第壹章 過去 2P
買った野菜を紙袋に入れて貰い、それを肩掛けの鞄に仕舞う。仕事そっちのけで早速、寄り道に勤しんでしまった。仕事を思い出し、ランディは駆け足で役場の方へ向かう。いつの間にか頭の痛みも消えた。
同時にレザンの小言も何処かへ吹き飛んでしまう。
「味見で一個くらいなら……」
草の包みの中から橙色の果実を一個取り出し、口に放り込む。
「うん。やっぱりそのままが一番旨い。それと、罪悪感が拭えない……」
噛み締めると口の中に広がる甘酸っぱさ。そして思い出すのは、やはりブランの誕生日。
もっと早く手に入れて居ればと後悔が付き纏う。その他にも気掛かりがあった。
「はあ……宜しくない」
遠くに聳え立つ山々の方を向き、溜息を一つ。誰にも見せない独特な緊張感と疲れの色を見せる。何時もの温和な目に鋭さが宿っていた。首を横に振って気を取り直すと、目的地ねと向かった。最初の配達先は、シトロンの酒場。通い慣れた建屋を目指し、一直線に向かう。
大通りに面する露店の中、目立って閑散とした木造の建屋。当然ながら昼間は、客が寄り付かない本領を発揮するのは、日暮れからだ。準備中の立札の横を通って店内に入って行くランディ。室内は、広く静かで最低限の明かりのみで薄暗く怪しげな雰囲気が漂っていた。いや、怪しげな雰囲気を漂わせていたのは、厨房に続く扉の前を陣取って小声で話をする寝間着姿の女性二人。一人は、シトロン。もう一人は、シトロンの姉だった。
「おはようございます、マロンさん。やあ、シトロン。配達だよ」
「おっ、噂をすれば……ランディ、おはよう」
邪魔をするのは、忍びなかったがこれも仕事だ。手短に済ませてさっさと退散するのが吉。
何やら不穏なひと言があったけれどもランディは、敢えて触れない。細い顔立ちで髪をボブに切り揃えたシトロンの姉マロンは、にやりと笑っていた。一方、寝癖が酷いシトロンは挨拶もなし。じっとりとした視線をランディに向けるだけだ。シトロンの行動の原因に思い当る節があり、少し居心地が悪くなる。
「出おったな……二心を抱きし者」
「ふっ……何時もの可愛らしい君が台無しだよ?」
「おべっかで誤魔化せるとでも思ったか。二心を抱きし者」
「その口調、疲れるでしょ」
珍しく小賢しさを発揮して下手に出るもぴしゃりと跳ねつけられる。ランディは、如何にかきっかけを懐へ潜り込もうと画策した。先ずは、話をする事からだ。言い訳をグダグダと並べるのは、その先。長い道のりだ。
「意外と気に入っている。二心を抱きし者」
「それ、言いたいだけだね」
暫く終わりそうにない押し問答にマロンは、肩を竦めると奥に戻って行く。
「この浮気者。何が善意からの想いよ? 下心ありありのありじゃん」
「いや、下心はないよ。常に町の皆さんと良好な関係性にある。気が付けば、いつも隣に。それがランディ・マタン。覚えて置いて」
「この際、下らない謳い文句は、聞かなかった事にしてあげる。でも良好な関係性とは、如何に? 少なくとも私が知る限りでは、公衆の面前でしな垂れかかるのをよしよししない。憮然として間抜け面も晒したりしないない」
「的確に俺の急所を狙って来る君の器量には脱帽だ……そうだね……全ては、俺の了見の狭さから来るもの。堂々として裏表のない友人関係だと訴え掛ければ、問題なかったんだ」
恥も外聞もかなぐり捨てて辛辣な指摘を受け止めるランディ。胸元に人差し指を立てシトロン。進撃は尚も止まらない。単にからかわれているだけ。シトロンの気が済むまで耐え続けるのみ。効率とは無縁の地味な戦いだ。
「あの状況でそれは、無理があると思う。沢山の言葉を並べたてたってどんなに間抜けでも何かあるって思うもの。私の時みたいに素直にあの子事を思っている何て言ったらもうそれは、答え合わせしたようなもんだし」
「別に二人で答え合わせしてないから問題ないでしょ? そこに特別な感情が入ってなくとも同じくらいの心を許せる信頼関係があるのなら」
「そんな信頼関係を築けたのなら貴方たちの事を人は皆、恋人と言う。若しくは、夫婦」
ぐうの音も出ない正論をランディは、あらゆる手を使い、いなして行く。これも良い経験だ。誰に頼るでもなく、配られた手札を切って降り掛かる火の粉を振り払って行かねばならぬ時もある。これは、その為の練習と言っても過言ではない。寧ろ、この程度の話題で済むのならば、まだ安い方だろう。金銭が絡む話ならば、仁義なき戦となるだろう。
「言葉なんてまやかしさ。詰まらない人たちが安心したいが為に作った張りぼてに過ぎないってレザンさんが言ってた。誰に何と言われようが、俺はレザンさんの言葉を信じる」
「よりにもよって誰より石頭である事を美徳とするレザンさんを盾にするとは……そう言う所がずっこいんだよっ! ランディくんは」
「本当に助かってる。君が言った通りである程度、肩書きは重要だね」
「何時か、その歪んだ性格を足で踏んづけ矯正してあげる」
「こわい、こわい」
ばれない様、小さく吐息を漏らすランディ。決着がついたと白い歯を見せ掛けた所で思わぬ罠が待ち構えていた。毎度のお馴染、ルーにこれでもかと指摘される脇の甘さによるものだ。
「そうだよね」
寂しげに微笑むシトロンは、少し俯いてランディにも聞こえる様に呟いた。
「でもさ……私の中のこのもやもやした気持ち、そんな言葉で簡単に片付けられちゃうんだ……あんな事、本当なら恥かしくって……誰にでも出来る事じゃないのに……」
「訂正しよう。どんな肩書きも言葉もその悲しげに伏せた瞳には、勝てない。ごめんよ……」
「悪びれもせず、ちょーしに乗るからだ。許してやんないー」
どれだけ御託を並べても誤魔化せない事もある。いーっと口を開き、むくれるシトロン。
どつぼに嵌れば、後は傾斜がきつい坂を転がり落ちるのみ。
「ほんとにね……ほんの少しだけだったけど……あの時ならランディくんがどんな事、しようとしても許して上げちゃおうかなって思ってた」
「それは、絶対に嘘」
「なら今、確かめてみる?」
「その手には乗らないっ」
ひきつった表情を浮かべて首を横に振ると、一歩後退り逃げるランディ。逃がすまいとそのランディの右手を強引に掴み、自分の胸元へ持って行こうとするシトロン。
「ほら……そんな事、言わないで手を貸して――」
「絶対に嫌だ……」
「そんなに私の事を目で追っちゃう様になるのがイヤ?」
それは、それで構わないと口から出る寸での所で押し止める。もっと状況が酷くなる前に何か手は無いかと頭を必死に働かせる。最早、遊びの範疇を超え、面倒事に名前が変わっている。深手を負う前に撤退を。身の安全を模索する。何がランディを怯えさせるか。それは、いつの間にか背後に立っていた人の気配が根本的な原因。
「寧ろ、それで済むなら確かめる必要はないよ……俺が無様になるだけで終わるのならね。でも今、君に手を伸ばしたらそれだけじゃ済まない」
方向を少し変えて必死に言葉を飾りつけ、あたり触り無く終わらせようとするのだが、もう遅かった。後ろの人影から床を足で踏み鳴らす音が聞こえて来る。どう足掻いても逃げ場がないと悟り、物憂げな顔をしながらランディは、両手を上げて降参した。
「それってどう言う事?」
「何故か知らないけど……俺の後ろで猛獣が歯を剥きだしにして唸ってる。」
「何だ、気付いてたの。後もうちょっとだったのに」
「本当に末恐ろしいよ」
無い頭を必死に働かせ、目の前のシトロンに集中していたランディ。一方、シトロンは、扉の方が見えており、分かって居たのだ。ランディの白旗を皮切りに背後の人影が言葉を発する。




