第壹章 過去 8P
「元々、これを書き始めたのは俺じゃなくてね。士官学校時代の学友がやってた事なんだ」
「それがどう言う吹き回しで貴方がやってるの?」
「そいつがもう帰って来る事のない長い旅路についてしまったから……」
「っ! ごめんなさい」
椅子から立ち上がり、机の方へと向かい、本を手に取り、飾りのない表表紙を見つめるランディ。見つめるその表情は、悲しみと後悔、その他、幾つもの感情が絡み合っていた。
事情を知り、フルールは噛む。故人と交わした最後の約束。唯一無二の繋がり。知らずとは言えど、何の気なしに問うた事を後悔するフルール。自然と手に持った杯に力が入った。
「良いんだ。もう、起こってしまった過去だから。そいつとの最後の会話でこれを託された。『君の手でこれを終わらせて』って言われた。託された当初は、本当に困り果ててしまったけど……書かないと始まらないからね。凄いのは、人ってやってるうちに慣れていくから苦で無くなって来るんだよ。今では、楽しい趣味の一つさ」
本から視線を外し、目を瞑り、ランディは物思いに耽る。この本は、故人の心残りに成らぬよう、鎮魂の意味と自分の戒めも込めた複雑な代物であった。今もなくさぬよう、忘れぬよう、大切にしている宝物と言っても過言ではない。
「まあ、ほぼ日記に近いんだけどね」
本を片手にランディは、椅子に戻り、フルールに手渡した。受け取った本をフルールは、そっと撫でる。開こうにもその本は、切なさと重い責任感が焼き付いて気軽に読めない。
「二年間、仲間として皆で過ごした。辛い訓練も任務も一緒。偶にある休暇も共に楽しんだ。それぞれが抱える夢も過去も共有した。そしてずっと、皆揃って肩を並べて……背中を預けて戦う戦友だと思ってた。ほんとに良い奴でさ。本当に惜しい奴を亡くしたよ……」
「それが……なんで」
「卒業間近に偵察の任務があったんだ。当初の情報では、王都の近くで小規模の不穏分子が集結しているからその情報収集で全員、駆り出された。まあ、訓練も兼ねて幾つか、実地の任務を熟してたから適任だと思われたらしい。何せ、騎士様は多忙だし、兵を動かせば相手にばれる。動きがバレず、忙しくないとなれば、白羽の矢が立っても可笑しくない。勿論、あくまでも偵察の任が主体でそれが終われば、後から続いて派遣される本隊と合流して……後は、後方で支援任務に携わる予定だった」
「どうなったの?」
聞きたくなくても勝手に言葉が口を継いで出て来る。それが悲しい結末だと分かり切っていても。俯くフルールへランディは、丁寧に語る。鮮明に焼き付いた記憶がランディをより饒舌にさせる。いや、今も燃え盛る心の炎がそうさせるのかもしれない。
「報告にあったよりも人数が大幅に多かった。後は、その不穏分子が近くの町へと侵攻を始めようとしていてね。その旨を報告したら何としても足止めをしろと命令を受けてその不穏分子の敵対勢力に扮して奴らの注意を引いた。限られた人員、物資で出来得る限りは尽した。主だっては、遊撃戦に徹し、最初に奇襲を掛けて手痛い被害を与え、攪乱や奇襲を繰り返した思惑通り、足は止まった。でも多勢に無勢とは正にこの事。相手から逃げながら抵抗していたけど、少しずつ疲弊し、怪我人も出た。気付けば、五日ほど、攻防を繰り広げてた」
「……本隊は? 勿論、来てくれたんでしょ?」
「そのままでは、敗走する可能性があったから応援を呼んで再編成。俺たちは、それまでの繋ぎさ。流石に生きた心地がしなかった。碌に眠れもしないし、後方からの補給もない。現地調達も厳しいから必然と食料も乏しくなる。一番、痛かったのは弾薬とか火器の損耗だね」
「そんなのって……そんなのってあんまりじゃないっ! それじゃあまるで」
激昂するフルールを尻目にランディは、立ち上がって窓の方へ向かった。窓を開けて胸元のポケットから煙草を取り出し、窓の外へ少し身を乗り出して煙草に火をつける。
「うん。それも致し方がなかったのだろうね。兵を育成したり、維持するのもタダじゃない。戦果をあげるのは、当然だと思われている。だから多少の犠牲は付き物。俺たちが全滅するのと本隊が全滅するのなら当然、本隊を選ぶさ。被害の大きさが比べ物にならないからね」
「……」
「それで六日目か、七日目か忘れたけど。俺たちは、最後の攻勢に出ようと決めた。もう、死ぬのが怖いとかそう言う話じゃなくて一刻も早くこの状況から抜け出したかった」
語る口調は、宛ら他人事。声に感情を乗せる事無く、淡々と出来事を語り続けるランディにフルールは、違和感を覚える。尤も今更、怒りに触れても既に起きた出来事だから結果が覆る事もない。やるせなさがそうさせるのだ。
「出来る限り、策を弄した。相手も戦力が削れているこの状況ならもしかすると勝てるかもしれないって安易な考えもあったかな? 今となっては、混沌としていたから何を考えていたのか自分でも分からない。兎に角、やれるだけの事はやった」
「結果は?」
「辛うじて誰一人欠ける事無く、どうにか相手を撃退出来た。虎の子で取って置いた爆薬が功を奏したんだ」
それからランディは、乾いた笑いを漏らした。同時に煙草を持った手に自然と力が入り、折ってしまう。折れた煙草の火を揉み消しながら外の星空に目を向ける。
「でもそれで終わりじゃなかったんだ。その時は……驚いて声も出なかったよ。不穏分子にも追加の部隊があったなんて思ってもみなかった。しかも共和国の獣人や帝国の竜人も居た。どうやら各国の御尋ね者たちもこの話に一枚噛んでいたらしい。俺たちは、必死に逃げた。けど逃げる道すがら……恐れていた犠牲者が出たんだ」
「それで―― どやって貴方は?」
「……分からない。恥も外聞もなく、逃げて気付いたら俺たちは、助かった。逃げ延びた先で死に際の友からこの本を託されたのさ。それから本隊と合流したけど、もう不穏分子は、影も形も無くなって居た」
これで話はおしまいと、ランディは振り向き、肩を竦めた。
その瞳には、確固たる意志が宿っている。
「俺は、この本を書き終わらないといけない。それが友の残した……最後の望みだったから」
目尻に雫を貯めたフルールは、黙ってランディを睨みつける。
「それで出来れば、あいつの家族に渡してあげたいんだ。会った事はないけどもう、奥さんと子供が居るらしくてね。せめても手向けとして」
「どうしてそんな悲しい事……黙ってたのっ」
やっと聞けた声には、明確な怒気を孕んでいた。窓の桟に腰掛けてランディは、力なく項垂れる。そんな顔を見たくなかったからとは言えなかった。本心をひた隠し、ランディは道化を演じる。これくらい朝飯前だと自分に言い聞かせて。
「こんな話、誰にも出来ないよ。実際、君も聞いてて全く楽しくなかっただろう? 折角の逢引なら女の子を楽しませたいと思うのが男の性だよ」
「……ずっと無理して笑ってたの?」
「いや、違うよ」
「嘘でしょ! そんな訳ない」
真っすぐに突き刺さる指摘を受けても溢れる思いを押し殺し、耐える。
「……どうせ、貴方の事だからまともに泣けもしなかったんでしょ! でも忘れちゃいけないからって隠してずっと抱えてた。今も苦しんでるっ!」
流れる涙を気に留める事無く、フルールは吠えた。立ち上がり、ランディの胸倉を掴んで顔を上げさせるとそこには、弱弱しく揺れる茶色の瞳と悲しみを噛み締める口元。
「分かってた、分かってたの……どんなに止めてもずっと前から続けてて取り返しがつかない事がいっぱいあるって。でもあたしは――」




