第貳章 双子からの依頼 7P
やりこめられたシトロンは、頬を膨らませて拗ねる。オウルは、口を挟んだランディをじっと静かに見つめるのみ。されど、何か引っかかりを覚え、困惑している様にも見えた。
「違うさ。道を歩けば、十人中、十人が振り向くくらいに君が可愛いと俺は、思う。そして、魅力的だ。手放しで俺が保証するよ。でもオウルさんを掻き立てるのは、奥様だけって事」
「はいはい、のろけ話ってワケね。羨ましい、羨ましい」
「長年、花壇で手塩に掛けて育てた花が美しいと感じているんだよ。オウルさんは」
「奥さんの事?」
未だ、納得が行かないシトロン。ランディは、麦酒を飲んで恥ずかしさを押し殺し、思い切って語る。この場を無理やり収めるには、ランディの十八番となりつつある青臭さと羞恥心の合わせ技を使わざるを得ない。
「いや、夫婦って関係だよ。二人で紡いだ大切なものがオウルさんを突き動かしているんだ。とってもじゃないけど、女性の美に甲乙はつけられないね。誰もが気高く美しいから」
「ああー、鼻持ちならない言い方。ランディくんってそう言う感じの人だった?」
「フルールにいつも煙たがられているよ」
「ランディくん、ゼッタイにモテないわ」
「言われずとも自覚しているさ」
肩を竦めてやり過ごすランディ。最早、言われ慣れた。途端に興味を失ったシトロンは、黙って串焼きと格闘を始める。小さな口をもごもごと動かすのを見届けながらオウルが閉じていた口を開く。
「つくづく思う。キルシュが羨ましいな。喜怒哀楽に富んだ愛らしい娘たちが居れば、さぞ賑やかだろう。それに比べてうちの馬鹿息子は……」
「オウルさんもそれくらいにして下さい……」
「老いては子に―― いや、違うな。老いては、若人に従うとしよう。言い得て妙だな」
ルーの皮肉屋な所は、どうやら父親似らしい。助っ人に恵まれず、一向にランディの気が休まらない。疲れ切って目頭を揉むランディを見てオウルは、気晴らしも兼ねてとある提案を持ちかけてやる事にした。
「話は、変わるが―― 君の腕っぷしには目を見張るものがある。実際、どのくらいだろうか? 私も多少は、自信があってな。是非とも手合わせを願いたい」
「何だか、気恥ずかしいのですが……御所望とあらば」
「おおーやろう、やろう。ランディくん、やっちゃえ!」
「明らかに私怨が入っているよ、シトロン……」
「何の事? 私、わかんない。それよりもあそこの机が空いてるから。あそこが良いよ」
シトロンに勧められ、徐に立ち上がると、場所を変えて互いにシャツの袖を捲り直す二人。その間にシトロンは、備え付けられている椅子を片付けた。勝負事と聞けば、黙っている者は、いない。ランディとオウルの一騎打ちを聞きつけて俄かに騒々しくなる店内。
「なんだ、なんだ?」
「面白そうな事、やってんじゃねぇか!」
「オウルに二だ!」
「坊主に三!」
「オウルさんに八マイセ!」
「シケた金額出すなよ。オウルに二だ」
「よし。集めろ、集めろ!」
いつの間にか、賭けが成立し、元締めが金を集めて勘定を始める始末。観客が集まるにつれて熱気が高まるのを肌身に感じる二人。思っていた以上に大事となり、嫌でも好奇な視線に晒される。緊張しながら表情を硬くして首を回すランディ。対してオウルは、面倒臭そうに溜息を吐きながら大きく肩を回した。
「配当率は……オウルさんが一で坊やが三だな。中々、良い塩梅じゃねえか」
「さあ、始めてくれっ!」
「勝手な事を……まあ、良い。では、手合わせ願おうか」
「宜しく、どうぞ」
足を広げて中腰になり、肘を机に立てて互いに相手の片手を握りって組む。酒で血行が良くなり、熱を帯びている組んだ手に審判の役を買って出たシトロンは、冷たい小さな両手を重ねてランディとオウルに目配せをした。どちらも腕の太さを同じくらいだ。恐らく、勝敗が読めないくらい拮抗して良い勝負となるだろう。
「ご両人、一本勝負で恨みっこはなしよ? よーい、はじめっ!」
「ぐっ!」
「はっ!」
シトロンの合図で互いに腕へ力を込めるランディとオウル。腕の血管が浮き、表情にも必然と力が
入る。最初は、どちらも譲らず。目を瞑って耐え、腕を振るわし、どちらも譲る事無く、腕は傾かない。盛り上がる外野から様々な野次が飛んだ。
「坊主、頑張れ!」
「オウルさん、粘ってくれ!」
「っ!」
「んぬっ!」
長期戦に入り、次第に振れ幅が大きくなって行く。最中、気を抜いたランディが劣勢に立たされる。勢いづくオウルに押されて段々とランディの手と机の距離が近づいて来た。揺らぐ己の心を必死に歯を食いしばって押さえつけ、ギリギリの所で踏ん張っているけれど、何時まで持つか分からない。
「坊主っ! 頑張ってくれ。お前が負けたら飲み代が寂しくなる!」
「オウルさん。今月の小遣い、全部賭けたんだ!」
「良い勝負じゃねーかっ!」
「実を言うと、私もランディくんに掛けてるんだ。頑張ってくれるよね?」
野太い叫びの中、ランディの耳元へそっと一陣の風がそよいだ。シトロンの耳打ちで身に力が入ったランディは息を吹き返す。瞑っていた目を見開き、残りの力を振り絞った。今度は、オウルの手が机の方へ吸い込まれる番だ。勝利を確信していたオウルは、驚愕する。まさか、この期に及んで戦況をひっくり返されると思っていなかった。最後の悪あがきも通じず、勝利の女神はランディに微笑む。
「勝者、ランディ!」
高々に響くシトロンの声。
「いや、参った。完敗だ」
「いえ、辛勝でした」
額の汗を拭うランディへオウルが手を差し出す。固い握手を交わして互いの健闘を褒め称える二人。周りの観衆は、身勝手なもので既に二人への興味をなくし、離れた所で金の受け渡しが始めていた。喚起に沸く者も居れば、負けがこたえて言葉が出ない者も。
「よっしゃあ!」
「うわああ……最悪だ」
「さあ、配当だ! 皆、集まれ」
現金な観衆を前に肩を竦める二人。一先ず、自分たちの席へと戻り、椅子に座って酒で喉を湿らせていると、遅れてシトロンも戻って来た。
「盛り上がったねっ。二人共、お疲れさまでした」
「労い、どうも」
「久々に心が躍った。偶には、良いものだな」
「イマイチ、お客さんも盛り上がりに欠けてたから助かったんだ。勝った人は、羽振りが良くなるだろうから売り上げも増えるよ。ありがたや、ありがたや」
何処まで計算づくであったか。それはシトロンのみぞ知る。商魂逞しいシトロンにしてやられた二人は思わず、無言で顔を見合わせた。
「ランディ、おめでとっ! そうだ……勝った人には、ご褒美がつきものだよね?」
「何だい? 一杯、奢って貰えるのかな」
「それよりもう少し良いのをあげるよ」
「えっ?」
すっかり油断していたランディの頬にシトロンの口づけがそっと添えられる。完璧な不意打ちに驚いたランディは、口を大きく開けて思わず、持っていたジョッキを落とし掛けるくらい呆けてしまう。情けないランディを見てオウルは、にやりと笑った。
「羨ましい限りだ。君も隅に置けないな」
「かっ、からかわないで下さい! 君も普段は、思わせぶりな事ばっかり言ってるのに―― こういう時には、こっちが思いもしない事を……」
オウルにからかわれてしどろもどろになるランディ。
「どきどきした?」
「正直に言ってかなり……」
「どっきり、大成功だね。私も飴と鞭の使い方は、心得ているんだよ?」
頬に手を当てながら科を作るシトロンにランディは、お手上げだった。脱力しきって椅子へ深々と寄り掛かったランディを見て満足したのか、シトロンは立ち上がる。




