第肆章 心の拠り所 8P
「フルール」
「理由は?」
「そうだね……今度は、俺が君に意地悪をしても構わないかい?」
「構いません。試しに言ってみたまえ」
背筋を伸ばし、すまし顔でシトロンは、ランディに問い質す。
少し赤みを帯びた頬を人差し指で搔きながら恥ずかしそうに語り出すランディ。
「あの子は、真っすぐぶつかって来て俺を素直にさせてくれる子だから」
「それ……答えにしては、反則だと思う」
「だから言ったじゃないか。そう言うって想像出来たもん」
「じゃあ、ランディくん。素直になったら君は、どんな感じ?」
「聞いても楽しくないよ」
「……」
此処まで話したのだからもったいぶらずに最後まで話せとシトロンから無言の圧力を食らい、肩を落とす。それからゆっくりと考え、簡潔に言うべき事を纏め、口を開く。
「俺、本当に弱い奴なんだ」
「私もランディくんが強いと思ってないよ」
「君が思っている以上だよ。本当にしょうもない奴さ。いっつも人を困らせてる」
「そんなのは、お互い様。君だけじゃない」
「そうだね。その事をもっと前に理解して居れば、少しは何とかなったのかもしれない。これまでの俺は、自分一人で何でも出来ると天狗になってたんだ。誰にも頼らない事が最高の美徳であると思い続けていた。でも後回しにしてただけだったんだよね。ツケが今になって自分の所へ戻って来た。それで自分の限界を思い知らされた」
机に肘を付けて手を組み、物憂げにこれまでの自分を自嘲するランディ。どれだけ浅はかな人間であったか。今も胸の痛みが思い知らせてくれる。その痛みと共に生きると誓った筈なのにそれでも心が痛くて投げ出したくなるのを必死に堪えて。
「その限界を知った時。俺は一度、完全に潰れた。気付いたらいつの間にか、誰よりも弱い存在に成って居た。この先、どうすれば良いか分からなくなって目の前が真っ暗になった」
儚げなランディを見てシトロンは、一抹の不安を覚える。
今にも消えてなくなりそうなか細く弱り切ったその姿に。
「そんな時。あの子が颯爽と現れ、首根っこを引っ張って連れ戻してくれた」
「だからなの?」
「そうさ」
正面の扉を見つめている筈なのにランディの目は、何も映って居ない。何処か遠くの何かに思いを馳せているからか。その姿は、哀愁を漂わせていた。
「一つ、君に誤らないといけないね。選んだ理由が君の思惑からかけ離れてるから」
「そうだね。全然、関係ないもん。でもそんな事情があるならその答え、良いと思う」
静かに頷くシトロン。
「そもそもフルールには、忘れられない人がいるから。俺の割り込む隙が無いと思う」
「……それ、誰から聞いたの?」
「本人からだよ。人の過去を無暗に彼是、詮索する趣味は無い」
「それなら良かった」
全てを知って居るが故にそれ以上、踏み込む事もない。だから只、幸せを願う。
自分を思ってくれる大切な人なのだから。
「結論を言えば、受けた恩義に報いたいだけなんだ。だから選ぶならフルールなの」
「ふーん……」
もうこの話は、終わりにしようとランディは、締めくくる。納得が行かなさそうな顔をしたシトロンは、自分の頬を軽く叩き、気合いを入れる。不可思議なシトロンの行動にランディが首を傾げていると、隣から強い力が働き、ランディの視界がぶれる。
「でもあの子、肝心な事を分かってない。本当にさ、ランディくんが必要としているのは」
そう言うと、シトロンはランディの腕を強く引っ張り、頭を胸で抱き留めたのだ。突然の事で対応出来ず、大人しくシトロンの胸元に収まるランディ。
「はっ?」
「これだもの」
柑橘系の爽やかな香りと自分よりも高い体温、そして柔らかな感触に目を回すランディ。
されど、直ぐに意識を正常に戻して慌てふためき、シトロンを引き離そうとする。
「駄目だってっ! 誰かに見られでもしたら――」
「大人しくして。くすぐったい」
「はい……」
暴れるランディを腕で強く抑えて付けて大人しくさせるシトロン。
恥ずかしがる様子もなく、只管にランディを包み込む。
「事情は、詳しく聞いて無いから分かんないけどさ。ランディくんは、今も此処に居るの。昔の事や未来の事は、関係ない。今、此処にいる事を大事にしなくちゃ。そっからやっと、始まるの。頭でっかちになったらダメ。君が此処に居る理由は、何? どうして此処に居たいと思ったの? 手段が目的になる事は、沢山あるよ。でも、わすれちゃったら思い出さないと。これまで通り過ぎて来た軌跡は、今を大事にする為の手引き書。ぼんやりとしか見えない先の道のりは、今の自分がどうするべきか、考える手掛かり。使うものに使われちゃダメ。簡単には割り切れないかもしれないけど、君が囚われないといけないのは、君の気持ち」
一言、一言がランディの胸に突き刺さる。
「君が大事にしようと、頑張るなら私が甘やかしてあげない事もない。偶には、手放しで誰かに寄り掛かるのも大事。こんなの迷惑じゃないから。暫く大人しくされるがままになりなさい。心配ないよ。大丈夫。今だけは怖い事、絶対に起きない。私が誰にも邪魔をさせない。こう言うのを地道に一つずつ重ねれば、もうおっかない思いしないよ」
シトロンが持つ計り知れぬ思慮深さと包容力の片鱗を知り、ランディは自分の体から力が抜けて行くのを感じた。抗えず、手懐けられてしまう。枯れた大地に染み渡る雨水の様に乾いた心が満たされて行く。飾らない真っすぐな言葉が不安を取り去ってくれる。
抑え込んでいたものを単純に解放するだけが、全てではない。形のない恐怖と同様に形のない癒しや優しさも存在する。全てを理解して貰わずともその裏表のない思いが間近にあると分かるだけで違って来る。やっとランディは、レザンの言いたかった事が少し分かった気がした。
「むっ……ありがと」
「ほら、簡単に素直な君が出て来た。フルールだけじゃないね。これで仕切り直しだ」
「君は、ズルい……」
「そんなのお互い様でしょ」
ふとランディが顔を上げると、晴れやかに笑うシトロンが見えた。
「……今日の君は、えらく積極的だ」
「実はね、ランディくんがどんな人か分からなくて少し怖かったの。だから今日は、頑張って飛び込んでみた。そのお蔭でちょっとだけ君の事が分かったよ? 本当の君は、私以上に色んな事へ怖がっている子なんだって」
「反論の余地もない」
「フルールが目を掛けている理由も分かるわ。こんな手の掛かる弟分なら仕方がない」
「自分が情けなくなって来る」
「前にも言ったでしょ? 一線を越えちゃうと、羽が生やさなくちゃいけなくなるって。それくらいが丁度良いよ。背伸び何てするもんじゃないもん。直ぐにボロが出る」
暫くしてランディは、甘酸っぱい柑橘系の香りと温かさを少し名残惜しみつつもシトロンからゆっくりと離れる。
「この後、一緒にお昼何てどう? お礼がしたい」
「全部、ランディくんもち?」
「勿論、その心算だよ」
「よし、乗った!」
何故かは分からないが、自然と昼食に誘ってしまう。
理由は、単純にもっと一緒に居たかったからかもしれない。
「さあ、これから忙しくなるぞー」
「言ってる傍からもう人が来てるよ?」
「人気者は、これだから困る」
「ふふっ。そうね」
ちっぽけな名誉を挽回しようと、ランディは精一杯の虚勢を張る。
その後も幾つかの簡単な事案を解決し、祭り初日は、穏やかに終わった。




