第傪章 ケーキと狼の王 2P
「まあ、先の話だ。困った時に考えれば良いと思う。それに冬場は、騒がしくなる事もないから使う頻度も極端に少ない。最悪、ブランさんにお願いすれば、直ぐに貰える。それよりも先に備品を確認して見よう。聞いて書き留めておいたけど……机が二つに椅子が四つ。長椅子が一つ、仮眠用のベッドが一つ、棚が四つ、掃除用具が幾つか……照明器具もあるね。あげればキリがないけど」
小さなメモ帳を取り出してルーが淡々と読み上げる横で耳を傾けながら窓辺へ向かい、窓の縁を人差し指でそっと撫でて埃を確認する。少し撫でただけでも指に薄く埃がこびり付いた。床にも埃の塊が転がっており、天井付近には、蜘蛛の巣が幾つか見える。掃除は、ランディが思っていたよりも手が掛かるかもしれない。
「大きな家具以外は、君がさっき言っていた小部屋にありそうだね」
「掃除用具だけ引っ張り出してこの部屋を掃除してから確認しよう。それなら店を広げても面倒臭くない」
ルーの提案にランディは、頷く。
「ふぅ―― やる事が多そうだ」
「本当の本当に僕は、終業時間までに帰れないかもしれない」
「俺の場合は、それを見越してレザンさんが時間をくれたんだと思う。その代わり、一日で確実に終わらせなさいって所だね。ブランさんに連絡を入れておこう。頼めるかい?」
「構わないけど、君はどうするんだい?」
「先に準備をして掃除してるさ。俺よりも君の方が説明は早いし、事と次第によっては、業務の引継ぎもしないといけないだろう? さっき、調節してるって言ってたけど、それは戻る前提の話で完璧に仕事を放っておける筈がない。必ず、しわ寄せがあるでしょ?」
「なら、お言葉に甘えて。助かるよ」
ランディは、奥に設置された扉を開けて中を確認しながら左手を振り、ルーを追い払う。
ランディの勧めにルーは、素直に従って詰所を後にする。その間に掃除用具を見つけ出したランディは、引っ張り出して大きく伸びをする。
「よーしっ! 頑張りますか」
*
「戻ったよ、首尾はどうだい?」
「掃除用具を引っ張り出して天井の蜘蛛の巣と埃落としから始めたところ」
「頑張ってくれたまえ。僕は、炊事場と竈を担当するよ」
二人が役割分担をしてから時間が経ち、ルーが役場から戻ると、ランディは、口元を手拭いで覆いながら天井の蜘蛛の巣や埃と格闘をしていた。隅に寄せられていた椅子を引っ張り出し、その上へ乗りながら箒で軽く撫でると、上から粉雪の様に埃が舞い落ちて行く。
頭を白く染めながら涙ぐましい努力を続けるランディを見てルーは、やる気を出す。
「申し訳ないけど、水……用意してないんだ」
「大丈夫、近くに井戸があるから持って来る」
「なら、その間に炊事場の上を叩いておくよ。君の方は、順調かい?」
「機転を利かせてくれたお陰で報告と引継ぎは、無事に終わったよ。ありがとう。それと―― ブランさんが後で様子を見に此処へ来るってさ」
「本当かい? それまでにはある程度、終わらせときたいね」
「仕事が終わってから顔を出すって言ってたから確実に日が暮れるね。まだ、時間はたっぷりあるから焦らずにやろう。随分と使われてなかったから床が傷んでたり、破損個所があるかも。頭数が少ないから怪我だけは避けないと」
「確かに君の言う通りだ」
ランディが引っ張り出した掃除用具の中から木製の水桶を二つ手に持ってルーは、外へ出た。その間にランディは、椅子を移動させて竈付近まで寄ると、同じ様に天井を叩く。
ルーが木桶に水を入れて詰所に戻って来ると、ランディも既に別の個所に移って居た。
「へっくしゅっ!」
「埃が凄いね」
「布で鼻と口を覆っていても貫通して入って来るのではと疑ってしまうくらい、凄い。実際は、隙間から入って来てるだけなんだけどね」
「見てるこっちまで目がやられそうだ。後で顔を洗いに行こうか」
「そうだね。本当は、湯あみをしたいくらいだけど」
「君は、全身に浴びているから……申し訳ないけど、我慢して」
「分かってるさ」
髪に付いた埃を払いながらランディは、不満を漏らす。一方、煤で手を黒く染めながら竈を雑巾で拭くルー。少しの間、黙々と作業に集中する二人。炊事場も磨き上げて先に終わったルーは、木桶の水を外に捨てランディの進捗を確認する。ランディも既に作業の終わりが見えており、追い込みに入って居た。
「こっちは、炊事場と竈が終わったよ。どっちも閉鎖される前にある程度、綺麗にしてあったから助かった。外の煙突を見て来る。裏手に小さい奴が恐らく、蓋がされてる筈だ」
「助かる。俺もあと少しで終わるから次は、備品と床だね。壁は……何か不都合が出た時にやろう。少なくとも直ぐに問題は起きないから」
「最低限、天井から埃が降って来たり、床の埃が舞い上がらなければ良いと思う。壁は、僕が床をやる前にはたきで軽く払っておくね。後は、換気をしていれば、この埃っぽい臭いもマシになるでしょ」
木桶を重ねて隅に置き、ルーははたきを手に軽く壁の掃除を。天井が終わったランディは、箒へ寄り掛かりながら左手で己の右肩を揉む。長い間、腕を上げ続ける作業で肩や腕には相当の負担が掛かっていた。そんな折に少しずつ溜まる疲労も背中を押し、段々と仕事の効率化と言う名の手抜きを模索し始めるのは、人間の性。
「乾くのが早いなら床に水をぶちまけてブラシで終わらせられるんだけどなあ」
「無理、無理。乾ききらなくて目につかない所から苔が生えたり、黒ずんで来る」
「大人しく掃き掃除してモップがけか……手間が掛かる」
「備品の掃除も同じさ。僕だって外に出してまる洗いしたいけど、運ぶ手間を考えたら大人しく雑巾とはたきで頑張るしかない。乾くまで外に置きっぱなしも出来ないからね」
「長椅子だけは、外で叩いた方が良いかも。クッションに座ったら舞うね。運ぶの手伝うよ」
ルーは、同じ様に自分の分担でも手抜きをすれば、弊害があり、手を出せない状況であると説明し、諭す。一度嵌ってしまった泥沼から這い出るのは、容易でない。
「僕たち、掃除を生業として会社を立ち上げても良いんじゃないかな? 多分、儲かる」
「精々、家の掃除の延長線上で侍女や使用人の真似事にもなってないから無理だよ。まあ、万が一でも可能性があるとしたら俺たちが女装する手だ。勿論、ヘンな好事家に捕まって雇われるくらいが関の山だね。少なくとも君が望んだ結果にはならない」
「己の矜持を失ってまで取り組む事業ではないね」
容赦なく、現実を突き付けて来るランディにルーは、肩を竦める。勿論、どちらも本気で言っているのではない。互いに詰まらない冗談を言い合って場を和ませるしかなかった。
「無い袖は、振れないのさ。そもそも、此処が良いって俺たちが言った事だろう? それなら、最後まで自分達でやらないと。役場なら掃除の必要はなかったからね」
「思わぬ弊害って奴かな……いや、正確には自由の代償か」
「自分達で手入れをすれば、愛着も湧くさ。何の思い入れも無い会議室を宛がわれても落ち着かないし。君が言った通り、此処なら俺たちが自由に出来る」
「そうやって自己暗示をして僕らは、大人になって行くんだね」
「他人に意義を押し付けられてやるよりも大分、マシだよ」
「君も右を向けって言われたら左を向いちゃうタチだね」
「寧ろ、どっちにも向かない……俺が見据えている前こそが全てだ」
唐突に黙り込んで只管、箒で床を掃くランディ。その表情は、何故か浮かない。
ルーは、空気を読んでゆっくりと問い掛ける。




