第傪章 ケーキと狼の王 4P
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掃除が終わってから宴は、直ぐに開催された。長机の上には、ブランの用意した食べ物が並べられ、グラスの用意が無かったのでワインは、それぞれに一本ずつあてがわれている。
香りや味わいを楽しむのであれば、本来は、グラスの注ぐのが好ましい。けれども偶には、粗野な振る舞いも食の楽しみの一つとなる。人目を忍び、隠れ家で謀略する盗人の様に怪しげな雰囲気を漂わせているのならば、尚更だ。
既に空は、夜の帳に覆われて昼間でも薄暗かった室内は、宛ら真っ暗な洞窟の様相を呈している。長机に乗っている燭台二つのみの明かりが辛うじて三人の手元を照らすのみ。
「緊張しながら飲む事が増えた……」
燭台の淡い蝋燭の光に照らされながらボトルを片手に泣き言を呟くランディ。今までならば、オウルと居間で静かに嗜むか、ルーと出歩くだけだった。それが先日の一件や今日も想定外の予定が飛び込んで来るなど、ランディの処理能力を超える出来事が頻発している。
椅子の上で縮こまって座り、如何にも居心地が悪そうなランディを前に長椅子の上でゆったりと寛ぐブランは、粘り付くような視線を向ける。
「逆にレザンさんと家で飲むか、ルー君と連れだって遊ぶだけだったこれまでが異常だよ。君ももっと、ルーくんみたいに羽を伸ばさないと。年をとれば、強制的に出来なくなるんだから。僕なんていつも家の書斎で独り寂しく、本を片手に飲むだけさ」
ブランの指摘を聞き、ランディと同じく椅子に座っていたルーは、得意げに頷く。
「僭越ながら言わせて頂きますが、十分に贅沢な時間の使い方だと思いますけど……」
恨めしそうにブランをじっと見つめるランディ。そんなランディをブランは、鼻で笑う。
「ひと肌が恋しくなる時があるのさ。女性と偶さかの逢瀬を楽しみたいと思うのは、猫も杓子も同じだ。男として生まれ、愚かな性に支配されている証拠だろうね」
「それは、遊興にふけたいが為の体の良い言い訳では……理性を保って下さい」
ブランの世迷言を受け、呆れ果てるランディは、丁寧に窘めた。勿論、気持ちは分からなくもない。されど、人の親であるのならば、きちんとした線引きが必要だ。例え、冗談だとしても頭の中で双子の顔が思い浮かんでしまい、ランディには看過できなかった。
そんな中、ずっと聞き手に回って居たルーが唐突に口を開く。
「僕は、ブランさんの考えに共感が出来るよ。理性とは、覚悟を問う為の線引きに過ぎない。越えた先の結果へ真摯に相対するなら試しても問題は、無いよ。法律だってそうだろう? これをしたら最終的にこうなるよと、起因する事例とその事例を越えたら後発的に作用する罰則と名の付いた結果を述べているだけだ。ヒトが行動に移す前段階で完全に動きを制御して規制する手立てではなく、抑止力だからね。現にこの場で僕らは、ブランさんを完璧に留意させる術を持って居ないもの」
「身も蓋もない事を……」
同じく身近な者が心を痛めると分かって居る筈だが、全く考慮していないルーの発言にランディは、苛立ちを覚えた。勿論、仕組みに関して一点のみに特化したルーの言葉は、確かに正しい。現状において覆すだけの判断材料も乏しいだろう。何故ならば、誰もが、帰納的思考や演繹的な思考をもとに共通認識としてぼんやりと存在を認める道理なのだから。
「欠陥があるものを欠陥品と言って何が悪い? 杜撰な管理下で事情が違えば、人殺しも許されちゃう世の中だよ。ましてや、バレなきゃ何をやっても良いって裏の手引きもある。そんな世界の何処に正しさがあるって言うんだい?」
「そんな世の中で生まれ、育った以上、影響を受けている俺たちも本当の正しさを知らない欠陥品だろう。欠陥品が自分の根底にあるものを欠陥品と嘲笑う何て、ちゃんちゃら可笑しいね。例え、欺瞞であっても理性、君の言う線引きを本当だと俺は、信じて殉じるよ」
あくまでも情を優先し、ルーと対立するランディ。思わぬ始まりから一気に蚊帳の外へ追い遣られたブランは、微笑みながら静かに静観する。ルーは、ランディの反論を受け、詰まらない顔をして葡萄酒を煽った。
「ああ、頭の固い人間は、これだから……さっきの威勢は、何処へ行ったのさ? 君だって気に入らない事があったのならば、右を向かない人間だろうに。目的の為ならいずれ、枠組みから簡単に君だって飛び出してしまう。行儀の良い子をしていられるのも今のうち」
「それがたった一人しか存在しない世界でなら俺も文句は言わないさ。でも実際は、周りの人も同じ様にこの歪な世界で必死に生きている。俺だって飛び出さない範囲で踏ん張って頑張っている。ラパンやエグリースさんの時も……思いが届くように努力した」
徹底抗戦の姿勢を崩さないルーにランディは、最近の出来事を例に挙げて己の論調に説得力を持たせようとした。きちんとした己が根幹にある思いを重視し、結果を出した上でランディは、今も此処に居る。けれど、それは諸刃の剣でもあった。
「―― でも盗賊団の時は、違う。だろう?」
「っ!」
そう。結果を出したのはランディが挙げた事例だけではない。尤も痛い所を突かれたランディは、俯いて黙りこくる。勢いが止まり、片膝をついたランディにルーは、止めを刺す。
「……君は、簡単に飛び越えて目の前の敵を容赦なく、いとも簡単に一掃した」
「……外に出ろ。頭に来た」
「何だい? 事実を指摘されて何も言い返せなくて憤懣とは、情けない」
顔を上げ、怒りの炎を瞳に灯すランディを前にルーは、涼しい顔をして煽る。怒りが頂点に達したランディは、歯を食いしばり、握りこぶしを机に叩きつける。
「その何でも知っているかのようにすました顔で上から物を言うのが気に入らないんだ。いつも言ってるだろ? 口は災いを呼ぶって。何様だよ? 口だけで自分からは、行動に移さない癖して。他人の支援に回ってばかりで自主性のカケラも無い。揚句、揚げ足を取ってばかりだ。欠陥を指摘する君が誰よりも飛び越えようしない臆病者なんだから世話ないよ」
「っ! 随分と手前勝手な事を言ってくれるね……主人公気取りも好い加減にしなよ? 勝手に突っ走って人を振り回してさ。君の方が何様だよ。何処かで分からせてやらないと思ってた……望む所だ。どっちが思い上がりか、決着をつけようじゃないか」
勢い良く立ち上がり、互いの胸倉を掴みあう二人。今にも殴り合いが始まりそうな緊迫した雰囲気の中。ただ一人、冷静なブランは徐に立ち上がると、二人をやんわりと引き剥がす。
そして、二人の肩をそれぞれ軽く叩きながら話を始める。
「青春だね―― 羨ましいよ。僕も君たちの歳に皆で集まっては、酒を片手に時間を忘れて議論に興じたものさ。さあさあ……一度、頭を冷やして座りたまえ」
ブランに諭されて不承不承にながら椅子に座り直す二人。そんな不貞腐れた二人を静かに見届けた後、ブランは酒瓶を片手に室内を歩き始める。
「申し訳ない。僕の話から君たちの議論が始まった手前、偉そうな事は言えないけど、君たちのどちらも間違っていないから平行線になるんだ。でもね、君たちは間違っちゃいないけど、同時に正しくもない。良いんだよ、正しさなんて。そもそもそんなものは、お伽噺の世界にしかないんだから。君たちが有りの侭に生きる事をこの世界は望んでいる」
ブランは、窓辺まで行くと、静かに開けて縁に手を掛け顔をだし、夜風を楽しむ。暑すぎず、寒すぎず、心地よい風に黒髪を撫でられながらブランは、夜空を眺めた。ランディやルーの所へも外の風が流れ込む。その風は、閉じられた空間の中で煮詰まって居た思考で荒んでいた二人の心を少しずつ洗い流していった。




