第壹章 過去 1P
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「さて……今日も一日、頑張りますか」
「日差しも強くなって少し暑くなって来た。根を詰めるなよ? 何も身体を動かすだけが全てではない。頭を使うのも仕事の内。所謂、効率重視と言う奴だ」
「体力には、自信がありますが……頭を使うのはどうも……」
「ごり押しではなく、時には頭を使って上手く手を抜けと言ってるんだ」
「雇い主がそれを言って良いものなのですか?」
六の月の始め。祭りの熱気もすっかり冷めてからは、気候が熱気を帯び始める。日に日に強くなる太陽の日差し。二人供袖の短いシャツとタイトなパンツ姿で装いに夏の色が見える。どちらかと言えば、平均気温が低く、避暑地扱いの『Chanter』 でも日中の日差しは辛い。
但し、室内まではその熱気が届く事がない。ひんやりとした店内でランディとレザンは、いつもと変わらず、他愛もない会話に勤しんでいた。要求される事も日に日に多くなり、それと同時にぼんやりとした感覚の様なものが入り混じり、ランディを混迷の底へ蹴落として行く。置いて行かれまいと必死にしがみつくのがやっとの状況だ。自分から飛び込んだとは言え、右も左も分からない中で上手くやっている方だと仕事終わりにルーを巻き込み、酒場で愚痴を零す毎日。それでも毎日は充実していた。
「真面目と愚直の間には、それこそ天と地ほどの差がある。従業員の品格は、それ即ち、雇い主の品格を推し量る明瞭な判断材料だ。前にも言ったがお前は、もうこの店の看板を背負っている。私の管理体制や育成方針を形にしたものと言っても過言ではない。つまり、お前の評価が下がれば下がる程に私の評価も比例して下がって行く。そうなれば、必然的に足元を見られてしまう。狡賢いと言う言葉は、あまり良い言葉ではないが……使い時さえ間違えなければ、相手に緊張感を持たせるには、丁度良い武器だ。逆を言えば、お前が手を抜いても通常の業務を賄えるだけの器量があり、その遊びを許容しつつも重要な場面では、私がお前の手綱を引いて最大限の力を発揮出来ると対外的に示せれば、怖いものは何もない」
「ほええ――」
「その間抜け面は、止めろ……」
口を大きく開けながらレザンの高説を右から左に聞き流すランディ。疲れの色を隠さず、大きく肩を落とすレザン。実際の所、賢くないので事前に座学で学んだ事をそのまま、実践出来ない。あくまでも愚者であると自覚し、胸を張るランディは、物事に直面し、失敗や経験を経て次の機会に反映させる。レザンもそれは、分かって居るのだが、その経過までの間が長いので手を焼いていた。何せ、中途半端に知恵が回るので素直に受けと止めるより先に下らない言い訳や逃げが出る。今も正にそうだ。
「とても素晴らしい考えであります。でも少々……いや、其処までに至る道のりは、かなり遠い気がします。と言うか、とてもとても遠いです」
「千里の道も一歩からだ。始めなければ、何も成さない。今すぐにそうなれと言っているのではない。意識しろと言ってるんだ」
「はいっ!」
レザンが皺の寄った手を目元に当て呆れ果てる様を見てランディは、わざとらしく姿勢を正し、快活な返事をする。この返事は、分かって居ない時にする返事だ。
「確かに、お前の素直さも何よりも代え難い強力な武器だ。だが、それだけで戦うのも無理がある。例えば、夕食の準備でパンを切るのにお前は、自分の獲物を毎度、持ち出すか?」
「いいえ、ナイフを使います」
「そう言う事だ。物事には、適材適所が必ず存在する」
「つまり、ナイフが最強の武器であると……」
顎に手を当てて頓珍漢な発言でその場の空気を濁そうとするも詰まらない小手先の手は、レザンに通用しない。一刻も早くこの場から離れたいランディの足は、機会を見計らって何時でも外に出られるよう、準備をしていた。その考えすらも見透かすレザンは、逃がさない。
「使い分けが肝心だと言っている……その飛躍した思考の工程が分からん。場合によっては、お前が頭の中で描かれたこの世の理は、風が吹かずとも桶屋が儲かる事象が罷り通っている。確実に因果律が捻じ曲がって居るぞ。今すぐ、直せ」
「定説とは……覆される為に存在します。何れ……そうなるかもしれません」
「真面目な顔をして下らん言い訳をするな」
「あいたっ!」
「さっさと終わらせて来い」
「畏まりましたっ」
もう、言い聞かせても頭に入らないと諦め、レザンはランディの頭頂部に手痛い一発を食らわせ、解放する。カウンターに置いていた肩掛けの鞄を掻っ攫い、風の様に店を飛び出すランディ。その背をレザンは、微笑みながら見送った。
「久々にレザンさんの鉄槌を受けた……」
店から出たランディは、強い日差しから逃げる為、近道の通りを選ばず、薄暗い小道へ向かう。家屋の陰へ辿り着くと次第に足取りを緩め、殴られた頭を両手で抑えながら歩く。眉間に皺を寄せながらレザンに言われた事柄を反芻し、自分のものにしようと画策する。されど、自分の事は自分がよく知って居る。薄暗いじめっとした小道から大通りに出ると、直ぐ別のものに興味が惹かれて行く。気付けば、町の環境だけでなく、様々な事象にも少しずつ夏の香りが近づいていた。
「おおっ……ズッキーニが大きい……ピーマンも色づきが良い」
数多ある露店の内、軒先で野菜を売る一軒の店へふらっと近寄るランディ。古びた木箱には、色とりどりの作物が陳列されていた。その中でも特に目を惹くのは、夏野菜。最盛期ではない為、大きさも形も不揃いだが、逆にそれが味わいを感じさせる。素人の目から見ても張りがあり、瑞々しさを感じる。どの作物も食べ応えがありそうだ。胸いっぱいに青臭さや甘い香りを吸い込むランディ。その様子をゆり椅子に座った店番の老婆が見ていた。白髪の髪を頭頂部で詰め、団子にしており、眠たげな瞼を持ち上げ、にっこりと笑う。
「レザンとこの坊や、目の付け所が良いね。近くの農村から入ったばっかりだよ」
「こんにちは、オニョンさん。通りで美味しそうな訳だ」
世辞と分かっていても褒められると嬉しいもの。椅子からそっと立ち上がり、前掛けを軽く払う老婆。ランディは、笑顔を浮かべながら会釈をした。野菜の貯えは、根菜以外あまりないので決して無駄にはならないが、衝動買いであるのは、間違いない。品物を眺めながら悩むランディ。そんなランディの背を隣に来た老婆がそっと押す。
「持ってくかい?」
「うーん……ナスとトマトがあるなら。今日は、ラタトゥイユにでもしようかな?」
「あるよ。ズッキーニは、塩で揉んでちょっと置いておくのも美味しいんだ。ピーマンは……肉詰めもお勧めだね。苦味が好きなら生で丸ごと齧るのもありだね」
「決めたっ! オニョンさん、買います」
「毎度あり」
幾つかの野菜を見繕って貰い、先にランディは財布から金を取り出して渡す。現金を仕舞う為、老婆は一度、室内に戻った。帰って来るとその手には、つり銭と共に小さな葉の包みを持って来ている。つり銭と共にランディの両手にその包みを手渡す。
「これは、おまけね」
「良いんですか? 美味しそうな野いちごなのに」
「農家の子が土産だっておいてってくれたんだけど……うちの爺様は、食べないんだ。私、一人では食べ切れないから持ってお行き。あの頑固者には、内緒だよ」
「ありがとうございますっ!」
「仕事、頑張りや」
「はいっ」
買った野菜を紙袋に入れて貰い、それを肩掛けの鞄に仕舞う。仕事そっちのけで早速、寄り道に勤しんでしまった。仕事を思い出し、ランディは駆け足で役場の方へ向かう。いつの間にか頭の痛みも消えた。同時にレザンの小言も何処かへ吹き飛んでしまう。




