第壹章 過去 6P
「―—―— お前の目を見たからだ」
ボサボサの髪を掻き毟り、気まずそうに言葉を漏らす。紡ぎ出される言葉は、ヌアールの本心と言っても過言ではない。柄にもなく、素直な思いをランディは、きちんと受け止める。
「お前がきちんと向き合おうとしているのが分かったからな。俺だけがガキみたいに意固地になる何ざ、馬鹿らしい。それに若手の背を押すのは、何時だって先達の仕事だ」
「素直じゃないなあ……あの時、言って貰えれば」
「問い質したからには……お前なりの答えを出したのなら手を貸すのが当たり前だ。ましてや、他人様の為だって言うのなら尚更だ。俺だって其処まで冷血漢じゃない。尤も答えが出るのは、遅かったみたいだが……それでもお前は、時間を掛けて回り道を沢山して実績を積み重ね、納得の行く答えを探し出したんだ。俺にとっても、お前にとってもな」
空高くに輝く太陽を見上げ、眩しそうに眼を細めるヌアール。
「一つ、勘違いするなよ? お前のそれは、挫折じゃない。不特定多数の小さな身勝手な願いが寄り集まってお前へ一方的に期待を押し付けた何の価値もない結果だ。名前を付けるなら取るに足らない只の塵と呼ぶべきだな。挫折とは、お前がお前の為に全力を尽くしてそれでも手が届かなかった時に生まれるもんだ」
「はい……」
「まあ、分かって居るだろうが。俺が確固たるものにしてやった」
何故か自慢げにヌアールは、胸を張る。ランディも賛同するのだが、その口調は何処か重たい。己の中に存在する未練がそうさせるのかもしれない。それを知ってか知らずか。ヌアールは、そっと嘗ての自分の想いを添える。
「昔、俺も似たようなもんに囚われた事が……あった。でもお前と同じでその先に俺が求める答えは、なかった。だからこっちから唾を吐いてけっ飛ばしてやった」
「ヌアールさんにもそんな時があったんですね」
「誰にだってあるだろ。ある日、突然自分の中で縋って居たもんに限界だって三行半突き付けられて路頭に迷う事なんてな。でもまた、探すんだ。そして新しく縋れるものに出会う。その繰り返しだ。死ぬ間際まで立っていられたら上出来。出来ない奴から死んでくからな」
「もっと上手い例えがあったんじゃないですか?」
「しょうもない事で格好付けたって仕方がねえよ。お前だってこんな気が滅入る話をちっぽけな自尊心を満たす為に見栄張って飾り付ける情けない奴にはなりたくないだろ?」
「確かに」
「ようは、メリハリだな。恰好が悪い時は、とことん恰好悪する。恰好を付ける時は、付ける。零があるから一が輝くんだ。まあ、詰まんないお前は、普遍的な零に成りたがってるのかもしれんがな……本当に詰まんない野郎だ」
「ヌアールさんの場合は、値が振り切って負の方向に向かってますね……例え、どんなに善行を積み重ねても借金が多いので埋め合わせが出来ません」
「喧しい。俺は、気楽で居たいんだ。何も背負いたくないからな」
出来る事なら重苦しい責任と一緒に手に持っている鞄すらも放り投げそうな勢いで投げ槍になるヌアール。ランディは、こうなりたくないと素直に思った。但し、その生き様には少し憧れた。いつ何時でもヌアールは、必ず自分らしさを貫いている。今もそれは変わらない。それが眩しくランディには感じた。つまり、自分に持っていない物への焦がれだ。
「それとお前、ヌアールって止めろ。呼ばれても反応出来ない」
「これでも気をつかっていた心算ですが……」
「そんなもん要らねーよ」
「分かりました。ノアさん」
恐る恐るその名を口にした。面と向かって言われると少し気まずさを覚える。ひとりの人間として認めて貰えた事がランディには嬉しかった。
「……疫病神なんて言って悪かった」
「―――― もう、過ぎた事です。構いませんよ」
まさか、謝罪があると思わず、ランディは驚き、茶色の目を見開く。言葉に詰まり、やっとの事で捻り出したのは、ありふれた許容。これもヌアールなりの自分を通した答え。
もし、同じ立場であったならランディには出来ない。
「これで俺の憂いはなくなった。これからも気兼ねなく罵れる」
「有難うございます。本当に屑な感性を持っていらっしゃるからこれ以上にない反面教師として勉強になります。決してこうなってはいけないと」
「お前も大概だけどな。あん時、裏で手を回してでも憲兵殿に性根を叩き直して貰うべきだったな。情けなく膝をついて泣き叫ぶお前を見たなら俺の溜飲も少しは下がっただろう」
「心外ですね。この町を発たれる前に少しだけお話する機会があったのですが。大尉殿は、ノアさんの性根を叩き直したいとおっしゃってました。あれだけの狼藉を働けば、当然ですね。かなり御立腹されていましたよ」
しおらしく謝罪されるのは、やはり気味が悪い。寧ろ、憎まれ口を叩かれた方がよっぽど清々しい。単純な馴れ合いをランディは、ヌアールに求めていない。これまで通り、張り合いがあり、一歩引いて自分とは違う視点から助言を貰える人物としてあって欲しいのだ。
「敵の敵は、味方か……全くもって堅物の考え方は分からん。鉢合わせしなくて良かった」
「少なくとも俺に関しては大尉殿から何も御小言はありませんでしたよ。これからも弛まず、精進するようにとだけ。お話したら助言も頂けてとても尊敬の出来る方でした」
「そりゃあ、お前はお利口さんの真似が上手いからな。俺みたいに個性的で繊細さが売りの不器用な人間は無理だ。ああ言う生真面目な性格のおっさんとはそりが合わない」
「自画自賛にも程があります。驚愕して言葉も出ません。恥も外聞もないんですか?」
「言葉になってんじゃねえか」
「すみません。黙っている心算がつい出てしまったみたいです」
次の配達先が見え、ランディは別れの挨拶をする。丁度、話も終わってキリが良かった。
「お話、出来て良かったです。では、これで」
「……待て」
丁度、話のキリが良かった。一方、ヌアールは何か言い足りない事がある様で少し考えた後、ランディを引き留める。歩みを止め、ランディはヌアールの方へと振り返る。
「待て……言おうかどうしようか迷ったが、言っておく。お前は……もうその力に頼るな。完成されていようがいまいが、その力は……お前を不幸にする」
「何のことか……さっぱりです」
町の住人に隠し続けている秘密の一端をヌアールは知っている。何時か、指摘があると覚悟はしていた。だが、心の準備までは間に合わなかった。気付けば、冷や汗を掻いていた。全てを見透かすような視線をその身に受けながらランディは、惚ける。此処から先は、冗談では済まされない。内面に深く関わる事情だ。出来れば、聞かなかった事にしたかった。
「恍けるのも構わない。だが、俺は忠告したぞ」
「残念ながら使わねばならぬ時は、身構えていようがいまいがその時は、関係なくやって来ます。使わないと覚悟しようとも否応なしに。ならば例え、先に待つのが地獄であっても……今は、選べる選択肢が多い方と手を取ります。それが悪魔との契約だったとしてもです。駄目なんですよ。宿命とでも言うべきでしょうか? もう、後戻りが出来ないんです」
今は、ぼんやりとした持論を述べるだけに止める。ランディは、弱弱しく微笑み、首を横に振る。以前の灰狼もそうだが、知らず知らずのうちに惹きつける宿命とも呼べる楔がまだ己の身に深く突き刺さっている。その楔が消えるまでは、手放せない。勿論、これまで不確かな存在であった安寧に手が届くのなら直ぐにでも放逐したいとランディは、思っている。




