第肆章 心の拠り所 5P
思わぬ事情を耳にしてランディは、己の不甲斐なさに自己嫌悪をした。
「偶然ではない。繋ぎとめる楔になろうとしている。有り触れた下らない日常にお前を引き込もうとしているのだ。理由は、単純明快。居なくなられたら寂しいからだ。賊が来た時もラパンの時もエグリースの時もお前に明確な利害があった訳じゃないだろう? それでもお前は、行動した。あの子も同じだ。もうお前は、町の景観の一つとして機能している。少なくともあの子は、そう思っている」
レザンは、強調してランディに言い聞かせる。
「形など、何でも良い。関係性を示す言葉は、まやかしだ。詰まらぬ者が安心したいが為に作った張りぼてに過ぎん。本質は、中身。お前が真に理解するまで何度でも言ってやる。相手が必要としているのと同じく、必要としなさい。あの子は、お前を必要としている。それこそが、お前の探している心の拠り所の一つではないか?」
「そうなのかもしれません……」
自分を取り巻く善意を前にしても尚、ランディの心は、一向に晴れない。目の前を黒く染めるあの絶望には、意味を成さなかった。差し伸べられた手を取ろうとしても届かない。腰までどっぷりと浸かっている底なしの沼。根底にあるのは、自分でも解消出来ない恐怖。
又もや俯くランディの瞳は、虚ろ。空虚な真っ黒の瞳には、何も映らない。ランディが求めているのは、この恐怖を取り去ってくれる安住の地。何者からも脅かされる事のない全てから解放される場所だ。この思いを理解してくれる存在はいない。そう思っていた。
「そして、これだけ言葉を重ねてもお前がまた下を向いてしまう理由も分かって居る。悲しい話だが、真にお前を脅かしている恐怖まで取り去ってやる事が出来ん。それは、私の力が及ばぬ……共に戦える訳でもない」
しかし、今回は違う。悲しげにランディを見つめるレザンは、理解していた。
「本当に済まない。無理な期待だとしても言わせて欲しい。どうか、抗ってくれ」
ランディの真意を知った上でレザンは、願う。
「この町は、お前の居場所になろうと尽力している」
「無責任な事……言わないで下さい」
心の底から来る叫びだった。
「俺だって欲しいんです。でも。怖くて、苦しくて、つらくて、悲しくて。もう、この憎しみは、止まらないっ! 本当の兄の様に慕っていた人とも辛い別れがありました。己の力を過信して大切な友を一人、失いました……任務中、救いたくても救えなかった幼子が居ました……俺の代わりに散った命もあります……立ち塞がる人も敵としてこの世から何人も目の前から消し去りました」
言葉が止めどなく、口をついて出て来る。感情の奔流にランディは、負けたのだ。今まで押し込んでいた形のない思いが溢れ出て来る。様々な出会いがあった。それと同時に別れも。
どれだけ惜しんでも戻って来ないものが沢山ある。今更、泣いて喚こうとも怒りに我を忘れても戻って来ない。今は、心の痛みと後悔の念だけがランディを突き動かす。
「全部、俺の手から零れ落ちて行きました―― 俺が至らなかったから……これからも同じ事が起きます。もう、自分の無力さを思い知りたくなんかないっ! 誰も失いたくないっ! そんな奴が誰かの隣に居て良い訳がない! 大切な人達を守り切れないのだから――」
「よく、教えてくれた……有難う」
背負う業を知り、レザンは大きく溜息を吐く。分かって居る心算ではいた。けれどもいざ、引き出して見れば、ランディが血生臭い茨の道を歩いて来た事を実感させられる。言葉足らずでその時あった事を断片的にしか語れない事がより現実味を聞く者に与えた。
「そうか……それだけ沢山の命を見送ったのか。悲しいな……辛いな……苦しいな……怖いな。己に対する無力感、憎しみも尽きる事がない。お前の背負うその業、私には計り知れぬ。これからもお前に付き纏う悪夢だ。出来るならそれら全てお前から奪ってやりたいが、時が経ち過ぎた。人とは、本当に救いようがない愚かな存在だ」
既に流す涙も枯れ果てていた。叫び続け、肩で息をするランディは憔悴し、生きる活力も失っている。いや、正確にとうの昔に失われていたと言うべきか。明確な解決策もない。
只、古傷を抉り、悪戯に恐怖を解き放つだけとなった。レザンは、深く後悔する。
誰から見ても四面楚歌な状況。されど、レザンは、終わらせる訳には行かなかった。
例え、どんな手を使ったとしても。
「だが、人は……それでもと言って道理を作り、前に進まなければならない……生きている限り、否が応無く。何度も自分に言い聞かせて来たお前なら誰よりも分かって居るな?」
それが一縷の望みとなるのならば。
「ならば、互いに誰よりも何よりも愚かな存在となるしかあるまい?」
覚悟を決めてレザンは、目を見開き、言い放つ。
「私と契約を交わせ。ランディ・マタン」
「っ!」
店内で雷の様に深く体の芯へ轟くレザンの声。
「この町に居る間だけでももう一度だけ。その手を伸ばしなさい。代わりにお前が持つ負の感情を全て私に寄越せ。お前が再び剣を取り、戦う事を選んだのならば、私がそうさせた。私を憎め。お前の手が届かず、誰かを失ったのならば、私の失態だ。私を恨め。その時、まだ私に刃を向ける事でお前に生きる意欲が見いだせるなら甘んじて討たれよう。それすらも越えてお前が真に絶望する結果へ至ったのならば……全責任を取ってお前を楽にしてやる。私も既に天涯孤独の身だ。今更、この手をお前の血で染めても何ら変わらん」
「どうしてそこまで――」
下を向いたまま、震えるランディ。床には、幾つものシミが生れる。
「長らく忘れていた人らしさをお前は、私に思い起こさせてくれた。泥臭くとも必死に生きようとするお前を見て私は、希望を見出した。この町の緩やかな衰退と共に永久の眠りにつこうとしていた私をまた呼び起こしてくれた。これだけでも十分に価値がある」
今は、まだ真の理由を隠す。本当は、レザンにも伝えてやりたい事が山ほどある。目の前にいるのは、何よりも掛け替えない宝だと教えてやりたかった。だが、それを詳らかにするのは今ではない。何人でもなく、ランディ自身に価値を見出していると分からせたかった。
「……本当に俺を楽にしてくれますか?」
「ああ、約束だ。私がお前の墓標となろう」
「頼みます……」
ランディは、一筋の涙を零しながら寂しそうに笑う。それは、心の底から望み。全ての業から解き放ってくれる魔法の言葉。視界に入れば、直ぐ手を伸ばしてしまう甘い果実。
レザンは、それをランディにくれたのだ。レザンは、無言で右手を差し出す。
同じくランディも右手を出して固く握り合い、契約は成立する。
「……奥で一度、頭を冷やしてこい。それでは、仕事もままならん」
「はい……」
ゆっくりと居間に戻るランディ。その背をレザンは、見つめ続ける。その瞳に映るのは、無。恐らく、何の解決にもならない只の延命に過ぎない。
「可哀想に―― 辛かっただろう……手を差し伸べてやれなくて本当に済まなかった。死者を忘れる事無く、心に刻み続けるお前の気高い精神。その真髄にやっと触れる事が出来た。もっと、喜びに溢れる人生も送れた筈なのに。優し過ぎるのだ、お前は」
それでもレザンは、嬉しかった。やっと、その手を握る事が出来たのだから。振り払われようとも決して離してやらない。例え、待ち受けているのが絶望であったとしても。それでも最後のその時まで共に笑ってやる事が出来る。
「此処に居る間だけは、私が全力で手を尽くす。だから―― どうか笑っておくれ」
改めてレザンは決意を固めた。




