第壹章 過去 5P
肩を落とし、呆れ返るマロンを尻目に膝の埃を手で払いながら怪しげに笑うランディ。顔の雰囲気は、少し似通っているもこざっぱりとした口調で大人びた雰囲気を漂わせるマロン。姉妹でも性格は、全くの別物。得てして兄弟姉妹とは、そういうものだ。
「まあ、それだけの度胸があれば……ウチのシトロンを任せてもダイジョブそうかな? 私の可愛くて憎らしい愚妹を宜しく頼んだ」
「いやあ、早計な判断かと。是非とももう一度、再検討した方が良いと上甲します。これは駄目だと消極的な答えが出るまで何度も何度も。しょうもない結果しかありませんよ」
「ううん。何か勘違いしてるみたい。君は、客だよ。君が手持っている商品は、一度でも触れれば強制買い取り。勿論。返品、交換不可。何せ、一点ものなのだからね」
「客になった覚えはないのですが……」
「先ず、そもそもの間違いを指摘するなら君は、ずっと休業中だったとある店へ考えなしにノックして扉に手を掛けた事。そこから始まっているんだよ?」
ランディの目の前まで歩み寄るとさっと短い髪を軽く払いながら秋波を送るマロン。意味深長な行動にランディは、戸惑う。互いに深く相手の領域へ踏み込んだ事はない。あくまでもおもちゃの一つに過ぎない。構われているのも恐らくフルール関係だ。そもそもランディ本人に魅力を感じる節は、微塵もなかっただろう。
それは、誰よりもランディ自身が理解している。
「何のこっちゃ、いまいち要領を得ないのですが……」
「恍けていられるのも今の内だね。精々、自由な今を楽しんでくれたまえ」
「はい?」
「ほれ、仕事があるんでしょ? もう行った、行った」
「では……これにて失礼致します。どうぞ、御贔屓に」
そう言うとマロンは、配達の品を要求し、受け取るとランディを回転させ、その背を押して追い立てる。ランディも長居をする心算はなかったので素直に従った。
「何処が良かったのかね……」
ランディにも聞こえない程、小さな声でそっと呟くマロン。
腑に落ちないまま、ランディは店を追い出される。されど、考えても答えが出ないのだから何時までも拘る必要もない。こう言った場合は、直ぐに忘れる方が楽だとランディは知っている。何より、まだ仕事中だ。優先事項は、既に目の前。
「今日は、よく雷が落ちる日だ……いったい俺が何をしたって言うんだ」
何もしていないから怒られている。物事への展望がなく、一切進展しないから。もっと、主体性があれば、誰も口出しはしない。頭の片隅で考え事をしつつ、暫くの間、日差しの強さを肌身に感じながら高低差のある閑静な住宅地の合間を縫って配達に勤しむ。庭先の木々や花壇が艶やかな緑に色付く。時折、花の香りがランディの鼻を擽った。
「それじゃあ、ジズマンさん。御大事に」
「ノアさん、どうもありがとね。助かったよ」
三件の配達を済ませ、次の目的地へ向かう道すがら。十字路を左に曲がった所で診療用の黒い鞄を手に真っ白な白衣を着込んだヌアールを見つける。問診で訪れていたのであろう家から出る所に鉢合わせをする。そのまま素通りをしようと構うことなく、ランディは歩く。するとヌアールもランディに気付き、気怠そうに声を掛けて来た。
「何だ、お前か……」
「おはようございます。ヌアールさん」
出来れば、関わりたくない。ランディは、隠す事なく、あからさまな態度で示す。そのまま、会話がないまま、同じ道を二人して進む。恐らく、目的地は同じ方向なのだろう。互いに牽制し合い、ギスギスとした空気が漂う。一触即発とまでは行かないが、どちらも相手の出方を伺っていた。そんな落ち着かない状況の中、ヌアールが先に口を開く。
「何でこっちに来るんだ? あんまり、お前と歩きたくないんだけど」
「俺の配達先は、こっちです。ヌアールさんの方こそ、お嫌なら別の経路で向かえば良いのでは? 単刀直入に言います。多少の恩義があるとは言え、馬が合わないと思っているのは、俺も同じです。勘違いしないで下さい」
ぼそりと言われたその一言にランディは、苛立ちを覚え、早口で捲し立てる。
「いいや、違うね。俺の方が迷惑してる」
「大人気ない。程度など関係なく互いに嫌悪しあっている現状には、変わりないんですから」
「お前の並び立てる御託に付き合う義理は無い。こっちは、感情の程度の話をしてんだ。すまし顔で話を纏めようとすんな」
「ヌアールさんみたいに俺の事を殺めたい程、憎んでいる訳じゃありません。このまま、子供の喧嘩を何時までも続けると周りに迷惑が掛かります。だから俺は、無理に笑顔を浮かべて右手を貴方に差し出しているんです。表向きは、きちんと対応しようと。敬語もきちんと使ってますし。本当は、敬いたくないけど」
「ガキが大人ぶるな」
詰まらない言の葉の応酬が続く。どちらも歩み寄りの意志がない。譲れないものがあり、背負うものがある。その自身の後ろに連なるものがあるから。されど、この諍いにも少しずつ転機が見え始めていた。それもこれまでの積み重ねた結果の一つ。
「前に聞いたな……答えは出たか?」
「ええ……やっと答えが出ました」
「そうか」
いつの日か、問われた問いに。ランディは、向き合う。悔しさもあった。でもそれ以上に忘れていた掛け替えのない何かを思い出したから。これまで縋っていた矜持と型にはめた自分ではなく、自分らしくなれる世界を見つけたから後悔はない。
「ならば、改めて問う。今のお前は、何処にいる?」
穏やかな口調で何時になく真面目な顔でヌアールはランディ詰問する。
髪のすき間から覗く鋭い眼光には、迫力があった。
「今の俺は、此処に居ます。この穏やかに流れる時間の中で。笑い合える人達と共に」
「……お前が間違っていたんじゃない。急かして結果を求めるばかりだから間違っているのは……いつだって世界だ。その間違いに合わせようとすんな、向き合おうとすんな。辻褄を合わせる為に自分を無碍にするな。詰まんない道理には、詰まんないって面と向かって言え。俺は……お前の価値観を否定してはいない」
「ヌアールさんらしい言葉だ」
「馬鹿にしてんのか?」
「いいえ、在り難く受け止めてますよ。この三か月、色んなものを見て来ました。それなりに……努力も積み重ねた心算です。分かって居ないと言われた人の重みも……」
「そうだ。お前は、もう雁字搦めに縛り付けられている。何処にも逃げ場何てなかったんだ。お前の想いなんざ、知った事か。もっと大きな何かにお前は、想われている。それで良いんだ。お前が固執するもんなんか、全部幻想だ」
「そうですね。俺の理想何て本当にちっぽけでした。もっと凄いものが目の前にあったのですから。それを見ない振りをした結果があの様です」
溶ける筈がないと思っていた氷塊は、あっという間に砕け散る。最初からこうだったのならと思う所もある。もっと上手く立ち回れれば。だが、今となっては詰まらない戯言だ。この回り道があったからこそ、納得が出来た。決して無駄ではない。
「本当は、エグリースさんの時。ヌアールさんは、協力しなくても良かったのに。だってミロワさんに怒られても別に困る事は無いでしょう?」
「あの時は……ミロワの機嫌がこれまでにない程、最低の水準にまで下がって居たんだ。お前に協力してなけりゃ。今、此処に居ないな……」
「どんな事すれば、そんな……いや、そう言う事にしといてあげます」
首を振り、苦笑いを漏らすランディ。素直ではないヌアールの言い訳だと分かり、深く追求する必要がないと悟ったのだ。




