第貳章 双子からの依頼 8P
「さてと、間の抜けたランディくんも見たし。勝った分をちょうだいしに行かねばっ!」
「……末恐ろしい話だ」
散々、弄ばれたランディは、残った麦酒を飲み切り、いつの間にか食卓に置かれていた三杯目に手を出して三口でそれも飲み干してしまう。そして額に手を当てながら落ち着きを取り戻そうと躍起になる。所詮は、感情の揺らぎと言う一つの事象に過ぎない。これが本気で熱を入れている意中の相手ならば、話は別だが。一時のつり橋効果の様な出来事でほだされるほど、ランディも初心ではない。
「言われずとも分かって居ます。彼女の恐ろしさは……以前、その片鱗を見せつけられました。それに常日頃からこの町の女性の強かさを目にしております。程良い距離の関係性と言うものを心掛けていますよ。寧ろ、この程度で動揺する自分が情けないくらいです」
「それを聞いて安心した。まあ、別の心配も出て来そうだが、君なら大丈夫だろう」
「心配って何ですか?」
「先ほど、あの子が私と交わした会話。あれは、見栄だ」
「分かっています。本心でない事は」
「ならば、私が懸念している事も分かるだろう?」
オウルの意味深長な問いに短くなった前髪を弄りながら暫くの間、考えるランディ。
その間にオウルの手元へウヰスキーとショットグラスが三つ届いた。オウルは、ウヰスキーをショットグラス三つの内、二つだけ注いでランディに渡す。会釈して受け取り、香りや味を楽しむことなく、一気に飲み干す。良い気付け薬を貰って浮ついた思考が消え、頭が冴える。そして徐にポケットから煙草を取り出すと、火をつけてランディは、一服。
やっと、考えが纏まり、言葉を捻り出すランディ。
「彼女の本質が俺の理解が及ばない所にある事ですかね?」
「中らずと雖も遠からず……だな。あの子の本質と言う言い方が、正しいかは知らん。けれども発した言葉の裏側には、漠然とした将来への不安や己の力を試したいと言う自己顕示欲。色恋云々等、沢山の背景があるだろう。まっこと、若者とは忙しい生き物だ」
オウルは、ゆっくりとウヰスキーの香りを楽しむ。ランディが煙草を差し出すと、オウルは一本、受け取り火をつける。二つの紫煙が立ち上る中、ランディは一向に答えが見えず、頭を捻るばかり。オウルは、静かにランディのグラスへ酒を注いだ。
「それとオウルさんの懸念にどのような交わる点が?」
「如何せん、時宜と仲裁の仕方が良かったのだ。これで君は、シトロンにとって有り触れた風景の一部でなくなっただろう。君の話を聞いて価値観が近い相手だと分かった。つまりは、良くも悪くも対等な立場として目を付けられたに違いない」
「こほっ! まさか、そんな訳が――」
予想外の展開で咽るランディ。
「これまでは、愛想を良くする上辺だけの間柄だった。けれど、これを機に多少の事をしても壊れない玩具に認識が変わったと言うべきだろう。君は、タチの悪い猫に目を付けられた」
「そう言う事ですか……ならば、経験があるので大丈夫です」
「既に聞き訳のない末恐ろしい大山猫が君の頭を容赦なく、齧っているからな。だが、行儀の良い家猫もそれはそれで抜け目がない。努々、油断をしているといつの間にか、足元を掬われている事も十分にある。今日が良い例だ」
「安易に気を付けますとも言えませんね」
「この場での正しい返答を教えよう。正解は、『楽しむ』だ」
オウルに諭され、ランディはぎこちなく笑みを浮かべた。この町に来てから耳に胼胝ができるくらい、聞いた言葉だ。段々とランディも板についている。
「頑張って楽しみます」
「宜しい」
じっとランディの顔を見つめるオウルは、不意に耳飾りに視線を向ける。今まで髪が長かったので気付かなかったのだろう。
「ふむ。改めて髪を切ったから気付いたのだが。君が耳飾りをしているとは、知らなかった」
「確かに分かり易くなりましたね。これは、父から譲り受けたものです」
「ほお、少し見せて貰っても構わないかね?」
「はい、どうぞ」
「っ!」
ランディから耳飾りを受け取り、手の中で転がしながら耳飾りを見ていたオウルは何故か、目を見開く。少し空気の流れが変わったのを肌身に感じたランディは背筋を伸ばす。
「蒲公英の花……で、間違いないかね?」
「そうですね。何故、あの花を模っているのか。理由は知りませんが」
「君はさっき、父上から受け継いだと言っていたが……父上の名前を聞いても? これに似たものを以前、見掛けた事があったから知り合いかもしれん」
「ええ、大丈夫です。父の名前は――」
ランディから父の名を聞き、一拍置いてからオウルは、笑顔で耳飾りをランディに返した。
そして、首を横に振る。
「―― 如何やら私の勘違いだった。知り合いではないみたいだ」
「残念です。父は、自分の過去を語りたがらないので。もしかしたらと思ったのですが」
「役に立てず……済まない」
「いえ、お気になさらず」
そもそもランディ自身、父親の出自が気になって調べた事がない。だから特段、気落ちする訳でもない。但し、以前にもあった違和感が少しだけ残った。未だ、その違和感の正体は、見当もつかないので今はウヰスキーで流し込み、忘れる。
オウルは、心此処にあらずと言った面持ちでウヰスキーのグラスを手で転がしながら上の空だ。その様子を見て心配になったランディは、オウルへ問い掛ける。
「如何なされました? 体調が優れないご様子ですが……」
「少し、酔ったかもしれん。年は、とりたくないものだ。そうか……私も年をとったものだ」
「お水、頼んできます!」
「ありがとう」
ランディの背を見送りながらオウルは、背凭れに寄りかかり、大きく息を吐く。それまで隠していた緊張感が一気に抜けている様に見えた。
「そうか……そう言う事だったか……どうりで二人して詰まらぬ隠し立てをしていた訳か――いや、一番詰まらないのは、今まで少しも気が付かなかった私だろうな。明日、問い質さねば。この様子だと、あの二人以外は、気付いていないだろう」
ランディが席を立って水を取りに行くのを見届けたオウルへ動揺が一気に押し寄せる。
様々な感情にオウルは苛まれる。その中でも一際、大きかったものは。
「どうしたんですか? 珍しくご機嫌」
配当を受け取り、ほくほく顔で席に戻ったシトロンの前にとても満足気に笑う不気味なオウルが居た。何があったか分からないシトロンは、困惑した。
「酒場で機嫌が悪いものなど、居る筈がない。そうだろう?」
「いいえ、何時もよりずっと楽しそう。そんなオウルさん、今まで見たことがないよ。何でそんなに上機嫌なんですか?」
「久々に美味いウヰスキーを飲んだからだな」
そう言うと、オウルは、シトロンへグラスを掲げて見せた。明らかな誤魔化しにシトロンは眉間に皺を寄せる。この雰囲気では、どれだけ懐柔しても口を割らない。古くからオウルを知っているので普段ならシトロンもこれ以上、話題には触れなかった。けれども今日は、状況が違う。明確な異例が作用し、搔き乱している。そして、それには何か秘密がある事も。
「嘘です。ウチで出してるのは、高いのも安いのも市場で広く出回ってるのだけ。オウルさん、あんまり出回ってなくてたっかいお酒を皆にヒミツで持ってるの私、知ってるんだから」
「君が知っているなら秘密でも何でもないだろう? 第一、私は敢えて公言していないだけだ。隠していない。自慢をしているみたいで恥ずかしいのだ」
「これ以上、聞いても答えてくれなさそうだから止めときます」
「場の空気にあてられて思い出に浸っていただけなのだ。深い意味は、無いよ」




