第傪章 ケーキと狼の王 1P
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依頼を受けたその日の内にケーキ作成の手解きを受けるべく、ランディは双子を連れてフルールのもとへ。結果から言えば、二人の懸命な嘆願の前には、フルールでも首を縦に振るしかなく、いとも簡単に調理の手順を手に入れる事が出来た。
そして、双子の依頼を受けた日から十日過ぎたある日の午後。ランディは、役場近くにあると以前から教えられていた詰所へルーの案内で向かっっていた。
後、三日過ぎれば、祭りの初日。からっと晴れた少し汗ばむ陽気の中。町は、祭りの色に染まりつつある。既に櫓と篝火の準備も整い、期待に胸を膨らませ、浮かれた雰囲気の町民たちを尻目に簡素な作業着姿のランディとルーは、きびきびと歩く。二人の目的地は、役場より南西にある古ぼけた建物。そこが嘗て詰所として使われていたのだ。大通りから外れ、小さな通りに面している。
皆から詰所と呼ばれているその建物は、赤い煉瓦造りの三階建て。造りからして比較的、新しい建築物の筈なのだが、人の出入りが少なく、手入れが行き届いていない為、以前の礼拝堂程ではないが、劣化が進んでいる。建物の上部は、日焼けで色が薄くなっており、外壁も全体的に砂埃が酷い。土台の隙間から雑草が顔を出している。一階の窓から中を覗こうとしても埃で曇って居てよく分からない。なかなかに酷い有様を目の前にして二人揃って腕を胸元で組みながら唸る。
「さて―― 今日の僕らがすべき事だけど」
「取り敢えず、掃除だね。終わって余裕があれば、三日間の割り振りを考えよう」
「割り振りは、三人だから焦らずとも直ぐ終わるさ。要望さえ言ってくれれば、僕が組むし。寧ろ、思った以上に此処の様相が酷いから今日で終わるか心配」
「二人も居れば、流石に終わるよ。言われた通り、掃除だけやりましたって報告するのも……ね。心苦しいものがある」
「君は、特にブランさんのお気に入りだから気をつかって顔色を窺わなくても大丈夫」
「そう言うものかね」
「自分を安売りするものじゃないさ」
今日、二人が此処へ来た目的は、詰所を最低限、使える様にする為の整備。開催までの日数を考えれば、遅い気もするが、予定が噛み合わず、無理を言って時間を作ったのが事の次第。本格的な作業を前に二人は、話をしながら軽く体を解す等、準備を始める。
「何だかんだ言って今は、時間が余ってるから無駄に浪費するのも……ってね。今日も俺は、レザンさんから自警団の仕事が終わったら後は、自由にして良いって言われてるんだ」
「君は雇い主に恵まれて素晴らしいね。思わず、転職と言う文字が頭を過ぎったよ。生憎、僕の職場は、成果主義じゃなくて時間で人を縛っているんだ。これが終わっても自由な時間はないのだよ。自分の仕事は予め、調整しておいたけど、業務も山積みで人手が足りない。僕に余裕があると知れば、喜々として皆がこき使うよ」
「如何やら余計な事を言ってしまったみたいだ……聞かなかった事にして」
乾いた声で笑うルー。生気を失い、虚ろな目で遠くの空を仰ぐばかりでランディを見ようともしない。思わぬ所でルーの忌諱に触れてしまい、ランディは居た堪れなくなった。よくよくルーの顔を眺めてみれば、目の下には酷い隈があり、少し痩せたのか、頬もこけている。
「レザンさんのさじ加減は、ばっちりだからね。欲張って儲けようとか、事業拡大を考えてないし。まあ、あの歳になってから精力的に活動するのも無理があるか」
「レザンさんは、必要な時に必要な分だけって言うのが、持論なんだってさ。過剰な勤仕やおまけは、御法度。忙しいのは仕方がないけど、わざわざ仕事を増やして忙しくしない。後は、無理な要望は突っぱねる事が長く続ける秘訣なんだって」
「レザンさんらしいお言葉だ。今のご時世、そんな持論を突き通せる人、なかなかいないよ」
肩を落とす友人を見て如何に自分の環境が恵まれていたか、ランディは痛感する。せめてもの弔いに胸元のポケットから煙草の箱を取り出し、一本、ルーへ差し出す。無言で受け取ったルーは、火を付けて一服。何の慰めにもならないが、ちょっとした現実逃避にはなる。
「尚更、話を蒸し返すようで悪いけど、君が役場に戻るのが辛いなら尚更、割り振りで時間を潰せた方が楽だと思うけど?」
「午前中も頭を使ってるし、これが終わってからも頭を使うから。過剰な負荷が掛かっていっているから少しでも休ませてやりたいのさ」
「左様ですか……」
ランディの提案に煙草をふかしながら首を振るルー。これ以上、ルーの仕事事情に触れても良い事は無いと考えたランディは、話題を変えようと、詰所へ視線を向ける。
「使い勝手は、悪くないと思うけど……お世辞にも綺麗とは言えないね」
「贅沢は、言えないさ。当初の予定だと役場の空き室を使う予定だったんだ。でも僕は、嫌だったからずっと前から使われていない此処をブランさんに提案して変えて貰ったんだよ」
「随分と極端な話だね。確かにその二択なら俺もこっちを選ぶ」
「君も衆人環視のもとではやり辛いでしょ? 幼少の頃、家で宿題をやっている時と似た感覚に陥るんじゃないかな。それに役場は、一部の部屋以外、錠がないから突然、誰かが入って来る可能性もあるんだ。だから恐ろしくって雑談や猥談の一つも出来やしない」
「そう言った利点を踏まえるならこっちの方が助かる。早速、中に入ろう」
「室内の状態が気になるね。鼠や虫の住処になってるかも。そうでなくとも雪の様に埃が積もっているに違いない。長い間、使われてなかったから片付けは、骨が折れるだろう」
煙草を吸い終えたルーは、徐に自分のポケットから鍵を取り出すと、詰所の扉を開けて中に入って行く。続いてランディも詰所の敷居を跨いだ。建物の内装は、一言で言い表すならば、簡素。天井は、木造。強度を強める為か、木製の柱が部屋を等間隔で横切っている。床は、赤茶色のタイルが敷き詰めてあり、奥には、二つの扉と隅の方に申し訳程度の炊事場と小さな竈が設えてあった。そして壁際に椅子や机、棚などが寄せられており、幾つか木箱が乱雑に放って置かれていた。乾いた土の臭いと埃臭さが鼻をつく中、ランディは、腰に手をあてながら薄暗い室内をざっと見渡す。
「此処が我らの新しい拠点さ。どうだい? 立派なものだろう」
「思ったよりも広い。でも持て余しそうだ。この一部屋だけかい?」
人が立ち入って活動する用途で建築された建物には見えないと言うのが、ランディの第一印象。間取りは、広く取られているものの、著しく、阻害される訳でもないが、気の利かない所が多数ある。
「奥に小さな部屋が二つある。元々は、備品の倉庫だったから。一部屋だけなのは、その名残だよ。柱が目立つ所にあるのも利便性を追求していないから。この建屋は、三階建てだけど他の階は、役場の備品や祭事で使う用具を仕舞う倉庫になってるんだ」
恰もランディの考えていた事を見透かしていたかのようにルーは、補足で建てられた経緯を付け加える。ルーからの説明を受けてランディも合点がいく。
「なるほど……因みに手洗い場は?」
「当然ないよ。辛うじて炊事場と、竈だけは、後付けで備え付けてある。もよおしたくなったら役場に外付けしてあるお手洗いに駆け込むしかない」
「仕方ないね。汲み取りの管理とか、使う頻度が少ないから俺たち二人で出来ないし」
「同様に管理が難しいから暖炉もない。これは……何方かと言えば、建物の構造上の話か。何にせよ、冬場は、本当に冷え込む。住居用の建物じゃないからさっきも言ったけど……性質上、利便性は、著しく欠けてしまうね」
「そうなると、冬は持ち運びの出来る火鉢を調達すれば良いかな?」




