第傪章 ケーキと狼の王 8P
外界の危険は、あげればキリがない。動植物に限らず、兇賊や地域によっては自然現象すらも人の命を簡単に奪う。盗人に身ぐるみを剥がされる方がまだ、マシと思える程に人の命は、他の生命と同様に軽い。必要がなければ、子供を連れ出したがる親はいない。武術の心得があるランディが幾ら細心の注意を払っても足元を掬われる可能性は、否定出来ない。
まだ、約束が果たせていない野兎を捕獲する話もそうだ。都合を合わせ辛いのが、主だった理由だが、安全を第一に考えると一歩踏み出せないのが現状である。
「本当は、馬を借りようと思ったけど……君たち二人だけで馬に乗るのは、無理だよね?」
「じょうばは、あんまり……」
「とおくにでかけるときは、ばしゃだから」
利便性や安全を優先するならば、馬が一番。されど、一頭に三人も載せて長距離の移動は出来ない。二頭借りる事も検討したが、双子の乗馬経験が定かでないので除外した。双子を乗せてランディが歩く事も考えたが、それならば移動速度は変わらないし、結局は手綱を引くランディにかかっているので不測の事態に対処が出来ない。
「馬車を用意する事も考えたけど……それは、仰々しいから歩きしかなかったんだ」
「そのかわりにそんなぶっそうなもの、もってきたの?」
「そういう事」
ルージュは、ランディの背負っている長い布袋を指差す。
「ランディさんならこしにあるけんだけでもおいはらえるんじゃない?」
「剣だけでどうにかするのは、無理だよ。相手は、野生の動物だ。悠長に正々堂々、いざ勝負なんてお願い出来ないから。取り回しが悪いから本当は、拳銃が良いのだけど」
空を掴み、技斗の真似事をして仮想の敵をばったばったと薙ぎ払うルージュ。ランディは苦笑いをしながら首を横に振る。ランディが言った通り、一対一の勝負になるとは、限らない。近接戦闘に頼り切ってしまえば、多くの死角が出来る。それならば、牽制射撃を行って距離を取りつつ、相手が諦めるのを待つしかない。
「それに応戦は、本当の最後に使う手立て。出会わないのが一番。だから鈴も付けて来てる」
ランディは鞄に着いている鈴を二人に見せる。よくある護身用具の類いだ。
「てっきり何かのおしゃれかと思ってた」
「音を鳴らして此処に俺たちが居るって知らせてるんだ。自然の音に掻き消されて実際は、お守り程度にしかならないけどね。でも聞こえるくらい近い距離に居たら大きな動物は、わざわざ寄って来ないと思う」
「へえ……ランディさん、はくしきですね」
「職人の知恵だってさ。昔、樵の仕事をしているヒトから教わったんだ」
「そういうひとたちにとっては、しかつもんだい? ってやつだからね」
「そう言う事」
町の門まで辿り着き、陽の光に照らされた街道と野原の美しい景色が三人の目の前に広がる。ランディは、大きく伸びをして袋から銃を取り出すと、弾奏に弾丸を装填して肩に引っ提げ、歩き始める。その後ろから双子も続く。
こうしてケーキと狼の王に苛まれるランディの長い一日は、幕を開けた。
*
「さて……どうしたものか」
「ここら辺のはずなんですけど」
「葉だけで実が綺麗にないね」
昼前に目的地へ到着した三人を待ち受けていたのは、非情な現実。青々とした草むらには、何もない。野いちごの低木はあれども木には、まともな実が一つもついていないのだ。折角の遠出も無駄足に終わった。周辺を手分けして探しても齧られた残骸や茎から引き千切られた跡など、先客が居た名残だけ。肩を落とす双子に掛ける言葉が見つからないランディ。
「食べるのは、俺たちだけじゃないから……鳥や小さな動物にとっても大事なご飯だ」
「それにしてもこれだけさがしていっこもないって言うのは……ね」
「もしかすると、誰かが取ってしまったかも」
苦し紛れに何の慰めにもならない憶測を述べるランディ。かと言って執着してこの場でずっと立ち止まる訳にも行かない。時には諦めも肝心だ。
「元々、望み薄なのが分かっていて探しに来ているから仕方がない」
「うーん……ざんねんです」
「御菓子を食べようか。まあ―― 物事は、好意的に考えないと。良い運動をした後に……帰って作ったケーキは、とっても美味しい筈だ」
せめてもの気晴らしにランディは、小休止を提言した。双子は、力なく頷く。意気込んで来た結果がこれなのだから双子の落胆は、相当なものだ。ランディは、双子の頭をぐしゃぐしゃに撫でると、休める場所を探し始める。少し辺りを見渡して大きな切り株を見つけたランディは、双子の小さな手を引いて歩き出す。
「つかれとがっかりで作るきりょくもないよ……」
「のいちご作戦は、とんざです。ジャムだけでも作れないかなって思ってましたが」
ランディは、持って来て居た外套を敷き、その上に双子を座らせて鞄から菓子類を取り出して手渡す。自分は、立ったまま水筒の水を飲んで喉を潤す。単なる行楽であれば、心地良いそよ風やほんのりと温かい陽光、鼻を擽る草花の香りで心がときめいた事だろう。
もそもそと、ビスケットやチョコレートを食べる双子を見守りながら不意にランディは、とある疑問が生じて直接、聞いてみる事にした。
「そう言えば……何故、ケーキにしたの?」
「きょねんは、殆どわたしたちだけの手作りビスケットだった」
「その前は、セリユーさんに手伝ってもらってカスタードのプディングでした」
「その前は、チョコレートだったよね? 二人でおこづかいを出しあってかったやつ」
「その前は……」
「分かった、御菓子の流れが出来ていたんだね」
「いえ、さいしょからケーキだったんです」
「ふむ……何か訳ありか」
手元の菓子から目を離し、大きな瞳に強い意志を浮かばせながら首を横に振るヴェール。
その真剣な眼差しにランディは、何か深い事情がある事を悟った。
「母さんのとくいりょうりだったんだ、ケーキ。色んなのを作ってくれた」
「ああ、そう言う事か。何とも……分かる、分かるよ。それ以上、言わなくても大丈夫」
額に手をやり、ランディは落ち込む。双子は、亡き母の思い出を再現する為に奮闘していたのだ。それがこの様な惨憺たる結果となり、自分を責める。もっと前にこの事情を聞いていれば、本腰を入れていただろう。己の不甲斐なさに呆れて物が言えない。
「それなら尚更、申し訳ないなあ……初めてのケーキが暗礁に乗り上げてしまって」
「いえ、ランディさんがもしものことを考えてはちみつづけのくだものも考えた方が良いって言ってくれましたので作れますよ」
「それなら良かった。まあ、既に最高の調味料もあるし。喜んでくれるよ、ブランさん」
「本当ですか! どこでそのちょうみりょうを?」
「いっつもランディさん、ゆめみがちなことを言うからきたいしない方が良いよ?」
ランディの発言にヴェールは、目を輝かせる。心なしか、力も漲っている。逆にルージュは、不毛な話だろうと、期待せずにじとっとした目でランディを見つめる。
「町中を歩いて事情を掻い摘んで話をした上で聞いてみたら皆、言ってた。目に入れても痛くない愛娘が作ってくれる物が一番美味しいって」
「そんなことだろうと思ったよ……うげ。きいてそんした」
「はっはっはっ……」
「どんな工夫よりも勝るのさ。大切なヒトが自分の為に思いを込めて作ったものはね――」
蓋を開けてみれば、ルージュの想像通りだった。ルージュは、呆れかえり、ヴェールは、固まって乾いた笑いしか出て来ず。双子の反応にめげず、ランディは、補足をしようとした所で話を急に途切れさせた。そして、辺りの様子を油断なく伺い、腰を低くして臨戦態勢に入る。ゆっくりと、小銃に手を掛けて腰だめに構える。




