第肆章 心の拠り所 6P
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「もっと喜んでくれても良いかも。ブランさんにしてはマトモな人選ね」
「シトロン、確かにおっしゃる通りだけれども……適材適所って言葉もあるし」
「まあ、失礼なっ! 椅子に座ってぼーっとしてる事と、お喋りだったら誰にも負けない自信があるよ? 誰かさんには、負けるかもだけどね」
祭りの初日。朝の大仕事を終えたランディは、補佐のシトロンと共に詰所に居た。相も変わらず埃臭さの残る薄暗い室内で長机に向かい、椅子にちょこんと座る二人。机の上には、資料や筆記具、その他、必要になりそうな備品、そしてシトロンが持って来た制作途中の編み物と巻尺が乗っている。コートを羽織り、申し訳程度に何時もは付けない紺色のくたびれたクラバットを緩くしめている。一方、シトロンは真面目な仕事を意識してか、フリルのついた露出が少ない淑やかさを強調するタイトな薄紫色のドレスを身に纏っている。
「そう言う君のお茶目な所も俺は、買っているさ。けれどもこの仕事は、君の長所が生かせないと思う。折角の見目麗しさや愛くるしさ……こんな埃臭い所に置いといちゃあ、罰が当たる。俺が独り占めしていたら勿体ないのさ」
「つまり、私が隣に居たらランディくんがドキドキして落ち着かないって?」
「正解」
緩く三つ編みにした髪の毛先を弄りながら悪戯っぽく微笑むシトロン。ランディは、げっそりとした顔で頷く。確かに普段の艶めかしい雰囲気とは違い、真っすぐな清純さを意識した装いには、目を見張るものがある。中身もそれに合わせてくれれば、少しはランディの心労もなくなったのだろうが、いつも通りの陽気な町娘。
「嬉しい事、言ってくれるねっ!」
はしゃぐシトロンの横でランディは、机に肘を付いて溜息を一つ。そんなランディの横で唐突に真面目な顔でシトロンは、一言。
「生憎だけど、もうお給金の約束があるから反故に出来ませぬ」
「君も現金だね……と言うか。報酬の話、あったの?」
愕然とするランディを見て可愛らしく小首を傾げるシトロン。
「うん。協力してくれたらお金、弾むよって。そうでなきゃ、手を上げないって」
「俺たちには、報酬の話がなかったんだよね……」
「日頃の行いが悪いのかな?」
「ぐうの音もでないよ」
全て分かった上で人差し指を唇に当てながらシトロンは、さらりと皮肉を言う。ランディは、やる気が削がれて不貞腐れる。何か裏があるとは、思っていた。でなければ、強かな彼女が率先して手を上げる訳がない。分かって居た筈なのだが、これ程までに待遇の格差を目にしてしまうと心が折れるのも致し方が無い。
「大丈夫、ブランさんは、ちゃんとランディくん達の事も考えてるって」
「そうかな?」
「そうだよ。もしなかったら私に言いたまえ。特別な報酬を進呈してあげなくもない」
「もうその手には、乗らない」
にやりと笑い、ランディを唆すシトロン。大方、良い方向に行かないだろうと、条件反射でランディは、断る。もう、あの様な顔から火が出る思いをするのは、御免だった。
「何? そんなにこの前のご褒美、気に入らなかった?」
何処か不満気なシトロンにランディは、居心地が悪くなる。
「勿論、気に入りましたとも。でも、貰った後の代償が大きいんだよ」
「野次なんて気にしてたら何も出来ないじゃない? ようは、楽しんだもの勝ち」
ランディの子供じみた言い分を耳にしてシトロンは、鼻で笑う。よりいっそうの事、からかい甲斐が出てシトロンは、ランディにそっと耳打ちをする。
「勿論、前払いでも良いよ? こんな所、滅多に人が来ないから……ね」
「うっ……言った傍から。絶対に乗らないっ。ルーから散々、脇が甘いって言われたし。それに詰所内での睦み合いは、ご法度って御達しも出てる」
生暖かい吐息と共にくぐもった声で囁かれて反射的にランディは、背筋を伸ばす。最後の意地で何とか乗り切った。大きく伸びをしながら満足したシトロンは、欠伸を一つ。
「はははっ。ランディくんと居るとほんと、退屈しない」
シトロンは、晴れやかに笑う。その笑顔だけでランディには、色褪せて無機質な詰所の室内が華やいで見えた。言った事に嘘偽りは、ない。ランディたった一人で彼女を独占するのは、本当に勿体なかった。
「御免よ。詰所ってのは、此処かい?」
そんな穏やかな時間を過ごして居る間に詰所へ初めての来訪者が現れる。詰所を訪れたのは、幼い娘を連れた二十代の男。恐らく、親子なのだろう。ランディもこの町で見かけた事がないので他所の村から来たに違いない。茶色のサロペットに土汚れがついた白いシャツ姿の茶色の髪を短く刈りこんだ浅く日に焼けた父親と汚れの目立たない紺色の小奇麗な小さいドレスを着用し、丁寧に梳かされた父親譲りの茶色い長髪、父親とは、対照的な真っ白な肌と赤らんだ大きな頬が特徴的な娘だった。
「はい、そうです。何か、御困り事ですか?」
初日、初めての応対から絶対に失敗してはならぬと言う重圧を背負い、男へぎこちない笑みを浮かべ、精一杯愛想良くするランディ。先ずは、初対面の相手でも最低限、信用して貰える人物像の構築からだ。全ては、そこから始まる。そんな重圧など関係無いシトロンは、にこりと笑って幼子に手を振っていた。手を振られて幼子は、恥ずかしいのか父親の後ろに姿を隠す。苦笑いを浮かべながら男は、内気な娘に手を振り返すよう促すと、やっと小さな手を軽く開いて閉じる動作を二回した。
「いや、ちょっとね。落とし物をしてしまったんだ……」
「なるほど……此方では、主に揉め事の対応のみでして。何しろ、広い町を全部、探すには人手が足らなくて……現状、巡回している者へ通達するくらいしか、お役に立てないです。勿論、遺失物の届け出があれば、お渡しが出来ます」
努めて丁寧に。誠意が伝わる言葉を選んで自警団において対応が可能な答えを述べるランディ。元より、人員に限りがあるので無用な期待を持たせてはならない。自分達が動きやすい状態維持を念頭におく。無理な肩入れは後々、自分達の首を絞めかねないのだから。
「それでも助かるよ。娘の縫いぐるみが行方不明でね……」
「それは、御気の毒に……」
幸い、男はランディの提案に納得し、依頼をして来た。事情を聞き、居た堪れなくなるランディ。幼い娘をよく見ると、目を真っ赤にして鼻を啜っている。既に一度、大泣きをして父親を困らせたのだろう。折角の祭りを全て台無しにしてしまっては、心苦しい。ランディは、何か少しでも解決の糸口は無いかと考えた。
「落とした場所に覚えは?」
「確か、役場の前を通り過ぎる前までは、抱えてたんだけどね。半刻前くらいだ」
「なるほど……シトロン。君、絵心はあるかい?」
「多少はね。フルールみたいな芸当は、期待しないで」
「あの子から特徴を聞いて絵に描ける?」
「それくらいなら任せてちょーだい」
「ありがとう。宜しく頼んだ」
苦し紛れに悩んだ末、ランディは無くなった縫いぐるみを絵にしてルーとラパンに共有。空いている時間があれば、自分が絵を持って聞いて回る事にした。やる気に満ちた声で了承してくれたシトロンに礼を言うランディ。
「さあ、可愛い子ちゃんっ! お姉ちゃんに大事なお友達のお話を聞かせてちょーだい」
早速、立ち上がりるなり、笑顔で幼子を迎えに行って手を取るシトロン。
「わんちゃんの……ぬいぐるみ」
「なるほど……なるほど、他には、他には?」
少し怯えながらもたどたどしく話し始める幼子。
「では、ご主人。お名前と滞在先をお教えして頂きたいのですが」
「ああ、ありがとう。僕の名前は――」




