第貳章 条件と隠し事 2P
この三つの言葉はどんな辛い時でもランディに乗り越える力をくれたのだ。徐々に火照った身体を落ち着けている最中、不意に誰かの視線を感じた。ランディはその原因を探し、真っ白の景色の中で近くの街壁に座る黒いコートを着た男が視界に入った。
雲ではっきりと見えないがいつの間にか昇っていた太陽の明るさから判断して町の者たちが起きる時間だ。勿論、農場やパン屋などのように朝が早い職業ならば別である。
だが、この男、かなり前から街壁の上に座っていたようで肩と天然パーマでボサボサな頭には雪が積もっている。鍛練は相当、見られているだろう。何か自分に用事があるのかと、ランディが考えるも答えはでない。ランディは雪を被った鞘を拾い上げて雪を掃うと左腰に持って行き、剣を鯉口になぞらせて納刀する。男はランディの一挙手一投足を口元だけに笑みを浮かべながら見ていた。
目は鼻にまで掛かっている髪の所為で見えない。直観だがランディはこの男に何故か、言い知れぬ恐れを感じた。単なる力の強さではなく、知られてはならない秘密を相手に握られてしまったような恐れだ。
「済みません、集中していたので気付きませんでした……何だか、恥ずかしい所を見られちゃったなあ―――― もしかして僕に何か御用ですか?」
ランディはまず話し掛けることで先手を打ち、様子を見た。相手の意図が分からないなら聞くしかない。男は寒空の下、ランディを見ていたのだ。万が一のことを考えて用心深くしても損はない。考えを巡らせ、話すランディの雰囲気は威圧感が消え、普通の青年に戻っていた。
男はランディの質問に答える前に拍手をする。
「いやいや凄いよ、君。あれだけ集中して一つのことが出来るのは一種の才能だ」
「あっ、ありがとうございます」
手を叩きながら男は近づいて来るとランディのことを褒め始めた。目の前に迫った背の高い男にランディは堅い微笑みを浮かべながら礼を言う。仕上げに関しての質問はない。幾ら科学技術が進歩してもこの世界には解明されていない自然界の謎は勿論ある。また、朝の寝ぼけがちになる時間と言うこともあってつむじ風や何かの偶然が重なった自然現象と思われたようだ。
「何だか、邪魔してごめんね。これと言って君に御用はなかったんだけど」
「いえ、謝られるようなことは何も……」
頭を掻き、男が反省したとばかりにランディへ謝る。
「俺さあ、徹夜明けでどうも目が冴えちゃったから散歩してたの。そしたら君が剣術の練習してたからたまたま見てただけだったんだ」
ランディの質問ににこにこしながら軽く答える男。向かい合っている間もランディは冷や汗が止まらない。天然か、策士なのか、どちらにしても食えない人物だった。
「そうですか。僕は早く目が覚めたので軽く運動したかっただけで、終わらせるつもりでした」
「それは良かった。てっきり俺、邪魔したかなと思ったんだけど」
「全く関係ないです」
ランディは困惑を隠して愛想良く話すのが精一杯、男の腹の内を探ることは何も進展しない。
「名乗ってなかったね。ヌアール・メドサン。呼び辛いからノアで良いよ……君の名前は……」
「ランディ・マタン。この町に来て四日目です。もしかするとこの町の住人としてお世話になるかもしれないです」
互いに名乗り、握手する二人。
「そうか、そうか。いやこの町、若い人が少ないからね。君みたいな青年が来てくれるのは願ってもないことだよ。宜しくね」
「はい宜しくお願いします」
今までに会った人々と変わらない挨拶を交わすランディ。
「むむむ? そう言えばさあ……」
ノアは悩みがあるかのように口元を歪める。それからランディを上から下へ舐めるように観察をし始めた。
「何か?」
「……いやね、何処かで会ったことがある気がするんだけど。君には覚えがないかい? 最近のことだったと思うのだけど」
とノアが質問をランディに投げ掛けつつ、首を傾げた。
「いや、初対面かと」
唐突な質問に顔を曇らせるランディ。今日まで『Chanter』でノアを見かけたことはないし、知り合いでもない。第一、この町に来たことさえないのだ。そんな機会がある訳ない。
「う―― ん、どこだっけ。会った人の顔は全員覚えているのだけど、昨日のことかもしれない。もしかして夜、飲み屋にいた?」
「いえいえ」
ランディは首を横に振る。昨日の夜はレザンの家にいたから飲み屋に行くのは無理だ。
「なら牢屋!」
「うええ? いきなり牢屋ですか!」
これで決まりだとノアはビシッとランディへ指を突きつける。徹夜と言った自分の言葉をあっさり否定して。しかし、これにはランディも度肝を抜いた。まさか、フルールとの会話と何か関係あるのかと無駄に勘繰ってしまったのだ。
「うん、実は真夜中過ぎくらいに俺は入れられたんだ。酔ってたから誰か、俺と同じように入れられてた人はあんまり記憶にないけど、何かやらかしたんだろう?」
情けない理由にただの自滅だったかとランディは胸を撫で下ろした。
「ちっ、違います。捕まることはやってません! ノアさんこそ何でそんな所に……」
「ふっ、男には捕まるリスクを負ってもやらなければならないことがあるのさ」
格好つけられないことをさらっと言うノアが話を続ける。
「気を取り直して……じゃあ、あそこ。結構色っぽい子がいるいかがわしいパブ」
大方、ノアは其処でしょっぴかれることをしたのだろう。彼の顔をよくよく見れば消えかかった赤い紅葉がある。
「しっ、知らないし、行ってません! だけどもし良かったら今度、紹介して下さい!」
「君も好きだね――――」
など笑って言うノアへ最初に感じた恐れは杞憂だったのかとランディはほっとする。出会いが少し不気味に感じたやはり思い違いだったのだろう。
「これも違うとなると……でもやっぱり見たことが……あっ。そうだ、やっと思い出したよ!」
「えっ、本当ですか!」
「君は俺が四日前、診た患者のみすぼらしい青年じゃないか」
四日前、ランディを診た医者はノアだった。それならばランディが分からないことも無理はない。しかし流石に医者と言うだけのことはある。患者の小さな兆候を見逃さず、適切な処置を施す仕事なだけあって人を観察することは得意なのだろう。ノアは初めてランディの最初の格好と今の格好を結びつけることが出来た人間になった。
「えっ、ノアさんお医者さんだったんですか?」
「言ってなかったけ?」
ノアが医者だと知り、目を丸くするランディ。一方、ノアは呆けてはぐらかした。
「一言も言ってなかったです。もしかして僕がレザンさんの家に運ばれた時……なら分からないのも当然ですね」
おおよそ考えられる可能性を考えて口に出したランディ。
「そうそう、その時に呼ばれたの」
「やっぱり」
問題が解決し、胸の支えが取れたランディは疲れた様子で街壁へ向かうと雪を払って座った。
「でもランディ、君ちょっと変わり過ぎじゃない? 限度があるよ―――― 限度が」
ノアも隣まで来ると一緒になって座る。
「皆さんそう言いますけどねえ! 好きであんな格好していたわけじゃないんですよ!」
ノアの言い分へ気にしているランディが猛烈に抗議をする。
「ごめん、ごめん! それで話は少し変わるけどさ……」
少し声色を低くし、真面目な顔をするノア。目は真っ直ぐランディの目を見据えていた。
「さっきの異様な集中力然り、何か得体の知れない技然り。素人の目から見ても剣術が上手く見えるランディは何でこの町に来たんだい? 君は何処の誰だい?」
「っく……」
ランディがはっとして息をのんだ。
「君、軍人だろう? しかもさっきのあれ……いやこれは聞かないでおこう。でも騎士に近かしい匂いがするのだけど……何かの任務かな?」
「いえ騎士ではありません―――― 確かに僕は少し前まで軍人の端くれでした。でも今は除隊したので違いますし、任務も関係ありません」




