第傪章 閑話休題 1P
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ランディが意識を取り戻してから更に幾日か経った。怪我の治癒が進み、体調も元に戻りつつあった。今では、少しの間なら動き回れるし、食事も一階で取れる様になっている。ぐるぐると身体の至る所に巻かれていた包帯も徐々に取れ、顔色もいつも通り。但し、安静は絶対で殆どの時間は、部屋のベッドで読書や机に向かって書き物をして過ごして居る。
ヌアールの許可も下りて昨日から見舞いで顔を出す町民と話をする事も。あまり無理は出来ないが、日常生活の自立へ向けて予行練習としては、丁度良い。開かれた窓から差し込む日差しを時折、眺めつつ、静かに読書へ勤しむランディ。今日もそんな自粛生活が続くだろうと思っていた最中、悪友の来訪により雲行きが変わる。
「やっと面会に来られたけど……君、随分と無茶したね」
「もうお小言は、御免だ。療養の理由に色んな尾ひれが付いて見舞いに来てくれた人から色んなお叱りを受けているんだ……うんざりだよ」
後もう少しすれば、昼時の中途半端な時間にルーは、ランディの部屋で訪れた。休日なのだろう。仕事で着ている重々しい服装ではなく、灰色のシャツの釦を一つ開け、折り目のない黒いパンツ姿。気になると言えば、汗ばむ陽気なのに薄手のコートを羽織っている事くらい。特別、問い質す事でもないので椅子に座るよう勧め、自分はベッドの端に座った。
「まあ、身から出た錆って奴さ。甘んじて受け入れる事をお勧めする。ほんとの事を皆が知ったらそれどころじゃない。もっと怒られる。寧ろ、それ位で済んだ事に感謝しないと。特にブランさんと僕。きちんと根回ししておいたし」
「でもレザンさんは、お見通しだった」
会って早々、互いに重箱の隅を突き合う二人。それぞれ思う事があり、それを詳らかにするには丁度良かった。太腿に肘を付いてにやりと笑うルーと胡散臭そうに眼を細めるランディ。何方かと言えば、不満があるのは、ランディだろう。思ったよりも支援が行き届かず、踏んだり蹴ったり。勿論、高望みである事は、分かっていたが言わずには居られない。
「そりゃあ、無理な話だよ。君と身近な間柄で抜け目ない人だから誤魔化しは、通じない」
「そこを何とかするのが君たち、お役人の仕事だろう? 何の為に税金を支払っていると思ってるんだい? 説明をする傍ら、ちょろっと煙に巻いて貰わないと困る」
「私人間の揉め事まで仕事の範疇にされては困る。あくまで町の運営が円滑に進むよう手を尽くすのが僕らの仕事。つまり、君が誰からも邪魔されないで町から送り出す所までは保証するさ。現にレザンさんの説得は、楽だっただろう? だってブランさんがまずは、ランディの話を聞いてから判断して下さいって嘆願したんだもの。其処から先は、自己責任だ」
「……その後の支援は?」
ルーの指摘にランディは、口ごもる。思っていたよりも的確な所を抑えられ、ぐうの音も出ない。これが駄目ならば、あれと話題を少しずつ摩り替えて何とか非を認めさせたいランディ。けれど、行き当たりばったりの八つ当たりでルーは、揺るがない。
「君が無事に帰って来たなら手を出せた。でも瀕死の重体で町に帰って来たとなれば、話は別。支援のしようがない。死ななければそれで良いと言う話にはならないさ。独断専行で戦場へ赴いたが故の避けられぬ誹りじゃないかな?」
「これじゃあ、何の為に頑張ったのか分からない」
「単純に君は、死ぬなと言われているんだ。恵まれているんだよ」
「有難みが分からない」
ランディの心中を察してか、ルーは諭すだけで責める事はない。様々な出来事で手一杯のランディには、ちょっとした雑言も禁物だ。本気で食って掛かって来るだろう。
「なら君は、大手を振って見送られる方がお好みかな? 死ぬ事を望まれ、少数の犠牲として戦地に送られ、直ぐに忘れ去られるような」
「……」
「ごめんよ、言い過ぎた。でもレザンさんは、君の事をとっても気に掛けているんだ。目の上のたん瘤みたいに思ってしまうのかもしれないけど、誰かに見て貰えるって大事だよ」
「……分かってる。分かってるけど」
皮肉めいた反論にランディは、口を噤んで俯く。子供の様に駄々を捏ねるのも格好がつかない。他の者なら好い加減にしろと怒るだろう。ルーだから許されているのだ。
「そうそう。不満だらけなのは分かっていたから差し入れを持って来た。長い間、煙草も酒もお預けだったろう? 暫くは、これで気を紛らわせておくれ」
「そんなので全てが解消されるとでも?」
「勿論、そんな事は考えていないよ。ほんの気持ちさ。因みに奢りの話もこれでナシって訳じゃない。約束通り、君が元気になったらきちんと連れてく」
「そうかい、そうかい」
「きちんと休んで体調をもとに戻すんだ。後、その戦闘で高ぶった興奮も静めてくれると助かる。今の君は……本当に怖い。話をしていると……研ぎ澄まされた刃を喉元に突き付けられているみたいで冷や冷やする。特にその眼だよ、その眼」
コートを着込んでいた理由は、病人に相応しくない差し入れを隠す為。コートの下から黄金色の液体が入った透明な酒瓶と茶色の酒瓶をそれぞれ一本ずつ、ポケットから煙草を取り出してランディへ勧めるルー。現状において事態の改善は望めない。ならば、これから降りかかる困難に備えて英気を養う方が得策だ。コートを脱ぎ、椅子に掛けると、ルーは窓辺に腰掛けて外からの風に当たる。やはり暑かったのだろう。
「もう少ししたら落ち着く」
「いや、直ぐにでも落ち着いておくれよ。子供たちが見たら怖がる。幾ら君が取り繕っても皆、只ならぬ雰囲気を感じ取って子供たちを近づけないんだ。本当は、ベルやルジュ、他にも何人か来たがってるんだけど、敢えて来させていない」
机の上に置かれた酒瓶に目を奪われながらランディは、呟く。そんなランディにルーは、大きなため息を一つ吐いた。ルーなりに元気づけで訪れた心算であったが、本人がこれではどうにもならない。どれだけ苦労しても全て水の泡。
「一歩間違えたら死ぬ状況下に晒されてたんだ……冗談抜きに。直ぐに切り替えろって言う方が無茶だよ。勿論、善処するけど、そんな簡単には抜けない」
「ふっ―――― 聞くのも憚られるね。想像もしたくない。実際の所、どんな時だって君は、最後の余裕を残してた。精神的に追い詰められたとしても冷静さだけは、あった筈だ。今の君には洗練さに欠けるよ。僕が人知れず評価していた良い所だったのに」
「がっかりさせて申し訳ないね」
北風が強風を吹きかけようが太陽が燦燦と輝こうがしっかり着込んだ旅人は、外套を脱ごうとしない。それは、恐怖がそうさせている。心が凍てつき、身体に不調がなくとも精神的な安定を求めて何かに縋っていなければ、今にも心が折れてしまいそうだから。
「そうやってさらりと流すのは、良いけど。君、何も考えていないだろう? そんな感じでいると少しずつ、君から人が離れて行くよ。確か、エグリースさんに説教したんだろう? 孤独の話。君が固執の頂へ登って不治の病に罹ってどうするのさ?」
「……」
「切り替えが大事だ。どんな思い入れがあろうと……今が苦痛に満ちていても囚われていたら抜け出せなくなる。君だって戦場を駆けていたのなら心的外傷に苛まれ、潰れた兵士を山ほど見る機会があった筈。勿論、そいつらの辿る末路もね」
痺れを切らし、ルーは葡萄酒の入ったボトルへ手を伸ばし、栓を抜くと一気に煽る。そしてじっとランディを見つめ、一呼吸置いてから口を開く。
「どうせ、吐き出す心算もないんだ。なら、さっさと抜け出せ。僕は、フルールみたいに甘くはない。君が立ち上がるまで容赦なく鞭を打つ」




