第傪章 ケーキと狼の王 3P
「気分を損ねる事を言ってしまった……かな?」
「いきなり、どうしたの?」
「だって、何かあったからそうなってしまったんだろう? 以前の盗賊団の時もそうだった。深く聞く心算はないけど、君はやっぱり可笑しい。何処かがズレてる」
ルーの指摘を受けてランディは、少し考えた。そして、箒を一度、壁に立て掛けると、胸元から煙草を取り出し、火を付けて一服。天井へと立ち上る一筋の紫煙をぼんやりと眺めながら考えが纏まったのか、ゆっくりと口を開く。
「詰まんない話だから気分を害してしまったら申し訳ないんだけど。前に―― 右向けって言われて何も考えず、馬鹿正直に右を向いて突き進んだらその道すがら、大切なモノを失ってしまったんだ。今更、他人の所為にして被害者ぶるのは、性に合わない。それに最後に選んだのは、自分だ。けど……それから誰に言われても後悔するかもしれない選択肢は、選ばなくなった。自分の目できちんと見定める事にした。誰かに『是こそが正しいんだ』って説き伏せられて状況に流されない様に」
そう言うと、遠くの何処かを見つめるランディ。その瞳に感情の色は、無い。
「何とも……言葉にし辛いね。君にその覚悟を強いた出来事」
「いつか風化して欲しいとも願っている自分も居るし、忘れたくない自分も居る」
「叶わぬ願いかもしれないけど……その思いを昇華、出来たら良いね」
ルーのそれとないきづかいを受けてランディは、煙草を楽しみながら微笑む。
「同情は、要らないよ。俺は、其処まで弱くない」
「格好が悪い事に定評がある君が格好を付けるなんて」
「いや、弱い人間だと思われたくないんだ。だって折角、友と認めてくれた君と対等でありたいからね。君が困った時、一番に頼れる友でありたいじゃないか?」
「まさか……僕まで君の芝居がかった口説き文句を聞かされると思ってなかったよ」
「えっ、誰から聞いたの? あっつ!」
ルーの不意打ちに驚いたランディの手から煙草が零れ落ちる。同時に煙草の灰が手に当たり、熱さにランディは思わず身を竦ませる横でルーは、にやりと笑う。
「この前、フルールとユンヌがお茶をしている所へ通りかかった時に。『一緒にどう?』って誘われたから珈琲を一杯だけ飲んだんだけど、話の中でフルールが言ってた。てっきり、普段の言動から君は、少し女癖が悪いだけだと思っていたけど……」
「残念ながら俺は、古い価値観に縛られている詰まらない人間だよ。貴族のお歴々や教会のお偉方の価値観とは、相容れないね」
「それを聞いて安心した。まあ、程々にね。その内、君が解き放った言の刃が本当に思わぬ作用を生み出し、相手の子の心の深い所へ突き刺さって本気にさせちゃうかもしれない。そうなると、取り返しがつかない。もう、二度と元の関係には戻れないよ?」
「肝に銘じておく……生半可な覚悟は、ご法度だからね」
ルーの助言を心に留め置きつつもそんな未来は、来る筈が無いと高を括るランディ。ぼんやりと、窓の外を眺めながら掃き掃除が終わったランディは、箒からモップに持ち替える。
薄暗い室内で作業をしていた為、二人とも気付かなかったが、いつの間にか、太陽が西へと傾いており、夕暮れ時が迫りつつあった。
「まあ、先の事を考えて臆病になるのも詰まらない。年をとっても女の子のお尻を追い掛ける男でありたいね。特に最愛の人が出来たら愛想を尽かされない様にしないと」
黄昏時の淡い雰囲気にのまれてランディは、そっと呟いた。
家具の清掃に取り掛かり始めるルーも頷く。
「同感だ」
「それは、僕も同じだね。何時までも若くありたいものだ」
「ブランさん?」
ルーに続いて思ってもみなかった三人目の賛同者があらわれてランディが声のする方へ顔を向けると、いつの間にか、開いていた扉の前で大きな紙袋を手にしたブランを見つける。
そして、次にランディの目を惹きつけたのは、ブランの服装。何時もの小奇麗な格好ではなく、色落ちした紺色のシャツと黒のパンツ姿の登場でランディは、首を傾げた。
「いらっしゃる時間は、もう少し後だと思ってました」
「すみません、片付けが終わってなくて」
「いや、構わないよ。寧ろ、手伝おうと思って仕事を早く切り上げて来た。進捗は?」
ブランは、詰所に入ると、真っすぐに炊事場へ向かい、紙袋を其処に置く。そして、シャツの袖を捲ってルーと同じ様に雑巾を手にする。
「此処は、もう少しで終わります。残りは、小部屋の備品を引っ張り出して綺麗にすれば……でも手伝い何て、恐れ多いです」
隣で家具の清掃に取り掛かるブランを見てルーは、苦笑いでやんわりと止める。
「偶には、体を動かさないと。唯でさえ、座り仕事ばかりで鈍っているからね。遠慮しないで僕を使ってくれたまえ。それに少しは、君たちの上長らしい事しておかないと。頑張っている君たちに示しがつかない」
「ブランさんは、各所で手回しをして頂いています。矢面に立って動くのは、部下の仕事でしょう? それに詰所の件は、俺たちの我儘から始まった事ですし」
「裏方の仕事だけが全てじゃない。君たちの近くで動向を確認するのも僕の仕事だ。その仕事を奪わないで欲しい。それに君たちの我儘の発端は、もとを辿れば、町の都合にある」
尤もらしい意見を前にして二人とも簡単に言い包められてしまう。反論が無い事を核にしたブランは、先程、炊事場に置いていた紙袋を取りに行き、二人へ中身を見せる。紙袋の中身は、葡萄酒が三本と、干し肉やサラミ、チーズ、堅果などがめい一杯詰め込まれていた。
「そう固くならないでくれ。実は、手伝いと言うのは方便で気晴らしがしたかったんだ。聞いたよ。オウルさんと飲みに行ったんだって? 狡いじゃないかっ! どうして僕やルーくんを誘ってくれなかった?」
ブランが目論んでいた真の目的は、掃除を速やかに終わらせて三人で酒を酌み交わす事。
思えば、これまでブランと机を挟んで酒を嗜む機会はなかった。何時か、試みようと思いを募らせていた矢先、思わぬ伏兵に先を越されてしまい、ブランは憤慨している。
目を細めて問い質すブラン。
「唐突に決まった出来事だったのでそんな余裕は……」
思わぬブランの追求に目が泳ぎ、言葉を詰まらせるランディ。
「言い訳は、結構。聞いた時に僕がどれだけ打ちひしがれた事か。君に分かるかい?」
「心中、お察しします。シトロンと三人で大騒ぎしたとか。羨ましい限りです」
「君まで……二人して大人気ないですよ」
「大人気なくて結構。寧ろ、逃げ道がなくなって俗物っぽい苦し紛れの常套句に頼る君を見たくない。それとも他に申し開きがあるなら聞こうじゃないか?」
「ありません……」
ランディが冷静な切り返しで対応するも烈火のごとく荒れ狂う町長は、留まる事を知らない。最初から勝敗が決まり切っていたのだ。打つ手は、既に断たれている。ルーを味方に抱き込もうにも当の本人にその気は、毛頭ない。寧ろ、この状況を楽しんでいる。
「勿論、君とオウルさんが打ち解ける良い機会だったのも知って居るさ。それに水を差すほど、無粋でもない。けれども事後報告でオウルさんに自慢された惨めな僕を想像してくれ。筆舌に尽し難いっ! その八つ当たりくらい、許して欲しいね」
「僕は、其処までじゃないけどね。楽しそうだからブランさんに乗っただけ」
熱く語るブランの後ろに隠れてランディを鼻で笑うルー。流石に言いたい事を全て出し尽したのか、ブランは大きく伸びをしてランディに微笑みかける。
「戯れは、これくらいにして掃除を終わらせてしまおう。その後、やっと船出する自警団の祝杯をあげようじゃないか」
「それが明日、約束がありまして……」
「大人なら飲み明かしても這って成し遂げるものだよ」
「無茶苦茶な話だ……」
「今までに起きた数々の局面も無茶を承知で君の道理を押し通して来ただろう? 酒何てそれらに比べたら屁でもない」
「はあ――」
最早、逃れる事は出来ない。今日は、ブランにとことん付き合うしか、選択肢が残されていなかった。




