第傪章 ケーキと狼の王 7P
決して言葉にはしないが、レザンの声には冷やかしの色があった。レザンにとっては、何度も経験し、見飽きた光景である。目新しい事に取り組む訳でもないから何があってもほぼ全てが許容出来る誤差の範囲内。今更、動じる事も無い。
「なるほど……やっぱり、参加します。貴方の入れ知恵と知れたら皆、良い顔をしないから。勿論、レザンさんが正しいって分かりますけど……無暗に敵を作るやり方は、頂けないですね。レザンさんは、困らないでしょう。でも、回り回って困る子が居るからね」
「そんなしょうもない輩など、私が叱責して跳ね除けてやる」
「若くないんだから無理しないで下さい。僕が参加して丸く収まるならそれが一番」
「勝手にしろ」
「勝手にしまーす」
*
翌日の朝。ランディは、焦って居た。原因は、言わずもがなだが、昨日の酒盛り。理由は、双子との約束。日が明けて間もない頃、正体不明の不安に駆られて魘される様に目を覚ませば、目の前に広がるは、見知らぬ天井。天井付近の小窓から薄明かりが差し込む中、額を手でおさえながら状態を起すランディ。固い寝床で体中に痛みや痺れがあり、浴びる様に飲んだ酒の所為で酷い頭痛と吐き気がランディを襲う。
そんな満身創痍の状態で昨日の出来事を思い出し、後悔する。どうしてベッドに横たわっていたかは、分からないけれども少しずつ正気を取り戻す内に今日は、約束があった事を思い出した。思い出して安心しきったランディは、ベッドへ再度寝転がり、もう一眠りをしかけたが、直ぐに勢いよく起き上がると、血相を変えて慌ただしく、家へと帰った。
今日は、朝からの約束でラパンとの訓練も中止しているのを思い出したのだ。其処からは、怒涛の勢いで準備を開始。先ず始めに水を大量に飲んで乾ききった体に潤いを与え、髭を剃り、体を綺麗にした後、着替えて持って行く装備をかき集める。昨日、掃除に向かう前に準備を整えていたのでさして時間を掛けずに家を出る事が出来た。肩掛けの鞄を引っ掛けて腰に剣を帯び、今まで自室の隅で埃を被っていた長い布袋を背負い、薄手の外套を持って裏口から飛び出す。
「やばい、やばいっ! このままだと、遅刻だ」
薄暗い石畳の小道を駆け抜けて待ち合わせの場所へと向かう。落ち合う場所は、役場の前。
大通りが見えて来た所でランディは、歩調を緩め、呼吸を整える。
「調子に乗って飲むんじゃなかった……」
体の痛みや痺れは消え去ったが、頭痛と吐き気は未だ続いている。比較的、人通りの少ない大通りを黙々と歩き、役場付近まで辿り着くと、目的地には既に到着していた双子の姿があった。双子の前まで行くと、最初に声を掛けて来たのは、ルージュ。
「ランディくん、ぎりぎりだね。しゃかいじん、しっかくだよ。わかっているかね?」
「むっ……」
「ごめん、ごめん。自分でも寝坊するとは、思ってなかったんだ」
今日の双子は、華美な服装ではなく、小さな鞄を背負い、汚れても良い地味な格好をしていた。今日は、三人で野いちご狩りへ行く予定だった。腰に手を当てたルージュと小さな頬を膨らませるヴェールの前でランディは、頭を下げる。起きるが遅ければ、危うく約束を反故にする所であった。不測の事態があったとは言えどもそれは二人へ許しを乞える言い訳にはならない。
「うそです、おこってません。おはなし、きいてます。きのう、きれいにしたつめしょでおとーさんとお酒をのんでいたと。ごめいわくをおかけしました。きちんと、しかってます」
ランディが頭を下げる姿を見て二人は、一斉に笑い出す。双子は、理由を知って居たのだ。
ヴェールの話を聞いてほっと胸を撫で下ろすランディ。
「ブランさんだけが悪い訳じゃないよ。想定していた以上に盛り上がってしまったんだ。君たちとの先約があったのに申し訳ないね……」
「わるいともだちみたいなかんけーのヒトからさそわれてかんたんについてちゃうのもどうかと思うけどね。こどもにちゅういするおとながそれじゃあ、先が思いやられるよ」
「全くもってぐうの音も出ない正論だけど……自分の父さんを悪い友達扱いって」
「みうちでも公平に。それがわがやのかくん」
「御見それしたよ。それで早速だけど出発しようか? 早くしないと、午後からケーキ、作れないからね」
そう言うと、ランディは双子を連れて歩き出す。齷齪と働く町民たちの横を歩いて町の正門側へと向かった。屋台やちょっとした飾り付けなどのお蔭で普段よりも華やいだ印象を与える町の景色。初めてのランディにとって通り過ぎて行く全てが物珍しく、物見遊山で訪れた遊子の様にキョロキョロと目で追ってしまう。
「そう言えば、お昼どうしよう……流石におなかが空くよね」
「がまん、がまん。食べすぎると、作ったケーキのしょうこいんめつが出来ないからね」
「それを踏まえて軽食用にビスケットと、御菓子を幾つか持って来たよ。森は、危ないから。何かあった時、お腹が空いてたら頭が回らなくて困る。適当な時間に食べよう」
町の景色に現を抜かしながらも話を聞いていたランディ。そして、隣を歩く双子に鞄の中身を見せた。中には、大きな水筒と、ビスケットや氷砂糖、チョコレートなどの菓子が少しずつ詰め込まれており、それを見た双子は、瞳をきらきら輝かせる。
「さすが、ランディさん! めいよばんかいによねんがないね」
「あっ、ありがとうございます!」
「飲み水も用意してるよ?」
「いたれりつくせりだね。まあ、わたしたちものみ物は、きちんとよういしてあるけど」
「なら安心だ」
にっこりと笑ったルージュは、自慢げにくるりと振り向くと、背負っていた鞄をランディに見せた。微笑ましい仕草にランディの頬も緩む。
「場所は、レザンさんから聞いているけど。山へ向かう林道の途中だっけ?」
「そうっ! はしをわたる手前のところで」
「こみちに入ってすぐのばしょでよく取れます」
「それなら道に迷う心配は、無さそうだ」
「とおいのがたいへんなだけです。うちの近くでも取れますけど、ばらばらでちょっとずつしか……おくにはいちゃうと、めじるしがないのでまいごになります」
話題が野いちごの所在に変わり、頬に手を当てながら困った顔をするヴェール。今回は、少し前にランディが配達で通った林道が目的の場所。歩いて行くとかなりの時間を要する。
近場で探せれば、一番良いのだが、生育環境が整った場所が少なく、行けば、必ず見つかる確証も無い。必然的に昔から知られている人里を離れた林道の群生地に向かうしか選択肢がなかったのだ。
「日当たりとかも関係してるから予め、場所が分かっていないと探せないもんね。それにあの小道は、人目につく。目ぼしい所は、ずっと前に取り尽されていると思うなあ」
話をしている内に町の門が見え、期待に胸を膨らませた双子の足取りは軽くなる。普段から町と屋敷を往復するばかりであまり外へ出歩く機会がなかったのだろう。
「そうなんです。だからまちの子は、大人のヒトがさんさいを取りに行くとき、つれて行ってもらうんですよ。さんさいもちかくで取れるので」
「なるほど」
「でも、あぶないからって言われてあんまりつれて行ってもらえないけどね」
「仕方がない。狼やら野良犬、熊、猪に遭遇したら大人でも危ない。奴ら、しつこいから逃げるのは大変だ。子供を守りつつ、家に帰るのは、更に難しいよ」




