第肆章 心の拠り所 7P
ランディは、まだ何も書かれていない紙を引っ張り出し、男の名前と滞在先、改めて落とした場所や時間、詳細事項を聞き出して行く。その横でシトロンは、幼子を膝の上に乗せて他愛もないおしゃべりを交えながら縫いぐるみの特徴を聞いていた。幼子は、気が紛れたようで時折、笑顔を浮かべつつ、熱心に拙い言葉で縫いぐるみとの思い出や家族の話をシトロンにしている。
同時に子守りもお願いする形となり、父親との話は、滞りなく進む。
「申し訳ないね。本当に助かる……ないと、ぐずってしまって大変なんだ」
「心中、お察しします。出来る限りの事はさせて頂きますよ。折角のお祭りですし」
大方の聴取も済んでランディに頭を下げる父親。ランディは、困った事があればお互い様だと、やんわり笑う。娘の機嫌も多少良くなり、肩の荷が降りたので自分達でも町を見て回りながら探しやすくなる筈だ。一時的ではあるものの、事態の収拾し、自発的な問題解決を促すのも一つの手だ。彼是、文句を言いつつも阿吽の呼吸で上手く対応が出来ていた。
結果的には、ブランの人選が正しかったと言えよう。
「お祭り、楽しんでおいでー」
話も終わり、元気よく親子を見送るシトロン。その横でランディは、紙に描いた要点を眺め続ける。思ったよりも上手く対応が出来たが、ランディには少し引っ掛かりがあった。
「ふむ……」
「取り敢えず、特徴は聞いたから絵にするね?」
「助かる、有難う」
シトロンの問いに生返事で答えるランディ。
ランディの心の内を見抜いたのか、シトロンが話を切り出す。
「でも、これは事だね。こう言うのまで対応するなら手が回らなくなるよ?」
「まあ、仕方がないよね。他に対応出来る所ないし。取り合わなかったらそれもそれで後々、面倒事になる。此方の状況を伝えた上で最善策を提示すれば、何となるさ」
本当は、思っていたよりも軽い事案で一安心していたが、逆を返せば、こう言った出来事は、山のようにある。恐らく、未解決のまま、積み重なって行くに違いない。それら一つ一つの対応を求められるのは、辛い。どうすれば、今回の様に上手く立ち回れるか、ランディは考えていた。時と場合によっては、断らなければならない事案もあるだろう。
「ほんとにお人好しだわ」
「泣きベソ掻いてたあの子の顔……君だってどうにかしたいって思うだろう?」
「ふんっ! そう言う狡いの……好きじゃない」
ランディの言い分に臍を曲げるシトロン。
どんなに考えても結局の所、問題の先送りにしかならないと悟り、ランディは開き直る。
開き直ったランディを見て呆れかえるシトロン。勿論、ランディとて簡単に割り切った訳ではない。こう言った事態も含めて自由裁量で任を任されている以上、出来る限り自分達で対処して行く必要がある。誰の責任でもなく、当事者意識を持って。既に火中の栗を拾いに行く立場であるのだから危うさを感じつつも取り組むしかない。別段、失敗してはならないとブランから言われた訳でもない。やれるだけの事をやり、それでも駄目ならば、次につなげる反省材料として生かす。それがランディの選んだ答えだった。
「でも、どうしてもってランディくんが言うならウチのお客さんにも聞いたげる」
その真意の一端を理解したのか、シトロンは、芝居がかった口調で協力を持ちかけて来た。
「君も十二分にお人好しじゃないか?」
「やかましい」
天邪鬼でいじらしい相方をランディは、からかった。
ふくれっ面になったシトロンは、そっぽを向く。
「そう言えば……仕事は、大丈夫? 君のとこ、忙しいだろう?」
「昨日は、早めにお店、閉めたから。きちんと寝れてるよ。このお仕事が終わった後に少し時間、貰ってるから休めるもん。だから心配ご無用」
「そうか、無理をしているんじゃないかと思ったから安心した」
意地悪が過ぎたと、ご機嫌取りを始めるランディ。筆記具を手に取り、紙に縫いぐるみの柄を掻き始めるシトロンは、素っ気なく答えた。
「君が居てくれて良かったよ。あやし方が上手かったから楽に対応出来た」
「褒めても何も出ないよ?」
「えらい、えらい」
此処は、一歩踏み込むべきだと考えたランディは、ゆっくりと右手を伸ばし、シトロンの頭を撫でる。柄にもないやり方だが、偶には自分の殻を破り、新たな可能性を見出すのも人生において必要だ。一方、想定外の出来事に焦って頬を赤らめるシトロン。
「ちょっと―― 子ども扱いしないで」
「ごめん、ごめん」
口では、喚くもランディに大人しく撫でられ続けた。怒られてランディが手を離そうとすると、その手を掴んで頭に自分の頭に乗せる。
「……後少しだけなら許してあげる」
「素直じゃないね。そこも君の可愛い所だけど」
「素直になったら可愛くなくなる?」
手の下で依然として頬を朱色に染めつつ、上目づかいにランディを見上げるシトロン。その口元には、満足気な笑窪。自分の選んだ選択肢が悪手であったと気付くには遅過ぎた。既にシトロンの術中だ。狡いと思いつつも決して口にする事無く、最後の悪足掻きであらぬ方向を向くランディ。
「答え、分かってる癖に」
「答えて。言葉にしてくれないと分からない」
逃すまいと、筆記具を手放してシトロンは、ランディの襟首を掴み、自分の方へ振り向かせ、引き寄せる。必然と近づく互いの距離。妙に熱の籠った視線を向けられてランディは、戸惑う。背水の陣で退路は、断たれた。殿もいない。白旗も許されない。オウルの言葉が今になって身に染みた。
「―― もっと魅力的になるから途方もなく困るね」
生唾を飲んでゆっくりと言葉にするランディ。これ以外に答えは残されていない。寧ろ、あるならば教えて欲しかった。ランディの答えに満足したシトロンは、鼻高々になる。そして襟首から手を離し、ランディを解放した。 解放された首元を撫でながらランディは、ほっと一息吐く。
「ランディくん、困らない方が少ないでしょ」
「困り事にも二種類ある。手が付けられる事と付けようがない事」
「私は、手の付けようがない方?」
「そうだね。もし、俺が君を一人の女の子として惚れ込んでしまったら……君の後ろ姿をいつも目で追ってしまう。そして、君を思う度に胸が切なくなる」
「ふむっ……もっと困らせたくなった」
これで終わりだと、気を緩ませた結果。更に足元を掬われる形となり、目元に手を当てて自分の浅はかさに呆れ果てるランディ。もう取り返しがつかない。
「よしておくれよ。今だって色んな事でてんてこ舞いなんだ」
「うーんとね――」
「聞いてるかい?」
「聞いて無い」
「左様ですか……」
次にどんな苦難が待ち構えているか。ランディは、想像もしたくなかった。又もや、筆記具を手に取り、紙と睨めっこを始めたシトロンは、呟く。
「ならさ、素直になったシトロンと素直になったフルール。君ならどっちを選ぶ?」
「女性の魅力に甲乙は、付けられない」
咄嗟の判断で逃げに転じるランディ。尚もシトロンの追従は続く。
「どんな事でも同じだけど。最後に選べるのは、一人だけだよ?」
「なら、どっちも素直にならないから選べないね」
「本気で言ってる?」
「すみません」
紙から目を離し、じろりとランディを睨みつけるシトロン。揺らぐ瞳を通して心の内まで見透かされているようだった。恐らく、きちんとした返答をするまで許されない。
「で、どっち?」
正解など持ち合わせていない。何故なら明確に意識した事がなかったのだから。両者共に親しい友人であると本心から思っている。邪な考えも身勝手な独占欲も入り込む余地のない真っ当な関係だと胸を張って言える。ならば、それを踏まえて答えるべきだろう。
覚悟を決めてぐっと目を閉じ、ランディは、最初に思い浮かんだ方を答える事にした。




