第壹章 祭りを開催するにあたっての諸注意 7P
「うん? あれは……間違いない」
通りを歩いていると、顔見知りを早速、見つけた。仕事用の制服姿に白髪をハーフアップで纏めた若い女性だ。腕に買い物用の籠を下げている。ランディは、その後ろ姿目掛けて小走りで駆け寄った。
「セリュールさん、こんにちはっ!」
「えっ?」
「マルも居たのか。元気かい? この前は、本当にすみませんでした。折角、引き取りにいらっしゃって頂けたのに挨拶も出来なくて―― 本当にありがとう御座います」
「……すみませんが、どなたでしょうか?」
ランディが声を掛けると、セリュールは、振り向いた。胸元には、仔犬がしっかりと抱きかかえられている。仔犬は、呑気にランディへと高い声で吠えて暴れ出す。セリュールは、暴れる仔犬を強く抱き留めながら警戒を強める。まるで、初対面の人物と相対するかのように。いや、見ず知らずに者がいきなり親しげに話し掛けられ、怪しんでいると言った方が正しいか。いつも以上に冷たい態度で察しがついたランディ。恐らく、ランディであると、認識されていない。以前にも似たような出来事があったのでランディは、落ち着いて対応する。
「あれ、分かりません? ランディです」
「仰っている意味が……もしかして散髪を?」
「そうなんです。さっき、ペーニュの所へ切りに行って来ました」
「成程、そう言う事でしたか―― 外見が全くの別人だったので気付きませんでした。随分と思いきりましたね。似合っていますよ」
先ほどと違い、素性が分かると、一気に表情のかたさも抜けて温和な態度になるセリュール。言動にも刺がなく、素直に褒められてランディは、少し気恥ずかしかった。
「ありがとうございます。そんなに変わりました?」
「かなり……それに香水もつけますね?」
「もしかしてペーニュがつけてくれたのかもしれません」
指摘を受けてランディは、着ている服へ鼻を押し当てると、確かにすっとした良い香りが。
「香草由来の精油でしょうか? すっとした爽やかな良い香りです」
「さっきまで色んな香りに包まれていたので気付きませんでした。言われてみれば、確かに」
「身嗜みに気をつかうのは、良い心掛けです」
「なかなか、手が回らなくて……お恥ずかしい限りです」
「仕方がないでしょう。仕事以外にも取り組む活動があり、多忙だったのですから。夜は、部屋に帰って寝る生活を繰り返していたのでは?」
「それも言い訳にしかなりません」
「厳格と窮追は、似て非なるもの。それが分からぬ程、愚者では無いでしょう?」
「はい……肝に銘じて置きます」
「宜しい」
語気を強めてランディを窘めるセリュール。町へと馴染む為に必死だった自分を蔑む必要はない。形振り構わず、下積みを重ねたからこそ、自分へと目を向けられた。
最初から二つの事を起用に両立出来る人間など、ほんの僅かだ。
ランディは、直ぐに気持ちを切り替えて笑みを浮かべる。
「改めまして。マルの件、ありがとうございました」
「いえ、畏まらずとも。マルは、良い子にしていますよ」
「良かったです。今日は、散歩ですか?」
「ええ。まだ、外を歩かせるのは、心配なので抱きかかえて。買い物に付き合って貰って居ます。撫でますか?」
「良いですか?」
「勿論」
折を見て邸宅へ挨拶に行きたかったのだが、なかなか時間が作れなかった。
その後の経過は、いつも気に掛けており、仔犬の事を忘れた日は、一日もない。
ローブやセリュール、仔犬に対して申し訳なさで気持ちがいっぱいだった。
「十数日振りか―― 元気にしていたかい? 少し、重くなったね。きちんと食べている証拠だ。この調子で大きくなるんだぞ?」
ランディは、セリュールから仔犬を受け取ると、全力で頭をこねくり回す。はしゃぎまわるランディと仔犬を見てセリュールは、人知れず、微笑んだ。
「最近は、食事の際に待たせる事を覚えさせました。粗相が時折、目立ちますが、少しずつ覚えています。無駄吠えは、しないので助かります。ただ、歯が痒いのか、机や椅子の足を齧って奥様にお叱りを受けるくらいでしょう」
「今度、鑢をかけた小さな角材を持って行きましょうか?」
「いえ、既に与えているのですが、自分で何処かに持って行き、置いて来た場所を忘れるのです。それで目についた椅子に悪戯を」
「ははは……それは何とも」
「愛らしい他愛なさなので目を瞑っています。その内、忘れなくなるかと。大抵、自分の寝床に持って行き、そのままなので何時かは、気付くでしょう」
「良かったです」
「しかし……時折、少し寂しげな顔をします。これは頂けません。恐らく、君が恋しいのかもしれません。手土産なくとも遠慮せず、会いに来て下さい」
「かしこまりました」
仔犬が手厚い庇護の下、順調に育っている事を知り、ランディは一安心した。
また、気軽に面会へ行ける口実も作って貰い、嬉しくて自然と笑みを漏らす。
「セリュールさんの所で立派な番犬になるんだぞ? あははっ! 擽ったいよ」
一しきり、可愛がった後、ランディは仔犬をセリュールのもとへ返す。
「大切な家族です。必ず、一人前にしてみせます」
「お前は、幸せ者だなあ。こんな母さんいないよ」
「はっ、母親? 母と呼ばれるのは少し違うような……」
表情は、変わらないものの、セリュールは、珍しく声色に動揺を見せた。
その変化に気付いたランディは、頭を下げる。
「すみません、失礼でしたね」
「いえ、思い出せば、確かにこの子は天涯孤独の身。母は、必要です」
自分へ言い聞かせる様に呟き、真面目な顔で頷くセリュール。
「また、同時に父親も必要になるかと」
「是非ともお相手を見つけましょう! どうせなら本当の親になるのも良いですね。今ならより取り見取りですよ?」
「探さずともこの子を救い上げた君が一番、適任では? 私は、やぶさかではないですよ」
「えっ? それって……」
少し頬を染めて滅多に見せる事のないはにかんだ笑顔のセリュールの言葉にランディは、動揺を隠せない。目を丸くして黙り込むランディの顔をセリュールは、興味津々になって覗き込む。そのまま、不用心に後少しで互いの鼻がぶつかる寸前まで迫って行く。必然とランディの視界は、潤んだ碧い瞳の色で埋まる。同時にアーモンドとバニラの入り混じった仄かな香りが嫌でもランディの脳裏に焼き付いて離れない。
「冗談です。本気にしないで下さい」
満足したのか、セリュールは悪戯っぽく微笑んでそっとランディから離れる。
「ですよね、かなり焦ってしまいました。セリュールさんは、冗談何て言いそうにない印象を持っていたので。頬を染めて恥じらいながらおっしゃるものですから……その姿が可愛くて可愛いらしくて半分、本気にしてしまいましたよ」
浮ついた言葉で足元を掬われ、ランディは、してやられた顔をする。
されど、やられっぱなしな訳ではない。
売られた喧嘩は、きっちり買い取って倍にして売りつけるのが、ランディの流儀。
「やめて下さいっ! からかっているのは、私です」
「いや、そんなお茶目な一面があるとは、新たな発見です。偶には、肩の力を抜いて目的なく、ふらっと歩いてみるものですね。勉強になりました」
「だからっ、違うと言って—―」
先程まで纏っていた大人の余裕は、何処へ行き、ランディの思惑に気付いたセリュールは、焦る。わざとらしく、ランディは、少し垂れた前髪を手櫛で整え、不敵な笑みを浮かべる。
既に手札は、整っている。後は、相手の懐へ一気に踏み込むのみ。
「人の内面も見ず、勝手に色眼鏡で見ると損ですよね。大人びた少し年上の女性のコケティッシュな可愛い一面とか、意外性に富んで……ぐっと来るものがあります。色んな憶測を呼びますよ。人目のないからと家に帰れば、マルをだだ可愛がりしているんだろうとか。乙女チックに時々、眠れない夜にミルクと砂糖のたっぷり入った甘い紅茶を飲みながら部屋で毛布に包まって星空を眺めているんじゃないかとか。あげれば、キリがないですね」
「貴方を少し……見誤っていたみたいです。そうですか、そうですか」
マルを抱きかかえながら頬を真っ赤にして俯いたセリュール。
「いや、冗談ですって本気にしないで下さいっ! うわっ!」
一矢報いて満足したランディ。一方、セリュールは怒りの炎が静まらず、遂に足が伸びる。
制服のスカートを翻して人目も憚らず、綺麗な弧を描いてランディの脇腹へ回し蹴りが飛ぶ。上体がぶれない腰からの捻りも綺麗に乗せた鋭い一撃をランディは、足を上げて受ける。マルで両腕が塞がっているセリュールは、蹴撃で果敢にランディへ責めた。
「これ以上……交わす言葉はありません」
「マルを抱えながら起用に動かないで下さいっ! 本当にすみませんでした。只の出来心です。もう、絶対にしません!」
稼働の勢いを殺さず、絶え間のない連撃に繋げ、隙の無いセリュール。上段、中段、下段、時には、後頭部を狙う蹴りの嵐。ランディは、それらを冷汗を搔きながら確実に捌いて行く。
「……そう言えば、ルーとは違って貴方は、武芸に長けておりましたね」
唐突に足を下して息を整え始めるセリュールとほっと胸を撫で下ろしたランディ。
これ以上、続けても意味がないとセリュールは判断した。どちらかの体力が尽きるまで終わらない。正確には、動きの少ないランディに分があるだろう。その上、激しい挙動で胸元のマルが目を回しているので宜しくない。
「以前より……感覚は、少し鈍りましたが。まだ、動けます」
「これ以上は、不毛です……何時か、屈辱の借りは別の形で返させて貰いましょう。まさか、絵に描いた様な捨て台詞を言う日が来るとは……思っていませんでした。これにて、失礼」
「後生ですからお手柔らかに」
「それは、絶対にありません」
機嫌を損ねたセリュールの後姿が見えなくなるまで見送った後、ランディも歩き出す。
『慣れない事は、するものじゃない。大人しく、家に帰ろう……』
思ったよりも大事になって心臓に悪い思いをした。勿論、只の身から出た錆。
次に相まみえる時までに忘れて欲しいと切に願いつつ。
疲れ切ったランディは、家路につくのであった。




