第壹章 過去 9P
「ごめんね。もう、謝るしか出来ない。君の気が済むまで――」
「何で貴方が謝るの……もっと他にやる事があるでしょ! 何で怒らないの……悔しがらないの……叫ばないの……恨まないの……どうして――」
ランディは身を任せ、揺さぶられ続ける。
「こんなのってないっ!」
耳に響くのは、辛うじて聞き取れる金切り声のみ。音量の大きさにランディは、眉間に皺を寄せ、目を瞑る。何と言われようと、憤りすらも感じる事は、己が許さない。冗談ではなく、自分自身で人が当たり前に享受する権利を持ち合わせていないと思い込んでいる。
「もっと悲しくなった人が沢山いるから。怒るべき人も、悔しがる人も叫びたい人も……恨みたい人も。少なくとも残された遺族は、俺より……だから俺には、その権利が無い。だから時々―― 共に逝けば良かったのかなって頭に過ぎる事もある」
最後の逃げ場は、此処ではない遥か遠くの地。
「もしかすると生きるのには、疲れたかもしれない……」
「っ!」
全てを放棄して楽に成りたい。それがランディの真意だった。
「ならあたしが今、貴方を殺してあげる――」
そう言うと、フルールはあらん限りの力を籠め、窓からランディを落とそうとした。
その力に身を任せ、ランディは落ちる寸前の所まで体が外に出る。そんな最中、不意にフルールが力を緩め、逆にランディの体を抱き留め、引き寄せる。
「……でもそうじゃないでしょ? 貴方は、これからもっと幸せな物語を書かなきゃいけないの! その思い出を書き記しながら……亡き人を思いながらっ! それが貴方の使命。生き残ったのならその人の分まで生きなきゃダメでしょ?」
ゆっくりと窓から遠ざけ、ベッドに横たわらせると自分は座り、自身の腿にランディの頭を乗せるフルール。終始、されるがまま。ランディは、素直に従う。
「あたしが出来る事何て、こんなもん……」
元々、誰にも話をする心算もなく、それを無理に解き放てば、こうなるのも致し方が無い。自分でも解決法が分からず、奥底に仕舞っておくしかなかった。時間が解決してくれると、自ら匙を投げ、吐露した所で相手を困らせるだけの迷宮入りした悲劇など、只の嫌がらせにしかならないとランディも分かっている。ならば、フルールも先延ばししか出来ない。
「この夜だけでも疲れている貴方がゆっくりと休めるようにするだけだわ。今は……今だけは、ゆっくりと休んで。何時か、展望を見出せるその時まで……がんばってよ」
石鹸の香りと体温を感じながらランディは、目を瞑った。目元を真っ赤にさせたフルールは、ランディの頭を撫で続ける。
「もう今更、泣けって言われても無理だね」
「……だね」
右腕で目元を覆い隠すと、ぽつりと一言。その右手をフルールは握りしめる。
「ありがとう……フルール」
少しの間、そのままでいると静かな寝息が聞こえて来る。寝入ったのを確認し、そっと握った右手をフルールが持ち上げると目尻に小さな雫が浮かんでいた。
*
それから暫く時が経ち、夜遅くまでフルールは、ランディに付き添っていた。窓から虫の声や風の音が流れ込み、フルールはそれに耳を傾けながらまだ、ランディの膝枕しながら転寝をしている。穏やかな時間が流れる中、扉から控えめなノックが聞こえて来た。
「ああっ……どうぞ」
フルールは目を指で擦りつつ、生返事をする。
「来客は、お前だったのか。遅くまでご苦労だな……」
扉から入って来たのは、寝間着姿のレザン。ランディの姿を見て何かを察し、労いの言葉をフルールに掛ける。フルールは、大きく伸びをした後、あくびを一つする。
「利かん坊を寝かしつけてました」
「そうか……迷惑を掛けたな」
「いいえ。あたしがしたいと思った事だから」
そう言うと、フルールはランディの方へ視線を向ける。
「ほんと、馬鹿なんだから……器用に眠りながら泣いてる」
時折、鼻を啜る音とフルールの腿に零れ落ちる涙の雫たち。掘り起こした記憶は、夢の中まで影響を及ぼしているのだろう。降りやまぬ涙をフルールは、服の袖で拭う。
「やっとです……今日やっと、一つだけ話してくれました」
「そうか……」
「知り合って三か月―― そんなに経ってないのに。凄く長く感じました。分かって居ると思ったけど、やっぱり分かって居ませんでした。近くに居ると思っていたけど、遠く離れていました。もう、苦しむ事がなくなると思っていたけど、なくならないのが分かりました」
俯くフルールは、悔しさを声に滲ませながらさっきの出来事を吐露した。レザンは、机の上の葡萄酒を手に取り、杯に入れた。そして椅子に座り、静かに耳を傾ける。
「どうしてこうなってしまうんでしょうか? 今だったら何であんなに独りで頑張ろうとか考えていたのか……痛い程、分かります。寧ろ、正しいと思ってしまうくらい。どれだけ手前勝手な事をあたしが押し付けていたかも」
「自分を責めるな。その手前勝手にランディは、救われていたんだ。それを否定したらまた、ランディは路頭に迷う。お前だけは、絶対にぶれなるな。もっとお前を押し付けてくれ。やっと人らしくなったんだ。当たり前の様に醜い自分を曝け出せる様になっている。恐らく、此処がランディにとっての正念場なのだろう」
フルールの迷いを真正面から否定し、その心意気を肯定する。進むも地獄。止まるも地獄。後ろに下がれば、救いがあれども人としての頸木から解き放ってしまう。既に道は、決まっている。数多ある道標の一つとしてフルールにあって欲しいとレザンは、願った。
「信頼していた友達を此処へ来る少し前に戦場で看取ったと……それが自分では、どうしようもない理不尽な状況下で……誰がこんな事を経験したと想像出来ますか? 悔しくても悲しくても辛くても恨みたくても。もうどうしようもない。ずっと続く呪いです」
想像もしてなかった絶望の一端を垣間見てフルールは、首を振る。そしてベッドの上に置かれた本を手に取り、レザンに見せる。目を細めて訝しげに遠目から本を眺めるレザン。フルールは、これが何を意味するのか知っている。その意味をレザンにも知って欲しかった。
「レザンさん。ランディが小説を書いているの……知ってました?」
「ああ、黙々と何かを書いているのは、何度か見かけた事があった。小説だったのか」
「亡くなった友達から……託されたそうです。元々は、その友達が趣味として始めたのを……ランディは、遺志を引き継いだって言ってました。そんな悲しい事ってあると思います?」
震える声を振り絞り、やっとの事で言い終えた後、本を胸に抱き締めるフルール。
「長く生きれば……片手で数えられるくらいは、当たり前にあるだろうな。だが……数えきれないほど沢山は、あってたまるものか」
「掘り越してみたら多分、こんな事がまだ幾つもまだあるんだと思います」
「本当に救いがないな……」
レザンは、心で感じた苦々しさを葡萄酒で一気に流し込む。どれだけ考えてもあたり触りのない出て来るのは、誤魔化しばかり。
「こんな悲しい顔させてしまうくらいなら……聞かなければ、良かった」
「それは、ランディが決めた事だ。お前なら話せると思ったから話をしたのだろう。例え、どれだけ無様な姿を見せてもお前に伝えようと……それがお前の思いやりに報いられると」
「……そうでしょうか?」
「ああ、そうだ。お前が聞かなければ、ずっと胸に仕舞って墓まで持って行くに違いない。話をしても相手を困らせるだけで建設的でないと勝手に切り捨ててな。そう言う奴だ」




