第壹章 祭りを開催するにあたっての諸注意 5P
ブランは、立ち上がると整頓された書斎机の上に置いてある水差しと杯を手に取り、のどを潤す。序にもう一つ、用意して長机まで持って来ると、ランディにも勧める。礼を言って
「はい、因みに詰所は何方に?」
ランディも水に口を付けた。一息ついた後、ランディは、一つ質問をした。
「役場の近くにあるよ。立地は良くないけど、誰にでもたどり着ける所さ。ルー君に案内を頼んである。使われなくなって久しいから掃除が必要かもしれない。必要最低限の家具と竈、備品は在る筈……一度、確認して貰って必要な物があれば、言っておくれ。手配して置くよ」
「有難うございます」
「基本的に僕からの制限は、設けないから君たちで自由に有効活用して欲しいな。君とルーくんのたまり場として使って貰っても吝かではない」
「活動を続けて行く内に増えて行くモノは、ヒトや物に限らず。情報も何かしら媒体に記しておく必要があります。そう言った全てを一つに集められる場所があるのは、在り難い事です。適切な管理の下、使わせて頂きます」
「鍵は、これだ。僕、君とルーで三本用意したから管理、宜しく。まあ、通常時で夜に逢引きで使う位なら知らん振りするよ」
「そもそも可能性が低いので厄介にならないかと……」
「何を言っているんだい! 折角の祭りだよ? 新しい出会いが増えるまたとない機会だ! 呑気に引っ込み思案になってどうする?」
眉を顰めて驚くブラン。きっちりと固めた髪を撫でつけながら動揺する。ランディの年頃なら浮いた話の一つや二つあっても可笑しくない。人によって楽しみ方はそれぞれと言えば、聞こえが良い。けれども花がない。傍から見れば、実に詰まらない。味のしない麦粥を食べさせられるようなものだ。ブランは、ランディにそんなものを求めていない。
「ルーから時期尚早であると、教わりました。祭りには、楽しみ方の流儀があると。段階を飛ばして横着をすると、とんでもない結果に繋がるので止めておきます。来年、機会があれば、きちんと伴って歩く相手をそれまでに見つけます」
内心では、面倒くさいと思いつつ、笑顔を取り繕ってランディは、言い訳をする。
「言わんとする事は、分かるさ。今の子は、堅実だから……でも時には、虎穴に入らずんば、虎子を得ずって諺もあるけど、機会を逃さない為にも失敗は、あった方が良い。けれど、ヒトの心や色恋沙汰って難しいからね。場数を踏んだ方が良いかと言えば、そうでもないし。かと言って何も知らなければ、ぶっつけ本番に試行錯誤の連続。どちらにせよ、誰かの随伴をするなら祭りに詳しい方が良いから今回は、正解かもしれない」
「はい。祭りを全力で楽しみます。警備と詰所の整備は、お任せ下さい」
「頑張ってくれたまえ。自警団の決まり事は随時、新しい事があれば、説明するよ。僕からの話は、以上。では、解散としようか?」
「はい、失礼致します」
「この後の予定は、何かあるのかい?」
「そろそろ、髪を切りたいと思っていたので髪を切りに行こうと考えてます」
「そうすると良い。段々と暑くなって来るし、店の人員として身嗜みを整えるべきだ」
話が終わると、ランディはさっさと帰りの支度をする。扉から出る前に書斎机に座り、笑顔で手を振るブランへ頭を下げた。薄暗い廊下を歩き、階段を下りて出口を目指すランディ。
「さて、次は床屋か……前に教えて貰った場所は」
役場を出たランディは、大通りを農園側に向かって歩き出す。思えば、町に住み着いてからほぼ、自分の身嗜みを整える事がなかった。最低限、髭を剃り、湯浴みや水浴び、眉毛に剃刀を当てた位だ。王都に居た頃は、今よりももう少し、気をつかっていたのだが、最近はさぼりがちになっている。そろそろ、新入りと言う、便利な魔法の言葉も効果が切れるから丁度良い機会だ。大目に見て貰っている内に改善すべきに着手する。
自分の二の腕に鼻を埋めて体臭を確認してみたり、吐き古した靴を見て買い替えの時期を悟ったり、この際だから手直し出来る所は、一つずつ潰して行く事にしたのだ。
その第一歩として目にかかる鬱陶しい髪とさよならを告げる。
街道側の正門とは、反対の裏門付近、大通り沿いに挟みと櫛の小さな看板を掲げている建屋がこの町、唯一の床屋『Barbe Blanche』。敷地面積が少ない為か、三階建て。日当たりの良い立地で少し色褪せた石造りの武骨な外観が特徴だ。二つの窓で辛うじて中の様子が伺える。
ひと入りは少なく、直ぐに切って貰えるだろう。以前、ランディは、フルールか、双子か、誰かは忘れたけれども町案内で紹介して貰っていた。店の者とも何度か、顔合わせしている知り合いだ。そして店まで来て今更な話だが、ランディは、髪型をどうするか、全く検討をしていない。一先ず、専門家と相談をして決める事にしたのだ。
この手の知識に疎いランディが悩んでも足が遠のく一方なので敢えて何も考えていない。そう、決して物臭ではない。店内に入った瞬間、ランディを出迎えたのは、整髪料の匂いとと香水の香りだった。動物由来の油脂特有の獣臭い匂いに交じって植物性の精油やオーデコロンが仄かな香りが、ランディの鼻を擽る。店内の内装は、木目の床と石造りの壁。燭台などの明かりと待合用の長椅子が出入り口付近の狭い空間に二、三つほど設置されており、奥の大きな空間には、四台、散髪用の椅子が設置され、その椅子の正面には、特別製の大きな鏡が壁に備え付けられていた。
椅子の隣には、ハサミや櫛、剃刀、クリッパー、整髪料などの道具が乱雑に詰め込まれた小さな棚があり、鏡の下に突き出た机にも香水の瓶や髭剃り用のマグ、帽子置きがある。その整髪用の椅子に座り、新聞を読みふける若者が一人いるのをランディは、見つけた。
来客に気付き、新聞紙を折り畳んで立ち上がる背の高い細身の青年。黒いシャツと真っ白な前掛けと灰色のスラックスを身に着けており、何よりも目を引くのは、髪型だ。見慣れたランディは、驚かないが、前髪から頭頂部、後頭部にかけて灰色の髪を長く残し、ツーブロックにしている。大きく黒い瞳で鼻立ちの整った爽やかな青年は、ランディに気が付くと、笑って出迎える。
「いらっしゃい? ランディじゃんか、どうしたの? 配達? 確か、商品は頼んでない筈だけど……それとも別な用事?」
「いや、ペーニュ。至って普通の理由で来た。つまり、今日は君のお客様だ」
「ええっ……俺はてっきり、お前がその髪型を気に入っていると思ってたわ。そのすんごい胡散臭い根暗な髪型。どう言う風の吹き回し? 台風の前触れ? 火山が噴火する前兆?」
目を細めて怪訝な顔をする青年ペーニュにランディは、訪れた目的を説明すると、青年は腹を抱えて大きな声で笑い始める。
「俺がどう言う評価がされているか。少し、分かったよ。君の言葉を借りるならすんごい失礼な話だ。君こそ、浮ついた派手な髪型で軽い信用ならない印象を俺は、持ってるよ」
「俺の場合は、商売道具だからな。こう言うのも出来ますよって見本さ。良いんだ、基礎固めをした上で敢えてハズしてるから。伝統的な様式から独創的な髪型まで何でもござれ。だってさ、店員が黒髪できっちり固めたオールバックばっかりじゃ、お勧めは、それだけですって言っているみたいで詰まんないだろ」




