第伍章 灯台下暗し 5P
来訪者に向けてではなく、主に町民へ向けた宣誓とでも言うべきだろうか。大凡、三か月経った今も心の傷が癒えぬ住民が居る。現に林檎酒を片手に女の子へ肩を貸して表向きは、色恋沙汰に現を抜かして居る様に見える若者も答えのない問いを永遠と自問自答し続けている。そう言った現状を踏まえて心から楽しめない者にもブランは、配慮を忘れない。
「さて……真面目な話はこれ位にしておこうか。何時までも湿っぽいのは、祭りに似合わないから。皆さん、ありがとう。僕も大いに楽しめた。楽隊の方々、今年も心安らぐ音楽をありがとう。勿論、美味しそうな匂いを漂わせていたお店の方々も。お蔭でちょっと太った」
それぞれに思う所があり、ブランの演説に聞き入って静まり返っていた聴衆は、また息を吹き返す。ブランの人を惹きつける能力に感嘆するランディ。恐らく、自分には出来ないと改めて器の大きさを痛感させられる。
「感謝の言葉が溢れて止まらないよ。本当に。やっぱり、祭りはこうでなくっちゃ」
先程までとは、打って変わり、柔らかい口調で祭りの感想を述べるブラン。
「ああ、そうだ。感謝と言えば……今日は一つ、自慢話をしようと思ってたんだ」
それから忘れずに己の誕生日についても触れる。
「僕の誕生日、覚えてくれてありがとうございます。今年も沢山の方からお祝いの言葉を頂いた。只、御小言は止めて欲しいなあ……もっと、僕に優しくしておくれよ」
歯に衣着せぬブランの率直な要望にどっと笑いが巻き起こった。薄情な皆を前にして壇上で肩を竦めるブラン。これも毎度、お馴染みの諧謔に違いない。
「はいはい、分かったよ。それで自慢話って言うのはね……今朝の事なんだけど。うちの可愛くて目に入れても痛くない愛すべき娘たちがとっても素晴らしい贈り物をくれたんだっ! 聞いて驚け、皆の衆! 何と、初の手作りケーキ! どうだ、羨ましかろう!」
そして、最大級の親馬鹿も遺憾なく発揮する。子の成長や真心を喜ばない親など、この世に存在しない。大袈裟に感涙を流すブランを見てランディは、一安心した。
「上手く出来たんだね。良かった」
「かなり前から計画してくれてたみたいで。もう、嬉しくて、嬉しくて涙が出て来たよ」
故人の遺志を引き継ぎ、それに加えて己の思いが籠められている。ブランにとってこれ以上にない贈り物と言えよう。
「これが言いたくてずっと待ちきれなかった。ありがとね。ルージュ、ヴェール」
後ろを向いてブランは、心からの感謝を述べる。
遠目からでは分からないが恐らく、双子もこの場にいる違いない。
「そんでもってこの話には続きがあるんだ。どうやらケーキ作りには、裏の立役者がいるらしい。もしかしたら……この場にいるかも? おっ、その好青年っ! えっ……何? 真昼間から見せつけてくれちゃって……見てたら何かもう、感謝の気持ちが消えて行くね」
その時、ランディの傍を一陣の風が通り抜けて行った。いや、正確には途轍もない速さで向かって来た風の壁に跳ね飛ばされたと言う表現が正しいだろう。注目の的になるとは思ってもなかったので一気に血の気が引いて顔色が真っ青になるランディ。
「……今まで築いて来たもの全てが崩れ去った音が聞こえる。何て事してくれたんだ……」
囃し立てる群衆などお構いなしに幻聴が聞える程の衝撃を受けてランディは、目を見開いて茫然としている。この時ばかりは、わざとらしく呆れるブランが初めて親の敵に見えた。
「うん。そこの女の子連れてる彼なんだけどね。二の月にこの町へ引っ越して来た子でうちの子がケーキを作るのに色々と協力してくれたんだって。楽しそうに話をしてくれた」
弁解の余地も与えられず、事実の誤認と拡大解釈が一人歩きして行くのを今のランディは、指を咥えて見ている事しか出来ない。
「そうそう。この町に住みたがっている変わり者なんだ。もっと、栄えている町なんていっぱいあるのにね。でも、敢えて数ある町の中でこの『Chanteur』を選んでくれた。そんな彼をとある人から紹介された折。僕は、課題を持ちかけたんだ。課題の内容は、何でも良いから町の話題になるような事を今月までに五つ作る事。元々、住むのに資格なんてないけどね。面白半分で提案してみたんだ。でも快く了承してくれて真面目にもう四つも熟してる」
手短にそもそもの背景をブランは、説明した。
それにより多くの人々からの視線が一斉に憐みの色を滲ませる。
「それでね。僕は、このケーキ作りを最後の五つ目にしたいと思った。自分で言うのもあれだけど。こんな心温まる話、独り占めするのは、勿体ないし。彼の熱意に報いたかった。何よりもこの言葉を今、この時に贈りたかったから」
話の最後まで聞き終わり、聴衆は、ブランの意図を理解する。
これまでの布石がやっと意味を成す時が来たのだ。
「この言葉。三か月の間、ずっと言いたかったんだ」
否応なしに場の緊張感が最高に高まる。
「ランディ、ようこそ。この町へ」
「っ!」
一番の功労者に惜しみない拍手が送られる。
思えば、この道のりはとても長かった。
「何、泣いてんの? 嬉しいデキゴトでしょ? 笑わなくちゃ」
「起きてたの……君、知ってたのかい?」
「朝早くに言伝でブランさんから貴方を此処に連れて来るようにって言われてたの。まさかこうなるとは予想外だったけど」
全てブランの思惑であった事に思う所はあれども素直に嬉しかった。
出来れば、事前に言って欲しかったと言うのが本音だが。
「取り敢えず、ほとぼりが冷めるまでそのままで」
「ちょっと、目を瞑るだけの心算だった……まさかこんな事になるとは」
「君の誤算は、いつもの事」
「詰めが甘いだけ」
「その甘い所が致命的なんだ……」
状況が落ち着くまでフルールに現状維持を願い出る。何が起こるか分からない現状で最悪な事態は、何としても避けたかった。このままでは、祭りを楽しむどころの騒ぎではない。
利害関係が一致しているフルールもランディの提案を素直に了承する。
「でも分かったでしょ?」
「何が?」
「この町は、貴方の居場所よ。絶対に貴方を離してくれない」
「そこまで言われたら……仕方がない。もう少し居て上げる」
「ふふっ―― そう言う事にしてあげる」
コートでさり気なく、口元を隠してほくそ笑むフルール。
「頑張ったもんね。この三か月。もっと楽しい事、これからもいっぱいあるよ」
これで終わったならば、積み重ねた苦労が報われるのだが、世の中はそう甘くない。
「でもさあ……これ。どうしようかなあ。白昼堂々、女の子といちゃついてるのも話題と言えば、話題だよね。うーん、迷う。五つ目どっちにしようか。どっちも捨てがたい」
「なっ!」
「折角の感動的な話がぶち壊し。ほんと、最低。ブランさん、見損なったわ」
「っ……」
ブランの碌でもない発言を聞き、目を回すランディ。
「さっきは、あたしが受け持ったから。今度は、ランディの甲斐性に期待するね」
「何て責任感のない発言だ」
「女なんて皆、そんなもんでしょ」
「……これが伏線の回収って奴か」
「同じじゃあ、詰まんない? なら、もっと難易度上げたげる」
そう言うとフルールは、寝た振りをしたまま更にランディの肩へ身を寄せて見せる。
「あああっ……悪魔だ。悪魔が此処にいる」
「何とでも言うが良い。これがこの一か月、積もりに積もった恨み」
「左様ですか……」
新たな脅威を前にランディは、全てを諦めて流れに身を任せた。
先の未来を照らす明かりを翳しても何もなかった。同様に後ろを照らしても過ぎ去った過去には、もう手が届かない。探していたものは、明かりをつけた自分がいる場所に。
今にある。
おわり




