第傪章 閑話休題 6P
「と言うか、何でこんなしみったれた話をしないといけないの? もういや。私、帰る」
「これから面白いのに」
「喧しい。付き合ってらんない。ランディ、大人しく寝てるのよ?」
「畏まった。今日もありがとね」
「どういたしまして」
へらへらと笑い、煙草に火をつけるルー。そんなルーの手元からシトロンは、煙草の入った小箱と火のついた煙草を奪い去る。灰皿で火を揉み消し、前掛けのポケットに小箱を入れて序に酒瓶二つも回収して行く。全てを奪われ、口をあんぐりと開けるルー。
「後……ルーは、余計な事をしないように」
「心にとどめておこう……」
「命令。守りなさい」
疲労の色が見えてもシトロンは、用心を忘れない。娯楽を奪われ、絶望に打ちひしがれるルー。打ちひしがれたまま、やる気のない敬礼をして見送る。ランディは、笑顔で手を振って見送った。シトロンが嵐の様に現れ、去って行った後、静けさを取り戻した室内。外からの喧騒を耳にしながらランディは、大きなため息を一つ。
「敬礼ってのは、帽子を被ってる時にするものだよ。何も被ってないなら低頭が正解」
「流石は、元軍属。さて……煙草だけは、もう一つ隠し持っている訳だが」
先のあれは、何だったのかと問いたくなる程の笑顔で懐のポケットから煙草を取り出すルー。その悪魔の誘いにランディに対して少し躊躇する。されど、強い誘惑には勝てず、差し出された小箱に手を伸ばす。咥え煙草をして髪を掻き毟るランディ。
「シトロンの言う通り、痛みの辛さは癒えない訳だけど―― 精神面でやられている部分もあるから有難く頂戴しよう。立ち昇る紫煙は、絶やせないな」
「同感だ。約束とは、破られる為にある」
「悪い奴になったもんだ」
「元々、性根が捻じ曲がってたのが、表に出ただけでしょ」
情けない言い訳をして紫煙を吐き出すランディ。例え、身体の傷が癒えずとも束の間の癒しに縋らねば、壊れてしまう時がある。千切れそうな何かを繋ぎ止める為に。例え、愚かな行為だと分かっていても。その愚かな自分を大切にするとランディは、前に宣言した。
「まあ、暫くは大人しくしているのが吉。久々に大暴れして君も流石に疲労困憊だろう」
ルーはそっとランディの顔を指さして諭す。今の顔は、惨憺たるものだ。目の下には、酷い隈が出来、まともな食事は、喉に通らないので最低限の栄養補給として療養食ばかりだから幾分か、頬もこけている。人前に出ずともある程度、身嗜みを整えているのだがそれでもみすぼらしさが散見する。ルーの言った通り、暫くは何もせず、静養に励む必要があった。
「それにもう一つ……君には解決しなければならない問題ある」
そう、ランディにはもう一つやらねばならぬ事があった。それは、とても業が深く、何処までも複雑化し、取り返しのつかない程、拗れてしまった関係が。目前にあるレザンとの決裂よりも更に窮地に立たされるその問題とは。
「レザンさんの事は――」
「いや、違うね。君は、忘れているよ。フルールの事を。何時までもフルールから避ける事は、出来ない。既にあの子も察しがついている。君がやった事。そしてその結果が今である事も。勿論、恐らく表立っては、聞いて来ないだろう」
ランディの言葉を遮り、大真面目に語るルー。恐らく、ランディも分かっていたのだが、目をそらし続け、気付かない振りを続けている。ルーが指摘するまで絶対に目を向ける事はなかっただろう。言い訳も通用しない。時間が幾ら過ぎようとも解決しない大きな問題を。
だからルーは、現実を知らせに来たのだ。ランディの慰労が訪れた理由である事は、間違いない。しかし一番の目的は、これだった。
「でも何処かで必ず問題として浮上する。フルールだけは、ブランさんが時間を作ってやんわりと押し留めて居るけど、それももう持たない」
「分かっているさ」
「先にレザンさんからやっつけると良い。君が誠意を見せれば、どんな張りぼてでも最後は、きちんと納得してくれる。大事なのは、心さ。だから僕は、問題だと思ってない」
ずっと遠くに置いている訳にも行かない。譲る事の出来ない特別な理由があったとしても。相手は、人間だ。傷つかぬようキャビネットの中に飾り、可憐な調度品として外から眺め続けられたらどれだけ良かった事か。勿論、そんな事が出来ないもの分かっている。だが、いざ、目の前にした時、どんな顔で会えば良いのか分からない。今回の事で改めて思い知らされたのだ。己の手が既に人の血で真っ赤に汚れてしまっている事を。心の中に潜むどす黒い感情を。剣を握る事でしか、自分に意味を見出せない事を。そもそも住む世界が違い過ぎた。これまでの穏やかな日々が絶望的な格差をないものだと錯覚させていた。ランディの心情など、つゆ知らず、ルーは更に加速する。もう、ランディは立ち止まっていた。
「更にこの懸案事項において根が深いのは、普段から目を掛けていた飼い犬が勝手に家出して帰って来たかと思えば、傷だらけでボロボロ。おまけに飼い主でもない子から介抱して貰って尻尾を振っている訳だ。これは、由々しき事態だよ」
「その言い方には悪意がある……それに脚色も酷い」
これでもかと言うほど、わざとらしい語り口調で煽りに煽るルー。ルーとしては、発破をかける心算だった。ランディは、悟る。次に望まれた己の役割を。そして、決意した。又もや仮初の日常にその配役にあった仮面をつけて道化を演じる決意を。これならば、出来る。頭の中で本の頁を捲り、合致したものを見つけた。冷ややかな笑いを顔に貼り付け、さも本心からの言葉であるかのように求められた台詞を口にする。
「間違いじゃないから質が悪いのだよ。君も隅に置けない」
「君は、恋愛脳になりがちだよね。俺は、人から興味を持って貰える程の甲斐性はないよ」
「人生において何気ない日常の彩は、重要だよ。普通に生きているだけなら存在する意義がどんどん希薄になってしまう。どんなに進化を重ねたとしても人は、生存本能の枷からは抜け出せないさ。だから色恋沙汰にも精を出さねば。これから先の事を考えてね」
ランディにおきた変化を感じ取る事もなく、ルーは己の持論を披露し続ける。ランディには、それがまるで意味の理解出来ない遠い異国の言語みたく聞こえた。それでも言葉を選び、恐らく間違いでない返答を口にしようと考える。
「まだ、其処まで考えるのは早いと思うけど?」
「いや、早い奴はもう子供も居るし。備えあれば患いなしだよ。その時は、突然やって来る。なら心構えをしていた方が楽なんだ。楽って言うのは……」
「意味は分かる。展望を見えるって事だろう? 自分の心の整理が出来て相手を想う事へ一生懸命になれる。思いが実る様に手回ししたりとか、周りの人へ根回しとか、そう言う姑息な話じゃなくて」
嘗ての自分ならば、自信を持ってそう答えただろう。けれども今のランディには、手を伸ばしても届かない。望んでも手に入らないものの話をされているだけだ。本心からどうでも良いと思える。だから言葉がすらすらと浮かび上がって来た。他人事として捉えれば、幾分か気が楽になる。もし、本心が少しでも生き残っていたのならば、言葉にならなかっただろう。自然と涙が溢れ、叫んでしまったかもしれない。
「そう言う事。段取りとか、形式的な物事じゃなくて内面が重要なのさ」
段々と齟齬が酷くなって行く。互いに届く事のない手紙を延々と送り続けているかのようにそれぞれの思いが逆の方向へ加速して行った。




