第伍章 灯台下暗し 3P
駐在所を出てから時間が経過し、フルールの要望に沿って食の分野を中心に祭りを楽しんだ二人。最初は、食堂に立ち寄ってガレットを堪能し、それから大通りに点在する無数の出店の誘惑に誘われるがまま、金に糸目は付けず、暴食の限りを尽くす。時折、占いや的当て、路上賭博などの遊戯にも興じたものの、食べる比率の方が圧倒的に多かったのでランディは、腹がはちきれる寸前。一方、フルールは首元に遊戯の景品で貰った安物のアイマスクをぶら下げ、棒付きの飴を舐めながら陽気に鼻歌を歌っている。
「頑張った自分へのご褒美なの」
「もうやめた方が良いと思う。明日、お腹が痛くなって後悔するよ?」
「駄目なの? これでもあたし、お祭りの食べ物、すごく楽しみにしてたのよ?」
「情に訴え掛けるは止めてよ。可哀想で駄目って言えなくなるから」
気分を害されて幼子の様に頬を膨らませるフルール。酒も入っている所為もあって大袈裟な言動が目立つ。翌日の後悔を考えるならここ等辺りでそろそろ止めておきたいのだが、言い分を聞いて貰えず、ランディは額に手を当てる。
「今日のあたしは、今日のあたし。明日の事は、明日のあたしに任せる」
「ルージュちゃんも同じ事言ってた。君の影響か……」
「そんな事言ってたの? 全く、悪い事ばかり真似して」
「誰もやらなきゃ、真似なんて出来ないって」
真正面からの説得は、難しいと考えたランディ。搦め手で気を逸らそうとフルールの容姿に言及する。先程までとは違い、食事中にとある変化があった。それは。
「そう言えば、ガレット食べてる時から気になっていたけど。付けてくれたんだ」
「ああ、リボンの事? うん、食事の時に髪が邪魔になるから。本当は、最初から付けて見せ付けようとか考えてたんだけど……驚きがあった方が二度美味しいじゃない?」
町に来た最初の頃、町案内のお礼で送ったシルクのリボンをフルールは付けていた。
髪をリボンで纏め、ポニーテールにし、食べ物に混入しないようにしていたのだ。
そう言った機微な変化に疎いランディは、今の今まで気付いておらず、困窮した所でやっと視野が広がった。勿論、目ざといフルールからの指摘は、避けられない。
「まあ、付けた時に直ぐ気付いてくれるかなって淡い期待してたのは、間違いだったわ」
「いやあ、何時言おうかって頃合いを見計らってたんだ。君の言った通り、驚きがあった方が二度美味しいと思ってね。本当に奇遇だね、俺たち。息がぴったりだ」
「そう言う事にしといてあげる」
墓穴を掘る形となり、苦し紛れの言い訳で難を逃れるランディ。それでも何とか及第点を貰い、まるで一仕事を終えたかの様に額の汗を拭いながら晴れやかな顔をする。
「そのやり切った感を出すの止めなさいって。ほんとに申し訳程度の鍍金が剥がれてる」
「はははっ」
既にランディの目的は、達成されている。出店からの誘引は断ち切れた。リボンの端を弄りながらいじらしい表情を浮かべるフルール。あれだけ皮肉を言っても気付いて貰えたのが本音は、嬉しかったのかもしれない。
「あんまり普段使い出来ないじゃない? 汚れ易いから勿体なくって。でも折角、貰ったのに尻込みして何時までもつけないのもなって。だからあの時以来、初めてなんだけど……」
それ以上から先が言い出し辛いのかフルールは、不意に口ごもる。
話しの内容から今言うべき事を察してランディが後を引き継ぐ。
「あの時は、勢いで言葉にした雰囲気が拭えなから改めて。似合ってるよ。可愛らしい」
「付けて来た甲斐があったわ。ありがと」
ランディの褒め言葉を受けて素直に恥じらってはにかむフルール。
その可憐な姿を見て贈り物をした甲斐があったとランディは、つくづく思う。
「あっ、そう言えば!」
「どうしたの?」
「ランディ、小休止したいでしょ? 多分、これからブランさんが最後の挨拶をすると思う。いっつもこの時間なんだ。明るい内に終わらせちゃうの」
「へえ……面白いかどうかは、別として気になるから行きたい」
「話が長いからあたしは、あんまり聞きたくないけど……」
気が紛れた事により、フルールはランディにとって嬉しい提案をしてくれた。この僥倖は、何としてものにしなければならないと考えたランディは、奥の手に出る。
「突然だけど、ミントが効いたチョコは、お好きかな?」
「あんまりだなあ……お薬みたいで好きじゃない」
「それがね、林檎酒のあてで食べるともの凄く美味しいんだ。林檎のほんのりとした甘い香りと、すっとしたミントの香りが面白い調和を奏でる。冷えてて甘さ控えめの林檎酒なら尚の事良い。チョコの甘さを邪魔しない」
折角、意識の離れた魅惑に頼るのも癪だが、形振り構っては居られない。
ランディの説明を聞いて思わず、目を見開き、生唾を飲み込んだフルール。
「微炭酸がチョコの甘ったるさを洗い流してくれるから幾つでも食べられちゃう」
「そう言うのいくない。今、ミントのチョコないもん。冷えた林檎酒だって……」
膨れ面をしてフルールは、ごねる。
「実はね、俺の鞄の中にあるんだ。ミントのチョコ。冷えた林檎酒は、この先の役場近くのお店で特別に出してるらしい。その林檎酒を出す店があるって聞いてちょっとした自分のご褒美で用意してたんだけど――」
何もランディは、意地悪で話をした訳ではない。種明かしをされた途端に目を輝かせて急かし始める。ちゃっかりとしたフルールにランディは、苦笑いを禁じ得ない。
「さあ、ブランさんの長ったらしい演説。聞きに行きましょう? 何、グズグズしてんのっ! 早く、早くっ! ランディ、おそいっ!」
目的の場所も知らない筈なのにランディの背中を押して歩くフルール。
「おっと、酔っているから足元が覚束ない」
「もうっ、意地悪しないでっ!」
「はいはい。林檎酒は、逃げないから落ち着いて歩こ?」
「もしかしたら逃げるかもしれない」
「偶に本気の目をしてそう言う事言うから怖い」
歯をむき出しにして山猫の様に唸るフルールを見て先程、目を奪われてしまった可憐な娘は何処に行ったと辺りを見渡して思わず、探してしまいそうになる。
好手を取った心算が裏返り、思惑を大きく外れて悪手となってしまう。
「貴方が嗾けたんでしょ? 馬の前に人参ぶら下げてるようなもんよ。人が一つの事へ真っ正直になったら誰も止められないわ」
「ふっ―― なるほど……篤実さね」
少し前の話を思い出してランディは、ふっと笑みをこぼす。
訳の分からないフルールは、怪訝な顔をする。
「何? 何か面白い話でも知ってるの?」
「いいえ、何でもないよ。さあ、行こう」
「言いなさいよっ!」
「やだよ」
やいのやいのと騒ぎつつ、人混みをかき分け、ランディの案内で一路、林檎酒に向けて舵を切る。幸い、歩いて直ぐの所に目的の場所はあった。その出店では、簡素な日除けの下で大きな樽に水を張り、今の時期にはなかなかお目に掛かれない氷を浮かべ、その中に葡萄酒や麦酒、林檎酒の瓶を浸けていた。さほど並ぶこともなく、あっという間にカウンター代わりの樽へと二人は、辿り着く。
「おじさん。林檎酒、二つお願いします!」
フルールは、愛想の悪そうな店主と思わしき、中年の男へ大きな声で注文する。
「おおっ。あいよ……珍しいね。麦じゃなくて良いのかい? 白の葡萄酒もあるぞ」
「ええ、林檎酒が良いんです。あまり人気がないんですか?」
「冷えてるって聞いてお客さんが選ぶのは、麦か葡萄酒。この二択だからな」




