第貳章 双子からの依頼 9P
「感傷に浸る人だと思ってなかった。びっくり、大発見」
「私とて、人だ。時には、在りし日の出来事へ思いを馳せる事も在るさ」
「それは、ランディくんが居たから?」
「どうだろうな?」
「ああ、オウルさんもランディくんから目を離せなくなったみたい。本当にズルいな、あの子。するっと、他の人の視界に入り込めちゃうんだもん」
シトロンは、荒っぽく椅子へ腰かけて足を組み、机に肘を付けてそっぽを向く。そんなシトロンを見てオウルは、微笑みながらランディと同様に三つ目のグラスへ酒を注いでシトロンに渡した。受け取ったシトロンは、一口飲んだ後、ぐっと目を瞑って耐える。少し間を置いてから懲りる事無く、シトロンは、グラスの中身を一気にあおる。
「ほう……君が嫉妬する姿を見る日が来るとは」
「嫉妬じゃないわっ。あの子が私にとって想像を超えたナ二かで……分からなくて怖いの。だって、あの子の周りの人は……どんどん変わって行くんだもん。レザンさん……不愛想が足を生やして歩いてる様なヒトだったのに笑う所……見るのが多くなった。ブランさんだっていっつも暇そうにしてたのに……最近は、楽しそうにしてる。ラパン、ルー、エグリースさん、ルージュ、ヴェール。それに……フルールも。例を上げれば……暇がないよ」
酒の所為で涙目になったシトロンは、悔し紛れにぽつりぽつりと本音を呟く。冷静さを失いつつあるシトロンに次の酒を注いでやるかオウルが迷っている間にシトロンが酒のボトルをオウルの前から掻っ攫い、手酌で注ぎ始める。此処が彼女の自宅であるが故、帰りの心配は無用。だからオウルは、好きにさせてやった。肩からカーディガンがずれ落ちるのも気にせず、机の上の冷めたつまみを口へと詰め込みながら肩を落とすシトロン。その姿を見てやはり、人の本質が如何に難しいか、オウルは噛みしめる。
思った以上にランディの立場は複雑である事を知る。思わず、此処で真実を告げてしまいそうになる所であった。しかしながら告げた所で解決する問題でもない。唯一の解決策は、ランディとシトロンがぶつかり合って理解を深める事。ならば、単純な近道を指し示すのではなく、その背を押してやるのが先達の仕事だ。
何よりもブランの言葉の意味がやっと分かり、他の者の驚きを奪いたくなかった。
「少なくとも君が恐れる必要はない。安心しなさい。君の居場所は、絶対に壊れない」
「また、小娘扱い?」
ボトルを胸の中で大事そうに抱えながら三杯のグラスを片手に身体を揺らし、虚ろな瞳で問い質してくるシトロンへオウルは、告げる。
「なら、君もどっしりと腰を据えて彼へちょっかいを掛けて見なさい。そうすれば、誰も変わっていない事が直ぐに分かるだろう。此処で燻っているよりもずっと良い」
「―― 検討してみます」
ボトルを机の上に戻しながら渋々、頷くシトロン。そのまま、机へと吸い寄せられるようにコトンと俯いて静かに寝息をたてる。オウルは、シトロンが手放したボトルの中身を確認し、呆れた。思ったよりも少なくなっていたのだ。しかしながら減った量では潰れるにはまだ早いくらいだ。恐らく、離席している間、祝勝でしことたま酒を驕って貰ったのだろう。
最後のとどめでウヰスキーを煽れば、潰れるのもいた仕方がない。
結果的には、シトロンへ最後の一押しをする役となって己が懸念していた問題を加速させる形となり、オウルに少し後悔が残る。されど、友人との語らいや色恋沙汰に現をぬかすのが若者の仕事であり、その手助けをしたと思えば、悪くはない。
『彼には少々、悪い事をしたかもしれんな……』
そう心の中で呟き、グラスを片手にオウルは、ランディの帰りを静かに待つのであった。
*
次の日の朝。ランディは、椅子に座りながらカウンターで突っ伏していた。机の上に丸まって鎮座する黒猫と共に店番の最中。昨日、騒いだ所為もあって目元の隈と寝癖の残る髪型など、疲れの色が隠しきれない。シトロンが潰れた後、ウヰスキーを二、三杯酌み交わした後、お開きとなり、二日酔いにはならなかった。思っていたよりもオウルと話が弾み、以前よりもずっと打ち解けられ、ランディにとって良い機会となった。
「ユリイカ。君もいつの間にか、ふらっと戻って来たよね。マルが引っ越してから」
ランディは、隣で怠惰を貪る黒猫の背をゆっくりと撫でる。暫く、余裕の無い日々を過ごして居たランディにとって黒猫との戯れも久々の出来事。ましてや、仔犬が住んでいた時には、猫も一切、店へ近寄る事がなかったので尚更。最初の頃には、毛先の一つも触らせてくれなかった猫もランディを見慣れた景色の一つと認識したのか、触れる事を許された。
実際の所は、暇な時に袖の下として乾燥させて細かく砕いた虫えい果をこそこそ与えていたお蔭が強いかもしれない。猫と共に窓から差し込む陽光を眺めながら胸いっぱいに埃臭い空気を吸う。ランディにとっては、の一日の始まりだ。朝の時間帯は、客も疎らで忙しなく動く必要もないから多忙な昼過ぎまでに疲れを癒して万全な状態に体調を持って行けば、良い。そんな甘い考えで一日の計画を立てていた矢先。突如、扉のベルが鳴り、来客をランディに知らせた。黒猫と共に姿勢を正してランディは待機。
「いらっしゃい。ルージュちゃん、ベル。二人共、朝早くから珍しいね」
カウンターへ向かって来る双子の姿が見え、ランディは笑顔で出迎えた。猫も机からするりと飛び降りると、双子のもとへ向かい、足へ頻りに背中を擦り、挨拶をする。そんな猫をヴェールは、屈んで抱き締めると、頭を撫でた。
「おはようございます、ランディさん。今日は、買い物ではなく……」
「いきなりだけど、おねがいがあって来たんだっ」
「お願い? 詳しく聞かせて貰おうか」
普段なら暇つぶしの雑談やおつかいで来るのだが、如何やら今日は別の用事があっての来店らしい。二人とも険しい表情を浮かべ、只ならぬ雰囲気を漂わせており、状況は切迫している様子。単刀直入に用件をきりだされ、ランディは戸惑うも一先ず、話を聞く事にした。
「ランディさんは、知ってる? おまつりで父さんのたんじょうびをいわうの」
「大丈夫、ルーから聞いているよ。もしかして困っているのは、誕生日の贈り物かな?」
「そうなんです。さすがです、ランディさん!」
「ルージュちゃんがほぼ、答えを言っていたからね」
当人たちにとって切迫した問題であるのだろうが、ランディは、肩透かしを食らう結果となった。猫を撫でるヴェールとカウンターに突っ伏したルージュの前でランディは、ゆっくりと立ち上がり、伸びをする。如何やら予定は、変更しなければならない。一度、奥の居間へ茶の準備をして店へと戻り、二人分の椅子を準備して双子の話を聞く事にした。
「まいかい、ふたりで考えてわたしているんですけど。ことしは、ケーキを作ってわたしたいってことになったんです」
話を切り出したのは、胸に抱えていた猫を太腿の上に乗せて撫で回すヴェール。ルージュが目の前の紅茶のカップへ手を掛けながら続く。
「でも、わたしたちだけで作ったことないんだ」
「なるほど……町の方々は仕事で手が離せないから俺を頼って来てくれたのかな?」
「ヒマそうだからね」
「こらっ! ルージュ!」
ランディに遠慮なく訳を説明してヴェールに窘められるルージュ。事実なので指摘されてもランディは、痛くも痒くもない。丁度、手持無沙汰な時間が多くなっているので暇つぶしには丁度良い。それに町のごたごたに巻き込まれないで祭りの様子をつぶさに観察できる良い機会だったので寧ろ、在り難い申し出だった。
「いやいや、君たちが頼ってくれるのが嬉しいんだ。もっと、頼りになるヒトが君達にはいっぱい居るだろう? その人達を選ぶのではなく、俺を選んでくれたって事がさ」
「そっ、そうです! ランディさんしかいなんです」
「ランディさんもそうとう、あたまヤラれてるよね。ほんとにひまなひとってわたしたちから思われてるのに。それで良いの? こけんってやつにかかわるよ?」
好意的なランディにヴェールがほっとしたのも束の間。ルージュの追撃によりヴェールの気が休まる暇がなくなった。了承する心算で言っていたのに何故、頼まれる側から掌返しをされ、困惑するランディ。先程からぐうの音も出ない正論を言われ、手も足も出ない。
「いや、他にどう言えば良いのさ……そんな心算はないけど、俺が臍を曲げたらそれこそ、君たちが困るだろう? これでも考えているんだよ?」




