先の話だ。あれだけ騒げば、階下にも声や物音が響く。聞きたかったのはその内容だった。けれど、ランディは全く話そうとしない。もし、その内容を語れば、恐れている事が現実となってしまう。未だ、解決の糸口を見いだせておらず。また、精神的にも不安定な状態であり、出来てしまった溝を更に深めてしまうのではないかと危惧ばかりが頭に過ぎり、及び腰になっている。友の前では、役を演じきれてもレザンの前では出来ない。
何故なら祭りの時に己の心の内を見透かされていたからだ。どんな欺瞞もレザンには通用しない。だから只管、口を閉ざすしか出来ない。
「……体調は?」
「ご心配、有難うございます。日に日に良くなっていると思います。小さな傷は、もう完治しました。撃たれた足は、まだ痛みますが、来週くらいには歩けるようになると思います」
手を止めて俯いたまま、事務的な報告を淡々と済ませるランディ。今、顔を上げれば揺らぐ己の目が見えてしまう。どれだけ隠しても宛ら叱られた子供のようだった。
「そうか」
「来週には、仕事へ復帰出来ます。ノアさんからも許可が……」
「いや、暫くお前の出番はない。自室待機だ。勿論、機能訓練での外出は、許可する」
「……はい、畏まりました」
「これは、ブランからも進言があった。お前を落ち着かせろと」
「すみません……」
仕事の復帰目途について触れるもレザンからは、首を横に振られた。仕事が出来れば、少しは帳の様に漂う憂き目や負い目も少しは晴れたかもしれない。選択肢を奪われ、ランディは逃げ場を失う。当然の事ながら信頼を失っている今、仕事を任せて貰えるなど甘い考えであった。自分の浅はかさに心底、嫌気がさすランディ。無論、単純な排斥がレザンやブランの目的ではない。ランディの状態の安定や町全体が沈静化を図るなど、様々な理由により、ランディがあまり目立たない様にする為だ。何よりも怪我が完治しないまま、仕事中に倒れられては困ると言うのが一番の理由である事は間違いない。
「それとブランから呼び出しも掛かっている。五日後の夕刻、執務室だ」
「畏まりました」




