第傪章 ケーキと狼の王 11P
「確かに可愛らしい方だと思います……それこそ。私には、勿体ないくらいです」
世辞を織り交ぜつつ、ランディは感想を述べる。もう、三度目はないと思いたいが、次に合間見えた時、何人もの娘を引き連れて来かねない。今日よりも困難な事態は、ランディも願い下げ。そうならぬ様に予め、先手をさり気なく打って置く。
「はっ? へっ?」
『中身は、別として……色香は、なかなかのものであろう。また、幼げな顔に似合わず、吾輩の血統もしっかりと受け継いでいる。喜ばしい事だ。望みは、途絶えておらぬ』
頭上で交わされる今後の人生を左右しかねない会話に娘は、素っ頓狂な声を上げる。
慌てふためく娘を無視して尚もランディと灰狼の話し合いは、続く。
「様々な事情により……未だ、身を固める余裕がありません」
『事情など、其処ら辺に捨て置けばよい。身を任せていれば、勝手に結果が着いて来る』
「人の世は……簡単に行かないのですよ」
破天荒な灰狼の言い分にランディは、肩を落とす。
『詰まらぬ。少し共に過ごせば、情にほだされ、抗えなくなる』
「ヒトは、理性でそれらを縛り付けるのです」
『理性とは、笑わせてくれる。言葉遊びに過ぎん』
「そうですね。でもその言葉遊びが何れ、大きなうねりとなって世界を包み込む。感情や想いが生んだより良き選択を求める為の手段ですから」
昨日のいざこざを思い出し、微笑むランディ。幾ら言葉遊びと言われようとも存在を証明してくれた捻くれ者の友がいる。今のランディには、十分な根拠だ。自信満々に胸を張るランディを見て興味を失った灰狼。最早、語る事は何も無い。
『……興ざめだ。ついて参れ』
捨て台詞を吐いて灰狼は、ゆっくりとこの場から去って行く。その後ろ姿を見えなくなるまでランディは、頭を軽く下げて見送った。
「未来を憂える狼の王へ。幸多からん事を心からお祈り致します」
そう、小さく呟くと大きく伸びをする。
「はあ……死ぬかと思った。さあ、俺も帰ろう」
己の肩を揉みながら踵を返すと、ランディも双子の下へと帰る。大きな案件が転がり込み、当初の目的
もすっかり頭から抜け落ちた。疲労も溜まり、一刻も早く町に帰りたいのが本音。
「遅くなってごめんね。二人とも、もう降りて来ても大丈夫」
早足で野原まで戻り、双子を待機させていた木の根元まで辿り着いたランディ。大声で双子を呼ぶ。すると、木々を揺らす音と共にゆっくりと枝を伝い、双子が降りて来た。双子の無事が確認でき、ランディは、安堵する。
「いやはや、流石に緊張した。何とか、遠くまで引き連れて撒いて来たよ」
木から降りて来るなり、何時ぞやの時と同じく、ランディの腹部に抱き付く双子。金色の髪を撫でながらランディは、油断なく、辺りを見渡す。大きな危険が去ったとは言え、些細な気の緩みが原因の事故は、避けたい。
「かえってこないと思った……」
「帰って来るって言っただろう? 約束は、守るさ」
「こわくて……うごけませんでした」
「よく頑張りました。言う事をきちんと守ってくれて有難う」
顔を埋めながらくぐもった声で双子が喋るのでランディは、相槌を打って二人が落ち着くまであやし続けた。偶発的な出来事とは言え、原因は己にあり、申し訳なさで心が痛い。
折を見てランディは、双子をやんわりと引き離すと、しゃがみ込んで頭を撫でる。
「さあ、帰ろ」
「歩けません――」
安心したのか、気が抜けて尻もちをつくヴェール。
「わたしは、だいじょーぶだから。ランディさん、おねがいしても?」
「うん、分かった。ほら、お出で」
「はいっ……」
ランディは、木の根元に置いていた鞄と小銃を回収し、荷物が当たらない様にヴェールを背負う。外套だけは、ルージュに持って貰い、直ぐに出発する。既に太陽が一番高い所まで登っていたのでぐずぐずしていると、帰りが遅くなってしまうからだ。
「かんじんなところでベルは、こどもっぽいよね。かわいい、かわいい」
「むっ……」
おぶさっているヴェールをルージュがからかう。からかわれた恥ずかしさで頬を染めるヴェール。揉め事へ発展する前にランディは、きっぱりとルージュを窘める。
「ルージュちゃん、恨みって消えないからね? 何時か、同じ事を言われるよ」
「明日のことは、明日のわたしにまかせる」
「左様ですか……」
それぞれの恐怖に打ち勝った三人は、騒ぎながら帰路につく。いや、未だに残る不安を打ち消し、己を奮い立たせる為か。特にランディは、逃げ出した過去のツケを拂わされる形となり、心に重くのしかかる重圧を久々に感じた。狂気や恐怖、怒り、闘争の本能、心の奥底で眠っていた全てが。いや、封印していた醜い己が無理矢理、呼び起されてこれまで美しく思っていたものを全て黒く染めて行く。無自覚な前後不覚の底なし沼へ陥る中で見つかる筈もない逃げ場を探していた。
*
灰狼との邂逅から無事生還し、ランディは双子をブランの屋敷へと送り届けた。三人は、疲れた体を引き摺って屋敷の厨房へ向かう。今日の山場は、あくまでもケーキ作りだ。少し、椅子に座って休憩した後、作業に取り掛かる。主だった作業は、双子が担当し、ランディは、時間が掛かる生クリーム作りやその他の雑務を担当した。生地の作成は、双子が少し前からブランの目を盗んで練習をしており、焼成まであっという間に進んだ。
勿論、生地を竈で焼く作所は、ランディも手伝い、焼き上がりまで暫くの間、執事のセリユーが用意してくれた紅茶を飲みながらゆっくりと待つ。焼き上がったら冷まして裁断し、一切れずつ、皿の上に乗せて蜂蜜漬けの果物を飾りつける。最後にランディが襲い掛かる手の痛みと戦いながら魂を込めてかき混ぜた生クリームを乗せて完成。
少し焦げ付いてしまったが見た目は、上出来。多少の心残りはあるものの、双子の思いが詰まったケーキが出来上がり、三人の苦労は報われた。セリユーも含めて出来上がったケーキの味見をし、満場一致で合格の判が押され、誕生日に間に合った。後は、祭りの二日目に双子がまた作って最終日にブランへ渡すだけ。
最後まで見届けるべきか、ランディも迷ったが自警団の仕事もあるので後の全ては、双子に委ねる。それから完成した感動に酔いしれながらケーキを堪能し、日も暮れた頃合いに今日は、お開きとなった。レザンへ土産のケーキを携えてランディは、帰路に着く。
「それにしても今日は……散々な一日だった」
屋敷を出て大きく溜息を吐きながら林道を進むランディ。本当に今日は、神経が磨り減る目まぐるしい一日であった。今を思えば、疑問が残る点もあるが、怪我もなく、五体満足で帰って来られただけで十分だ。終わり良ければ全てよしと、考えなければやっていられない。今は、一刻でも早く家に帰り、疲れを癒したかった。遠くに見える町の明かりを頼りに虫の鳴き声へ耳を傾けつつ、ランディは歩く。
「早く帰って湯浴みをして寝よう」
服の臭いを嗅いで顔を顰めるランディ。先程までは、気にもしなかったが、相当に匂っていた。あれだけ冷汗をかけば、無理もない。
「それにしても家族って良いなあ……」
不意に口をから漏れ出た願望。それは、今日のルージュとヴェールの頑張りを隣で見続けたからだ。疲れる素振りも見せずに歩き通し、ケーキ作りも真剣な面持ちで取り組んでいた。
普段は、おくびにも出さない双子の親を思う家族愛を見せつけられれば、羨ましさが滲み出るのも仕方がない。純粋な人を思う気持ちとは、斯くも美しいものであると改めてランディは、痛感した。




