第傪章 ケーキと狼の王 10P
『出でよ』
呼び出しに応じて灰狼の隣から人らしきものが姿を現す。
「はいっ! みっ、帝様。おっ。お召しに―― より、よりまして? 参上仕り……仕りましてごっ、ございま……す?」
『……何とかならなかったものか?』
「すっ、すみません。どうかっ……どうか平にご容赦下さいっ!」
『もう良い。立っておれ』
「女の子……?」
灰狼が呼び出したのは、独特な渦巻紋が印象的な民族柄の外套姿の恥ずかしげに頬を赤く染めた娘。紺色の髪を長く伸ばし、大きな瞳は、灰狼と同じ朱色を宿している。自信なげな口元と少し幼さが残る顔立ちが印象的だ。此処までなら何処にでもいる王国系の娘。一点だけ王国の系譜と違うのが、娘の頭部に鎮座する大きな獣耳。恐らく、灰狼の血筋のものだ。獣耳をせわしなく動かす娘を鼻でさして灰狼は言う。
『良縁を結ぶが良い。そして唯一無二、至高の子を作るのだ』
「それだけの為に……こんな仰々しい事を」
額に手を当ててランディは、力なく近くの倒木の上に座り込む。まさか、縁組を携えて遠方から訪ねて来るとは想像していなかった。あまりの異常事態に目を回すランディ。
『吾輩の血と貴様の血が交われば、比類なき豪勇の士が生れ出でるに違いない。吾輩は、それと合間見えたいのだ』
「そんな、御無体な……」
『貴様にとっても悪い話ではない筈』
ランディの脳内に奇怪な笑い声を響かせる灰狼。最早、頭を抱えるしかない。勿論、超常の化身に常識を説くのも可笑しな話だが、あまりにも馬鹿げていた。
「光栄な事ではありますが、恐らく貴殿のその望みは、叶いませぬ」
『やってみなければ、分かるまい?』
灰狼の問いに捨て鉢になったランディは、煙草を取り出して火を付けながら否定する。
当然の事ながら否定するだけの確証がランディにもあった。
「いえ、分かり切っています。私の力は、血筋によるものではありません。父も母も姉もこの力を保持してないので。全ては、時の運。良い師に恵まれ、避けられぬ戦いに身を投じ続けた結果、生れ出た産物。この力は、突発的な不純物に過ぎません。交わったとしても貴殿の血筋を汚すだけでしょう」
あくまでも自分の存在は、偶然の産物と言い切るランディ。
そんなランディを灰狼は、せせら笑う。
『貴様らが至上者と名付けた上位の存在が作りし機構に繋がる特異点を突発的な不純物と申すか……流石、神の威を借る者。恐れ入る』
「貴殿もお分かりでしょう? その機構に繋がっているのだから。幾ら交ろうとも貴殿の眷属が成し遂げられていない。それが何よりもの証憑。互いに継承する術を教わっておりませんし、不変の定義として成り立たないのだから貴殿と私は、欠陥品としか言いようがない」
埒が明かず、髪を掻き毟りながらランディは、無礼を承知で己が知り得る限りの情報をもとに語った。ランディの話を皮切りに辺りが騒がしくなり始める。不用意な発言で眷属の怒りをかい、多数の唸り声や挑発の遠吠えが響く。幾ら騒がしくなろうと、今のランディは、動じない。
『よい、抑えよ。あやつの言の葉に嘘偽りはない。幾ら年月を重ねても吾輩は、成し遂げられなかった。吾輩やあやつが息を吸うように繋がれる当たり前が外れているのだ。しかしながらこの力、途絶えさせるのは、あまりに惜しい。そうは、思わんか?』
「随分と人間臭い事をおっしゃるのですね」
『次代に残そうと画策するのは、生きとし生けるものが持つ潜在的な思考であり、業だ。思い上がるな。貴様ら人だけの専売特許ではない』
思い上がった人の独りよがりを灰狼は、許さない。牙を剥き、あからさまに苛立つ灰狼。ランディは、倒木から立ち上がり、陳謝する。
「すみません、おっしゃるとおりです。ですが―― この力は、果てのない欲望を呼び寄せ、血で血を洗う闘争を産む……忌むべき存在。なかったものとして忘れ去られるべきです」
『吾輩は、その闘争を望んでいるのだ』
「その先にあるものは? 意味は? 意義は?」
『吾輩は、意義を求めておらぬ。意義とは、後世に生きるものが勝手に読み取るものだ』
何処までもいっても議論が平行線となる。お互いに信念を持つが故の譲れぬ戦いだ。一瞬の輝きであると己の生が限りあるものとして自覚し、生きるランディと悠久の時を越え、世界の趨勢を眺め続け、老いても尚、戦いの本能を失わず、己の矜持に殉じる灰狼。価値観の乖離は必然であり、何に重きを置くかもそれぞれ違う。
「可能性に食われた偽りの神。どれだけ年月が過ぎようとも貴殿とは、答えが平行線です」
『吾輩を神と勝手に呼んだのは、貴様ら人だ。吾輩は、取るに足らない狼の王に過ぎぬ。貴様が被害者意識を持つのは、一向に構わん。しかしそれは、自らが力を示さぬ故。他者に利用されてしまうのだ。思うが儘、その力を振るえば、誰もが貴様に平伏す』
「その様に振る舞えば、私は孤独になります。猜疑心に塗れた暴君と成るでしょう。私にとっては、何よりも避けたい残酷な未来です」
『諦観に塗れ、吾輩にのうのうと時の移ろいに身を任せろと申す貴様の方が酷なのだ』
毛を逆立たせて怒りを露わにし、声を荒げる灰狼。灰狼の隣に立っていた娘は、恐れ慄き、近くの木陰に隠れた。灰狼の激怒を前にしてもランディは、一向に意志を曲げない。
「もう時代が変わったのです。古から語られるヒトの英知を超えた化身が跋扈する時世は、終わりを告げます。予てから燻って居た大きな恐怖が姿を現す。人が真に恐れるのは、同じ人。闘争の形も変わりつつあり、先の戦で技術の進歩を垣間見、その片鱗を貴殿も感じ取った筈。何れ、貴殿や私の想像を越えた別の仕組みで動く意思のない大きな力が生れ、その力は、恐らく肥沃な大地を一瞬で焦土に変えます。例え、その力に我々、個人が抗えても大切なものが成す術もなく、簡単に失われる……全てを失い、絶望の中で自身の存在意義を問われ続けるそんな未来が」
全てを悟ったかの様にランディは、悲しげな微笑みを浮かべる。
「そう、無機質に……無感情にこれからの兵は……只管、効率的に命を刈り取る事が求められます。武力の絶望的な格差がより顕著となって一方的な虐殺が重宝されるでしょう。貴殿が焦がれる意思と意思が直接、その肉体をもってぶつかり合う闘争もなくなるのです。口では、闘争を欲する貴殿の本心も心無き奪い合いを……恐れているのでしょう? だからそんな荒んだ時代が到来しても生き永らえる子孫を成そうとしている。無論、その考えも一種の闘争でしょう。生存競争と名の付いた」
『―――― 目にしたのか』
目を見開き、驚く灰狼にランディは、頷いた。
「一度、あの機構に記された記録に触れた事があります。断片的に……全てを網羅した訳ではありませんが……これから起こりうる事だと、彼らから教わりました」
『ふっ―― 此度は、吾輩が引き下がるとしよう。だが、諦める心算は、無い』
「有難うございます」
この場は、矛を収めると確約が取れ、ほっと胸を撫で下ろしたランディ。窮地を乗り越え、ランディは謎の達成感と謎の感動を覚える。勿論、灰狼へ深々と頭を下げ、感謝の意を示すのも忘れない。これで灰狼のけったいな用向きも終わりを告げる。
「それにしても貴殿の眷属に人の子が居るとは……驚きです」
ランディは、気を揉んで木陰から恐る恐る顔を覗かせていた娘の話題に触れた。
唐突に表舞台へ引っ張り上げられた娘は、頬を赤く染めると、また木陰に引っ込む。
『別段、不思議ではあるまい? 貴様らが共和国と区分けするかの国では、当たり前の光景だ。ヒトと獣の混じった者など。それと何ら変わりない。折角、貴様の目に適うであろう者を用意させたのだが……徒労に終わった』




