第肆章 心の拠り所 4P
祭りが始まるまでのこの二週間、二人でかなりの物量を捌いた。明日の受け渡しが終われば、やっと一区切りがつく。ランディもレザンも祭りの熱気に浮かれる事無く、きちんと目の前の仕事を熟して来た。その集大成が明日なのだ。
「明日は、朝からほぼ駐在業務だったな? 祭りが始まるまでに商品の引き渡しを終わらせる心算だが、余裕をあまり与えてやれない」
「いえ、問題ありません。きちんと立ち回りますよ! 任せて下さい」
「ふっ……大船に乗った心算で期待しよう」
後少しのひと踏ん張りで自由な時間が始まる。何よりもレザンが自分を戦力として認めてくれている。それがランディにとってこの上ない喜びであった。予定を教えて貰った後、ランディは居間へ珈琲を淹れる為、踵を返した所で不意にレザンから呼び止められる。
「ランディ。何か―― 悩み事でもあるのか?」
「いや……特には」
「二、三日前辺りから少し顔と声に出ていた。お前がそう言うなら触れないが、言える時に言っておきなさい。大抵の場合、言わなければ、後から苦しめられるものだ」
「……大丈夫です」
「なら良い」
手元から視線を離さず、背中でランディに語り掛けるレザン。心の内を言い当てられ、目を見開くランディの心拍数が上がる。唇をぎゅっと結んで取り繕うもランディは、その大きな背を見つめている内に自然と素直になった。
「やっぱり、聞いて貰っても良いですか?」
「話なさい」
問い掛けに即答するレザン。眼鏡を取り、机に置くと振り向き、ランディを見つめる。
レザンに見つめられ、萎縮したランディは、視線を下に向ける。
「―― レザンさん。どうすれば、自分の居場所って見つかりますか?」
一呼吸置き、恥も外聞もなく、か細い声で己の悩みを吐露する。
「難しい話だ。心の拠り所か……」
「はい……」
レザンは、顎を撫でながら目を細め、考え始める。ランディは、依然として下を向いたまま。少しの間続いた沈黙の後、レザンは口を開く。
「そもそもお前の居場所が何処かなど、他人がとやかく言うモノではない。やはり、自分で決めるモノだろう。敢えて強調するが、見つけるのではなく、決めるのだ。全ては、想い次第。強ければ、強い程にお前を繋ぎ止める強固な楔となるだろう」
更にレザンは、話を続ける。
「一つ……確実な場所があるとするならば、お前の故郷だ。何故ならその始まりの地こそ、お前の全てが詰まっている。お前の拠り所であるのは、間違いない。但し……これは、客観的な立場からの意見に過ぎぬ。お前の思い入れまでは、他人の物差しで推し量れないからな」
「はい――」
幾ら聞いても釈然としない。レザンの漠然とした助言では、己の中で巣食う蟠りが一向に解消されないからだ。芯を突き、憂いを取り去ってくれる言葉をランディは、欲していた。
「お前が何かしらの理由で悩み苦しむのは、分かって居た。何故なら私がそう仕向けたからだ。きっかけは、与えた時間だろう? ゆっくりと町を見つめ、考えている内に少しずつお前の中で歪みが生じた。違うか?」
「何故ですか! 何故なんですか……俺は、こんな事」
レザンは、包み隠さず、己の腹積もりであった事をランディに伝える。顔を上げて瞳を潤ませながら睨みつけるランディ。傍から見れば、ちっぽけな憂いにどれだけ悩まされた事か。
例え、命の恩人であってもこの怒りは、抑えきれない。
「望んでいなかったと?」
ランディの怒りを前にしてもレザンは、飄々としていた。
寧ろ、憐みの色をその目に宿し、ランディへと優しく語り掛ける。
「私の真意を聞きたいか?」
ランディは、歯を食いしばり、握りこぶしを作り、堪える。一方的に自分の言い分をぶつけても解決はしない。この問題は、ランディ自身が抱える心の問題だ。レザンは、単にそれを表舞台へ引っ張り出したに過ぎない。遅かれ早かれ、何時かは苦しめられたであろう。
ランディも自分が賢い解決法を重ねて来たとは思ってない。だが、その努力を踏み躙られては、黙って居られない。簡単に他人が踏み込んで欲しくなかったのだ。
「あの時だけでは、癒しきれなかった傷をお前に理解させる為だ。町に来てから予期せぬ状況に流されるまま、正面きって向き合う事がなかった。恐らく、これまでと同じ様に。だから苦しむと分かって居ても向き合わせた。一番、救わねばならぬ者を分からせたかったのだ」
レザンは、立ち上がってランディの前まで歩み寄ると、その肩を両手で掴んだ。
「お前は、歪だ。歪みは、町に来る前から生じていた。この町に来た当初からずっとお前は、変わっていない。最初は、控えめな性格だろう思って私も勘違いしていた。されど、共に過ごして行く内に悟った。道化の仮面を被るお前は、人の顔色を窺い、その時々に望まれた配役を演じている。だが、その仮面の隙間からはみ出した寂しそうな笑顔も泣き顔も強い信念も全て隠し通せると思っていたか? それは、お前の思い上がりだ。私を見縊るな」
涙を堪え、顔を背けながらランディは、黙ってレザンの言葉に耳を傾ける。
「どの時点から始まったか……男だからな。我慢なんぞ、日常茶飯事だ。それは、私も同じだ。だが、何処かで心の均衡を保つ為、打ち消す必要もある。お前には、それが欠けていた。やり場のない怒りや憤り、悲しみを小さくして積み重ねていった。その結果が今だ。特殊な環境に身を置いていたが故に何時しか慣れてしまったのだろう。己が壊れぬよう、忘却の彼方へ無理に追いやったり、独りで自分を納得させ続けた。煙草で煙に撒く癖もその名残だな」
そう言うと、ランディの胸元を指差すレザン。
「私の前でそれは、許されない。今一度、言ってやる。心の底から……人を求めなさい。声を、体温を、感触を。人の想いに焦がれなさい。頭では理解しても心の何処かで未だにお前は、己自身を特別視して孤独に焦がれている。誰かを求めるのは、弱さではない。人と言う存在は、必ず何か欠けた状態で生れいずるもの。足りていないものを補い合うだけだ。使い古された言葉かもしれない。けれど、隣に誰かが居れば、それだけでどんな理不尽にも耐え抜ける足場が出来る。完成した器に注がれるのは、負の感情や記憶だけではない。それら全てが注がれる事によってお前を苛む全てが横槍を入れる事もなくなる。もう独りで己の心に墓標を立てるな。沢山の感性と共に全ての悲しみや怒り、憤りを荼毘に付して前へ進め」
「……」
レザンの説教は、一言毎に重みがあった。これまでと同じく、遠くへと追いやった人の温かみを思い起こすきっかけを与えてくれる。単純に間違っていると指摘しているのではなく、肯定した上でより良き選択を選べと導く道標として目の前に立っているのだ。そして直情的になって噛みついた自分が恥ずかしくなる。全ては、自分が蒔いた種。その結果をレザンに押し付ける形となってしまい、不甲斐ない。
「私が知る限り、お前と歩いてくれる者は、何人もいる筈だ。特に世話焼きなパン屋の御転婆娘は、一昨日前も此処へ来ていた。仕事が一段落ついてお前の顔を見に来たと。あまり会っていなかったから寂しがっているんじゃないかとな。もしかすると、仕事の愚痴を言いに来ただけかもしれん……でも、お前が目的であったのは、間違いない」
「知りませんでした」
「お前がルージュとヴェールの手伝いをしていると伝えたら屋敷へ向かって行った」
「お気遣い、有難うございます。帰る途中で出会えました。てっきり偶然かと……」
「偶然ではない」




