第貳章 条件と隠し事 3P
ランディは無表情でノアの問いに淡々と機会のように答えた。二人の間には寒々しい空気が漂い、緊張が肌をちくりちくりと刺し始める。
「じゃあ、あれか。密命、諜報活動、後は変な邪推をすると貴族辺りがしでかした不正の尻拭いやクーデターのような良からぬことを考えていたりとか、グレーゾーンなことかい?」
「軍に裏取引や不正、腐敗はありません。それはこの国の民、全員が知っている事実でしょう!」
ランディはあからさまな怒気を籠った口調で噛みつく。何故ならノアがランディの琴線に触れることを言ったからだ。誰だって今まで所属していた場所を悪く言われるのは気分が良いことではない。ノアは敢えてランディの怒りを無視して更に口を開く。
「その言葉、そのまま信じろと? そりゃ、無理な話だよ。ランディ」
馬鹿にするなとノアが言った。
「確かに軍部に不正がないのは知っているよ。でも俺が本当に心配しているのはこの町に危険が迫っているのか、はたまた前みたいな大戦の火種になるようなことが起きるかどうかだ」
ランディは顔を怒りで歪め、歯を食い縛った。
「俺にも伝手はあるから知っているけど。最近、各国の情勢は芳しくない。そして君は王国にその影響が出ていないか調査をする任務できたんじゃないのかい? 王都からそれほど遠くなくて反乱分子やら他国の工作員が拠点を置きやすい此処に」
ノアは無表情で落ち着いた様子まま、相対する。
「重ねて言いますが違います。確かに、その心配は否定できませんがでも今はまだ外交と政治の方で反乱分子の活性化や他国の工作員は水際で防げており、王国に戦火が広がることは押し止められています。まだ深刻な問題は起きていません!」
と語気を荒げて反論するランディ。
『こんな男に何が分かるんだ! 皆がギリギリの所で一生懸命、頑張っているのに!』
本当は大声でこう言いたかった。でもランディはぐっと飲み込む。言葉に表してもノアには分からないだろう。されど、心の中では怒りの炎が渦巻いていた。ランディがノアを睨みつける。王都でランディは色々な人が政治や軍事、その他のことでも刻苦する姿を間近で見ることが出来た。また、自分自身もその中の一人として動いていた。それら全てを無碍にされるのは幾ら温厚な性格のランディにも許せることではない。
「安心して下さい。この国は滅びる一秒まで必ず、必ず国民を守ります。それは絶対です、過去の失敗を繰り返しません!」
ランディは一息吐くと更に話を続ける。
「そして僕……いや俺が此処、『Chanter』に来たのも偶然です!」
今度はノアが黙る番だった。これまでにない緊張が辺りを満たす。静かな睨み合いを続けるランディとノア。雪がしんしんと降り、永遠とも思えるような沈黙の中、ノアが口を開いた。
「一先ずは君の言うことを信じよう。でも何か一つでも変なことをこの町に持ち込んだら」
「……もし、持ち込んだら俺はどうなりますか?」
ノアに続きを促すランディ。
「もし君が持ち込んだ面倒事で悲劇が起きたのならば……俺は君を殺すかもしれない」
それだけノアにとってのこの町は大切な存在なのだろう。自分の大切なものの為ならば、どんなことでもすると言う覚悟がノアにはあった。
「―――― 分かりました、肝に銘じて置きます」
ランディもノアも警戒はしているが嫌な緊迫感はない。
取り敢えず、互いに納得出来る答えを出せたと言うことだ。
「それじゃあ、俺は行くよ。ランディ」
肩と頭から雪を払い、街壁から立ち上がったノアがランディに手を振る。
「ええ。またお会いましょう。ノアさん」
自分が持つ思いだけしかノアに届かず、まともな説得も出来ないまま。先に町へ帰るノアをランディは
その背中を見送ることしか出来なかった。確かにノアの言っていることは間違えではない。この十四年間、平和な日々が続いていた。でも残念ながらその平和にも陰りが出ている。前回の大戦のような大きな戦いはまだない。
しかし隣接する帝国、共和国、聖国。三つの内、特に帝国と共和国の国境では幾つかの小競り合いが起きていた。どれも下らない理由が発端だったが、大戦後に潜めていた緊張が高まって来ていると言うことだ。そんなご時世に元軍人と名乗る青年が来たのなら此処が直ぐに戦場となるとは思わないが何か起きるのではと不安が生まれるのも仕方がない。自分の行動が大事にまで繋がるとは夢にも思っていなかったランディは自身の鍛練で皮が厚くなっている手を見つめる。この手は混乱の種でもあったのだ。
「もっと慎重に動くべきだったのかもしれない……」
複雑な後悔を雪と共に残し、ランディもまた、『Pissenlit』へと戻った。
*
『Pissenlit』へ戻ったランディは朝食を少し遅く起きたレザンと用意し、食べた。そして昼頃まではレザンの仕事の手伝い。家事や春に向けての商品準備、荷物運びなど。忙しく、一段落ついた時にはノアとの会話を忘れてしまっていたほどだ。午後からは町長との面談をする為に出掛けた。町長は休みで今日、自宅にいるとのこと。農園の近くにある邸宅が目指す場所だ。
「昨日、林道を通った時にたまたま屋根が見えましたが。大きいですね」
林道を歩きながら目の前に見える邸宅を見て素直に思ったことを口に出すランディ。
「ああ。奴の家は元々、地主だからな。本当は町長なんてやらなくても食べて行けるのに『楽しそうだから』だけで引き受ける酔狂な変人だ」
ランディの前を歩くレザンは顔だけを後ろのランディに向け、何の気なしに答える。
「結構、毒舌ですね。レザンさん」
「小さな頃から知っているからな、私からしてみれば今でも生意気なガキンチョでしかない」
『Chanter』の町長の話をしている二人は一軒の邸宅へ続く林道を歩いていた。林道は農園と邸宅で二手に別れている。片方は農園に続く道、または冬の間の通り道なので人通りが多い。当然、足元は茶色、雪と土で泥濘んでおり、今も人や馬の足跡、馬車の轍が沢山ある。昨日の話だが、もう一方の邸宅へ続く道は人通りが少ないので白い雪が残ったまま。どちらの道も木々が音を吸っているからか、町の喧騒は聞こえず、静かだった。
空は朝の曇りが何処かへ消え、青空が広がり晴れている。寒いのだが青空の所為でランディたちは少し暑苦しさを感じていた。ゆっくりと歩いて白い雪に足跡を残しながら林道を歩き、二人が辿りついたのは一つの邸宅。ツタが絡む大きな塀。ランディの背よりも二倍以上ある塀に囲まれた庭と邸宅がある。邸宅は古くとも格式の高さを感じさせるハーフチェンバー様式。別名、半木骨造とも呼ばれている。白壁が目立つ建物で木製の梁や柱などを露出させている。今となっては石造建築に移り変わったので主膳が出来る者はいるが木造建築専門の大工は多くない。それもこれも、大戦により徴集兵で男の大半が駆り出されたことで多くの技術が失われたことから起因する。
元々、大きな建物は特に絶対数も少ないのだが戦火で多くが燃やされてしまい、国境から離れた地に少しだけ残っているだけ。値段などは簡単につけられない。多分、ランディには一生無縁だろう。
「門番がいない……」




