第伍章 灯台下暗し 2P
揃ってほくそ笑む二人。一頻り笑った後。フルールは、ランディの首元から漂う匂いに気付き、頬を染めながら視線を逸らす。
「後、その香水やめない?」
「鼻につくかい?」
「そうじゃない……好きだけど……もの凄く雰囲気が出てるから」
「なら嫌だね。気に入ってるんだ。これ」
悪戯にランディは、フルールの顔へ自分の首元を近付ける。
「それに君の困っているその顔。見てしまったからにはもうやめられない」
「どんな理由よ、それ」
呆れ顔で密着した体の間に腕を滑り込ませてランディを雑に引き剥がすフルール。
「でも、残念ながらこれでお開き。お日様がまだ顔を出してるもの。それにお日様じゃないのも二つ、顔を真っ赤にして窓からこっちを見てるわ。じょうそーきょういくに宜しくない」
「はああ……これじゃあ、俺の逃げ場がないじゃないか」
「何て責任感のない発言」
「男なんて皆、そんなもんでしょ」
「開き直るな」
そう言うとランディの鼻先を指で軽く弾く。
「それで大人であり、男でもあるランディ氏は、この四面楚歌な状況、どうやって乗り切るの? どっちか選ばないと、納得させられないんじゃない?」
「生憎、貧乏性だからどっちも選ぶよ。時と場合によってどっちかが必ず必要だから」
「お手並み拝見と行こうじゃない。そろそろ、何とかして上げないと。ラパンの目にチャットの指がこれでもかって食い込んでとんでもない事になってる」
ちらりと窓の外に目をやれば、中腰になったラパンの目元にチャットの指が。
声は、聞えないが口を大きく開けて悲鳴を上げているのが容易に想像出来た。
「うーん……あれは、痛そうだ」
目を奪われていたランディをフルールは、そっと引き寄せる。
耳打ちで交わされる二人だけの会話。示し合わせが終わり、そっと離れる二人。
「今日の所は、あたしが受け持ってあげる」
「本当に末恐ろしいよ、君って子は」
乱れた髪を手櫛で直しながら片目を瞑って合図を送るフルール。
ランディは、肩を落としながら立ち上がると、外の二人を迎え入れた。
「此処ではそう言うのご法度って話っ! どこ行ったのっ!」
「ごめん、ごめん。最近、燃える感じの恋愛小説読んだからどんな感じか一度、試してみたかったの。偶には、そう言うちょっとした遊びくらい良いでしょ?」
「遊びの心算が思った以上に盛り上がってしまってね。申し訳ない」
何時もより服装を整えていた二人を迎え入れて椅子を勧めるランディ。座ってから早々に顔を真っ赤にさせて怒るチャットの説教が始まった。大人の理論でもなく、男の理論でもなく、子供の理論でこの場を収めようとする二人。先程の示し合せの布石は、この為のもの。威厳もへったくれもない。惚けた子供を演じるだけ。
「うーむっ―― 流石なんだな。二人とも大人なんだも。うぼえっ!」
「ラパンは、黙ってなさいっ! 遊びだろうと、何だろうと駄目なものは駄目っ! と言うか、あの雰囲気、遊び越えてるっ!」
「ラパン。君は、発言しない方が良いと思う。じゃないと生傷が絶えない」
「脇腹にものすんごいのが……やって来たんだも……無念」
余計なひと言で手痛い拳を脇腹に貰うラパン。
「遊びなら本気出して遊ばないと楽しくないでしょ」
「ああ言えばこう言う……」
この詮術最大の利点は、倫理観も面目も気にしなくて良いので一方的に好き放題言える事。阿漕で子供だましで卑怯なやり口だが、目の前のチャットには、通じた。
悪びれる事もなく、進んで汚い大人をフルールは、演じ切る。
「そんな事言ってる癖して。チャットもさっきまで割って入る気もなく、ずっと外からあたしたちの事、見てたじゃない? 真面目な振りしてほんとは、興味あるんでしょ? お姉さん、怒らないし、笑わないよ? 正直に言いなさい」
「こう言う時だけ、年上ぶってからかって来る……あんな所に割って入る勇気ないよっ!」
「チャット、お利口さん過ぎるもんね。無理言ってごめん」
「ぐぬぬぬっ……」
十分にからかい、唇を噛んでいじらしく悔しがる妹分を見て満足したフルール。
「さっき見た事は、黙ってます。以後、二人とも気を付けて」
「ありがと」
「心得た」
交代も来て早速、支度を始める。椅子に座ってばかりで体が固まってしまったランディは、大きく伸びをする。鞄を肩に引っ掛けて準備は万端。
「申し訳ないね。交代で来て貰ったのに」
「仔細ないだも。それにしてもルーくんの言った通りだったんだな」
「また、余計な事を吹き込んで……何を言われたかは知らないけど、ルーの言ってることは、当て推量な所が多いから本気にしちゃ駄目だからね?」
「時と場合によるんだも。さあさあ、此処は任されたんだな。ランディさん、フルールねえ。後の時間は、自由なん。まだまだお楽しみは、いっぱいあるんだも」
「頼んだよ」
ラパンに追い出され、詰所から薄暗い路地裏に出るランディとフルール。
直ぐ近くから町の喧騒が聞えて来た。外の新鮮な空気と爽やかな風が心地よい。
「あたし。この後からの仕事は、もうなくなったから遊ぶ心算だけど」
「左に同じ」
「なら介添え役をお願いしようかしら?」
「喜んでお供しますとも。叶うなら君と祭りを楽しみたいと思っていたんだ」
使い古された恋物語の一節みたく、ランディは、恭しく右手をフルールに差し出した。
その差し出された右手の上に自分の手をそっと乗せる。人混みに入っても決して離れ離れにならぬよう、しっかりと互いの手を握り絞める。
「じゃあ、早速大通りに向かいましょ。大通りのお店で普段は出さないけど、お祭りの三日間限定でおっきな目玉焼きが乗ってる美味しいガレットが食べられる所があるの」
「ほんとに? それは、楽しみだ」
「でも……他にも美味しい甘味の出店もあるし……行きたい所が沢山ある」
「まだ、時間はたっぷりあるもの。行きたい所、頑張って全部回ろうよ。何か、面白い出し物やってる店があって俺もそこに行きたいんだ」
まだ回っても居ないのに様々な誘惑に惑わされるフルールへランディは、提案する。
ランディにとって好都合であった。何せ、自分が見て回りたいと考えていたものは、片手で数える位しかない。手持無沙汰になり、暇を持て余すよりも向かう場所が多くて歩き疲れる方がずっと良い。
「今の顔。もう一回、見せて。笑ってる顔」
「恥ずかしい」
「早く」
いつの間にか、自然と笑っていたのだろう。その笑顔を見てフルールは、もう一度見せろと強請る。意図していなかったので最初は、恥ずかしがるも先程、心の中に浮かんでいた気持ちを思い出し、その気持ちに従い、表情を変える。
「その顔が一番、似合ってる」
繋いでいた手を胸元へ持って行き、優しげな声でフルールは呟く。
「絶対に忘れちゃ駄目よ? あたしとの約束」
「善処する」
並んで歩き始め、喧騒がする方へと向かう。建物の陰から一歩出れば、もう戻れない。一度、飛び込んでしまえば後は、火傷をしてしまいそうな熱い人々の熱気に身を任せるのみ。
もう、求める事に恐れない。
*
「ああっ、食べた。食べた」
「うん? まだまだ、そんなに食べてないでしょ?」
「ガレットにチュロス、チョコレート……羊肉の串焼きと付け合わせのソテーした野菜に白身魚と芋のフライ……ついでに麦酒とウヰスキー、葡萄酒も嗜んでる……おまけに今は、その大きな飴も舐めてるのに? 下手なコース料理より物量が多い」
「あめとチョコは、口の中に入った瞬間に溶けちゃうから食べても太らない」
「いや。その理論は、可笑しい」




