第傪章 閑話休題 3P
「やめておくれよ……頼むから」
煙草を灰皿に置き、嫌そうな声で音を上げるルー。
「僕だって分かれば、苦労はしない」
「分かった、もうやめる」
流石にやり過ぎたとランディも少し反省する。頭を悩ませるルーを横目に煙草の火を揉み消して酒に興じ、黙り込むランディ。
「一つだけ、はっきりしているのは……確かに僕は、ユンヌに気があると思う」
外のからっとした陽気と乾いた空気に対して室内は、どんよりと淀み、湿気た空気が支配している。また、静かになった室内で徐に話を始めたのはルーだった。
「でもそれが本当なのか、分からない。もし、それがまやかしであったのなら……僕は、あの子を傷つけたくない。その一歩を踏み出す確固たる理由が欲しいってとこかな?」
「珍しい。君が尻込みするなんて。どちらかと言えば、やれるだけやってみる方だろう? いや……寧ろ、打算的な裏付けがあったから今まで大胆にやってこれたのか」
現状の維持を主眼とした曖昧な言い訳とちょっとした偽りが言葉から漏れ出て来る。ルーにもそれなりの悩みがあるのだ。普段のルーとは、かけ離れた年相応の姿を垣間見てゆっくりとランディは、分析をする。
「さっきの言葉、そっくりそのまま君に返す。冷静に観察され、分析されると本当に気持ちが悪い。やるなら女の子にしてくれ。それでもずっと質が悪いから僕よりいっそうの事、気持ち悪がられて忌諱されるだろうね」
「自覚はしているさ。時と場合は、弁えている心算だよ。珍しく君が感情を表に曝け出すから調子に乗ってしまったんだ。お互い、目立つ脛に傷を持つが故だね」
「同じにして貰っては困る。君の傷は、町を根底から揺るがしかねない。毎度、ひと悶着を起こしているだろう? 僕は、其処まで人様に迷惑を掛けてない」
「確かに……おっしゃる通りだ」
それぞれが抱える現実に対して溜息しか出ない。
「もっと楽しい話題にしよう。これでは、僕も君も楽しくない」
「偶には良いと思うよ。いっつも楽しい事なんてない。時には、苦虫をがっつり食い潰したような話しなくちゃ。感覚が麻痺して楽しさの有難みが分からない」
「完食してどうすんのさ。せめて嚙み潰すくらいにしてくれ。ただでさえ、虫は嫌いなんだ。これでも僕は、君を励ましに来たの。脛の傷に塩を塗り合う自虐的な趣味はないよ……」
本来の趣旨とはかけ離れ行く現状にルーは、疲れた顔で不満をぼやく。そのぼやきに肩を竦めるランディ。平和ボケから逸脱したランディには、穏やかな日常が幻想の様に見えてしまう。どれだけ言葉を繕ってもそれが偽りであると感じてしまう。それならば、少しずつ慣らして行くしかない。負の数値に振り切って最低値を叩きだしているのなら少しずつ負の数値を減らして行くのが最適解。どれだけ周りから正の数値に戻れと急かされてもいきなり振り切ってしまっては、その差に圧し潰されてしまうのが関の山。
「まあ、どんなに周りが騒ぎ立てても本人が乗り気じゃないなら無理か……本当なら外に連れ出してそのしみったれた根性を天日干ししてやりたいくらいなんだけど」
「後、二日くらいは無理だね。さっきも見たから分かるだろうけど、立ち上がるので精一杯」
「首に縄を付けて引き摺って上げても良い」
「非力な君に出来る? 言っとくけど、俺は軽くないよ?」
「やってみないと分からない」
どうにか暗がりから引っ張り出したいのがルーの本音。落胆はすれども展望は見えていた。ランディは、きちんと足を動かして現状から抜け出し、歩み寄ろうとしている。信じるに足る証拠として先程までとは違い、きちんと感情を表に出しているのだ。その進みは、とても遅い。それでも待って居れば、必ず追い着いて来る。ならば、今は待つしかない。そんな湿気た室内に一服の清涼剤が訪れる。
「ランディ、起きてる?」
階段を一気に駆け上がる足音。その足音は、部屋の外で止まり、シトロンの朗らかな声が響いて来た。その声を聞いた瞬間、ランディに緊張が走る。この状況を見てシトロンは、何と言うだろうか。容易に想像が出来る。直ぐに物証を隠せば良かったのだが、酒と煙草の所為でまともな思考が出来ない。上手く隠しおおせたとしても直ぐに臭いでバレてしまうので結局の所、意味はないのだろうが。
「おおっ?」
「これはまた……」
「マズいね……」
顔を見合わせ、互いに心中する覚悟を問う。最早、身を任せるしかない。
「入るからね。着替え中でも知らない……って、あああっ! 全く、もう!」
「うはっ……」
「やあ、シトロン。御機嫌よう」
部屋の惨状を目にした途端、大きな声でシトロンが叫ぶ。その大声に焦りで言葉を失うランディと堂々と受け入れるルー。額に手を当て呆れた様子でランディの目の前まで歩み寄るシトロン。想像通りの展開にランディは、顔が強張り、震えだす。
「御機嫌ようじゃないっ! 病人に何てもん差し入れしてくれてんの。この大馬鹿っ!」
「気晴らしにね。部屋で引き籠ってばかりでは気が滅入ると思って」
「だーまらっしゃい!」
言い訳にならない言い訳をぴしゃりと跳ね除け、ランディの手の内にある酒瓶と煙草に目を向ける。これではまるで子を叱る親の構図だ。
「お酒に煙草……ノアさんに暫くは、ダメって言われたでしょ? ほら、出しなさい」
腰に手を当てたシトロンがランディへ冷ややかな視線を向ける。徐に右手を差し出し、手に持っているものを出せと凄みをきかせ、シトロンがランディを脅す。
「駄々っ子みたいに黙って首振ってもダメ。出しなさい」
没収されるのは、嫌だとランディは、体を精一杯後ろに反らせてシトロンの手が届かないよう悪あがきをする。一歩も譲らず、ランディへ体を預け、煙草と酒をその手から奪い去ろうとするシトロン。
「今回の君のお守りも随分と小姑だね」
「世話になっている手前―― そんな事は、口が裂けても言えない」
「きちんと言う事、聞くっ!」
「思ってはいるみたいだね」
目の前で必死の攻防戦が繰り広げられる中、ルーはのんびりと酒瓶を傾け、終始他人事。
結局、強い押しに負けて嗜好品を取り上げられてしまうランディ。肩を落とし、落ち込むランディを見て少し気の毒に思いながらもシトロンは、心を鬼にする。
「悪ガキが集まると、ほんとにしょうもない」
「童心、忘れず。僕らはいつだって初心を忘れないのさ」
正座する二人の前で仁王立ちをして説教を始めるシトロン。
「単純に幼児退行しているだけでしょ。口を開く度、下らない言い訳が飛び出すから尚の事、質が悪いわ……訂正する。子供と比べるのもおこがましい」
「その方が可愛げあるだろう?」
「憎しみしか湧いてこない。後は、軽い殺意」
「怖い、怖い」
怒りを買おうが、軽口は絶える事がないルー。
「正直に言うけど、そう言うわざとらしく子供っぽく振舞う役名は野郎の出番じゃないわ。私たちがやるから可愛げが出るの。それに下らない言い訳しないし。する必要がないもの」
「はあああ、言ってくれるじゃなイカ? そんな小手先の超小技何て通用するのは、此処にいるランディと中年、年寄り、純情青年くらいなもんさ」
「かなり広範囲に被害が及んでいるみたいだけど? 実質、効いていると言っても過言じゃないよ、それ。後、俺を名指しするのは、控えて貰いたい。自覚はしているから」
「少なくともこの僕には、通用しない。童心を忘れていないから純真な子供の心で正面からぶつかって大抵、悲惨ないたたまれない事故として処理されるよ? 本当に」




